第8話 年下の人
「もう、知らない!」
マネージャーの彼女が声を荒らげて顔を背けた。
それでも柾は彼女の態度に動じることなく、私を抱きかかえて体育館を出ようとした。
その姿を見て、彼女は伊坂に何とか言ってくれるよう目で助けを求めた。
「綾乃、木本にも息抜きが必要なんだって。そういうバランスも大切なんだぞ」
助けを求めた筈なのに、伊坂から予想外の言葉を貰って綾乃は俯いた。
伊坂は綾乃の肩を叩いて「コバの奴、呼んできてくれ」とこの場を離れるように促した。
綾乃は小さく頷くと、しぶしぶ体育館を出て行った。私と柾が気になるらしく、何度も何度も振り返りながら…
「…で、木本。もういいんじゃないか?綾乃を退散させたかったんだろ?」
綾乃が体育館から出て行ってから伊坂が何時もより小さめな声で言った。それでもしっかりとその言葉は私達の耳に届いて、出て行った綾乃の耳に聞こえやしないかとハラハラさせた。
「まぁ、そうだけど…」
「こいつは俺が送っていくから。お前は練習に戻れ」
迷う素振りを見せた柾に伊坂は、皆の元へ戻るように優しく促した。
伊坂の言葉に柾は「じゃぁ…」と言って私を床の上に座らせた。
「あの、…ありがとう」
床に下ろされた私は柾の体が離れる時にそう呟いた。
「いえ」そう言って爽やかに笑う柾に私の胸がドキンと鳴った…
「松嶋、お前、新婚のくせに顔真っ赤にして!」
場の空気を読めない伊坂の言葉に私は軽く伊坂を睨みつける。
「こんな時にそんなこと言わなくても…意識してるって思われるじゃない」そう心の中で呟くと余計に柾のことが意識され、私は更に顔を赤らめた。
そして、私は見逃さなかった…
伊坂の言葉に顔を赤らめていたのは、私だけじゃないことに…
柾は耳を真っ赤にさせてその場を立ち去ったのだった。
柾が仲間の所へ戻るや否や、ピーっとホイッスルが鳴り、紅白戦が始まった。
コートの中を縦横無尽に駆け回る柾の姿が目に飛び込んできた。
しなやかな体の動きが他の選手よりも際立っていて、私は目を離せずにいた。
シュートを決める時のフォームが余りにも綺麗で、私は思わず溜め息を漏らした。
「いいだろ?」
「え?」
「木本柾のセンス」
「確かに…木本君でしたっけ?目を惹きますよね」
「クラブチームから誘いも受けてるんだよ。俺はあいつが日本を代表する選手になってくれたらって思ってる。ま、俺の密かな夢だ」
伊坂はまた豪快に笑うと、満面の笑みで柾の姿を追った。私もそんな伊坂の視線の先にいる柾の姿を目で追う。
夫の貴一郎が勤めている高校の男子バスケ部の顧問をしているのがきっかけで、JBL(日本バスケットボールリーグ)の試合を何度か見に行ったことはあった。もともとスポーツは好きな方だったから、貴一郎とのデートは専らスポーツ観戦が多かった。
それなりにスポーツ選手を見てきた私の目にも、木本柾のプレーは群を抜いていて、クラブチームからの誘いの話も納得がいく。
「松嶋、惚れんなよ」
柾のプレーに惹き込まれていた私に、伊坂はニヤリと笑った。
私は「相手は高校生ですよ」そう言って笑ってみたものの、私の心の中に今日初めて会った木本柾の存在はしっかりと跡を残した。
ただ、彼が年下で高校生だと言うことも頭の中で理解していた――
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