第12話 確執 4




玄関先で義母の怒声が響き渡った。松葉杖に体を預けていつもとは違う私を目にしながらも、義母の口からは心配の言葉すら出て来なかった。

期待なんかはしていない。優しい言葉を掛けられる方が却って不気味だ。

「すみません」と頭をひたすら下げていれば、そのうち奥に引っ込んで行くことは経験上、分かっていることだった。





しかし、今日はいつもと違う。私の背後には義母もよく知っている伊坂がいる。

私がぎこちなく体を動かした瞬間、義母の目にようやく伊坂の姿が映ったようだった。





「まぁ、伊坂くんじゃない?」





さっきとは打って変わって、義母の声に優しさが含まれた。つり上がっていた目も穏やかな表情へと変わり、さっきまでのことが嘘だったかのようだ。

伊坂は自分の名前が呼ばれ、頭を下げながら玄関の中に入ってきた。





「ご無沙汰しております、藤江先生」





「結婚式以来ね。皆さま、お元気にしてらっしゃるかしら?」





伊坂は義母のことを「藤江先生」と呼んでいる。この義母も結婚するまで小学校の教師をしていた。義父との結婚で教職を退いた後は、書を教えたり生け花を教えたりと、やはり周りから「先生」と呼ばれることを続けてきた。

生け花を辞めてからも「もう先生じゃないんだから」と言いつつも、それ以上は拒否をすることもなく「先生」と呼ばれることを半ば当たり前のように思っている義母が、私は好きになれなかった。





「ところで今日はどうして伊坂くんがいるの?」





何事もなかったかのような義母の態度に伊坂の方が困惑しているように見えた。

長い付き合いをしてきた伊坂には、さっきの義母の醜態はきっと初めて目にするものだっただろう…

恐縮しながら近況を話していた伊坂だったが、いつの間にか話題は私の足のことへの謝罪へと変わっていた。





「…ご迷惑お掛けしたわね。こう見えて茜さんって意外にドジなところがあるから…」





そう言って義母は甲高い声で笑った。伊坂は苦笑いを浮かべながら、義母の笑いに付き合った。「玄関先もなんですので…」そう切り出した私の言葉に義母は直ぐ様反応し、伊坂を家の中に招き入れる。伊坂は「日を改めて…」そう言って玄関を出ようとした時、夫の貴一郎が帰宅した。





さすがにまだ新婚だけあって、貴一郎は私の体の変化にいち早く気付いてくれた。

心配そうな顔をしながら松葉杖の私の体を家の中に入れ、伊坂に深々と頭を下げた。





「いや、俺の方こそ呼び出しておいて、ケガをさせてしまうなんて…本当に申し訳なかった」





貴一郎の態度につられて、伊坂も深々と頭を下げている。伊坂と夫の貴一郎はお互い男子バスケ部の顧問をしている縁で、いろんな場所で顔を合わす機会が多かった。





「ところで伊坂先生。先生のところの木本柾、クラブチームから声が掛かったそうですね。凄いじゃないですか!」





貴一郎の言葉に恐縮して固くなっていた伊坂の頬が驚くくらいに緩んだ。木本柾の将来に夢を託している伊坂には、貴一郎の言葉は嬉しいものだったのだろう。

木本柾の名前を聞いた途端、私の胸もドキンと一つ音をたてた。蘇ってくる不思議な感情に、私は慌てて蓋をしたのだった――




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