第10話 確執 2




それから程なくして男子バスケ部の練習は終わった。コート内では自主練をする為に残っている生徒が数名いた。その中にやはり柾の姿もあった。

伊坂がタオルを首に掛けながら、額に汗を滲ませて私のいる方へと近づいてくる。





「松嶋、足の具合…どうだ?」





義母の顔を思い浮かべていて顔色も悪く見えたのだろう。伊坂の顔も心配顔になっているのが分かった。私は「平気、平気」と口に出したものの、不安は隠せなかった。





「家に帰る前に病院に寄るから。悪かったな…突然、呼び出しといてケガまでさせてしまって」





「いいえ。ケガは私の不注意ですから…教職への復帰の話は本当に嬉しかったし…ただ…」





私は言わずにおこうと思っていたことを、伊坂につい漏らしてしまいたくなった。

義母との関係を暴露したくなったのだ…

しかし、言葉はここで途切れてしまった。やはり、伊坂が義父の可愛い教え子だと言うことが胸に引っ掛かった。





「…ただ?」





伊坂は私の言葉を繰り返したが、私はやっぱり言葉にすることが出来ずに「いいえ、なんでもありません」と今更ではあったが何事もない振りをした。

伊坂は納得していない顔をしたが、私が頑固な性格だと分かっているせいか、それ以上は聞いてこなかった。





「帰るか?」





そう言って伊坂は、床に座り込む私の手を取り一気に立ち上がらせた。テーピングをした右足首に痛みが走った…それでも何とか立ち上がることが出来るのは救いでもあった。

立ち上がることも出来ないままでは、義母から「役たたず」と大声で叫んでしまわれそうだった。





…と、その時…

私はどこからか見られているようなそんな錯覚に陥った。思わず体育館の中をもう一度、見回してみる。コートでは自主練する生徒達が思い思いに体を動かし始めたところだった。

「気のせいか…」心の中で呟いて落としていた目線を上げた瞬間、コートの真ん中でじっと見つめてくる視線を捉えた。

…柾だった。





その視線に私の心はギュッと掴まれたように苦しくなり、全身に痺れが走ったように感覚を失わせた。彼の視線が私のあらゆるところを見つめているようで、躰の芯が熱くなっていくのを感じた。

伊坂に声を掛けられるまで、私達は無言のまま見つめ合った…

それはほんの一時に過ぎなかったが、私にはとても長い時間に感じられた。





伊坂に体の半分を支えられながら体育館を後にした。

ドアが締まるまで柾の視線は私を捉えて離さなかった…








伊坂に連れられ、私は成宮高校から近い総合病院の緊急外来で診察を受けた。

受付で保険証の有無を確認され、手元にないことを伝えると「明日までに提出して下さい」との配慮を受けた。成宮高校の御用達の病院だからか、伊坂の口添えがあったからなのかは定かではなかったが、その配慮に心から感謝したい気持ちだった。





働いていた頃は常に保険証は携帯していて、急に体調を悪くしても安心して病院に罹(かか)れるお守りのようなものだった。しかし、貴一郎と結婚してからは夫の扶養になり、保険証や通帳類は義母の手元にあった為、私がそのお守りを持つことはなくなった。

そう言えば、結婚してから病院に罹ることなどなかった。病気をしなかった訳じゃない。

高熱を出した時、義母から「寝てれば治るわ。病院に行くほどのことじゃないわね」と言われ、病院に罹ることすら出来なかったのだ。





今回は病院の配慮で診察を受けることは出来たが、きっと保険証を母から預かる際に、また何か言われるのだろうと考えると気が重くなっていく。

それは、診察後の医師の一言で更に重たいものになった――




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