第6話 ときめき




(大丈夫ですか?)





そう言って手を差し伸べてくれた男子生徒の顔を見上げた。額から吹き出る汗が髪を伝ってポタリポタリと落ちていく。私は思わず落ちていく汗の雫に目を奪われ、一瞬動きを止めた。





「あの…」





そう言って彼は差し出した手を再び私に向けた。ハッと我に返った私は、その彼の綺麗な指を見て、思わず遠慮がちに首を振った。





「大丈夫…自分で立てます」





何故、あの時、彼の手を借りようとしなかったのかは分からない…

転んだ自分の姿を恥ずかしく思ったからなのか、彼の綺麗な手に自分の手を重ねるのが恥ずかしかったからなのか、自分でもよく理由が分からなかった。





立ち上がってみて、やっぱり手を借りれば良かったことに気付いた時は後の祭りだった。





「痛っ!」





その言葉と同時に体が再び床に崩れ落ちそうになった。その瞬間、引っ込めたばかりの彼の手が直ぐに私の体を支えてくれた。

さっき、コバっちと呼ばれていた生徒に突き飛ばされた拍子に、どうも足を捻挫してしまったようだ。右の足首を床につけた途端、かなりの激痛が走った…





彼の腕に抱き留められたまま、私の躰はドアから少し離れた場所に移動した。壁に凭(もた)れるように私を座らせると「伊坂先生!」と大きな声を上げた。

名前を呼ばれた伊坂は慌てて私のいる場所へと走ってくる。





「何だ?どうしたんだ?」





「この人、捻挫してるみたいですよ。足が腫れてる…」





彼にそう言われた伊坂は私の右足に視線を落とすと、腫れ具合を目で確認しているようだった。目で確認すると今度は私の足首をゆっくりと持ち上げる。その瞬間、また足に痛みが走って、私は苦痛の表情を浮かべた…





「木本、コールドスプレーとテーピング…急げよ」





いつになく真剣な顔つきの伊坂に、さすがの私も声を掛けれずにいた。ただ、目の前で行われようとしていることを黙って見ているしか出来なかった。





伊坂の指示でスプレーとテーピング用のテープを持ってきた彼の後ろには、男子生徒が何事かとゾロゾロついてきていた。「おーい!木本以外は練習に戻れ~」という伊坂の声で、彼以外の生徒達は歩みを止め、元いた場所にいそいそと戻っていった。





「じゃ、後はお前に任せるから!終わったら呼んでくれ」





木本が戻ってきた途端、伊坂はそう言って彼の肩をポンと叩いた。一瞬、「え?」という顔を覗かせたが「はいよ」と返事をして私の足元に膝まづいた。

私は二人のやりとりを見ながら思わず伊坂の名前を呼ぶ。





「松嶋、心配すんなって。コイツの方が俺よりテーピングは上手いから」





その言葉の後には相変わらず豪快な笑い声を上げ、伊坂は他の生徒が練習を始めた場所へと戻って行ったのだった。

残された私と彼の間に微妙な空気が流れているのが感じ取れた。





「ごめんなさい。あなたも練習があるのに…」





「木本です。木本柾(まさき)…俺の名前」





「え?」





「あなたとか…慣れてないんで嫌なんっすよ」





彼、木本柾は私に視線を合わせないように、コールドスプレーの缶を振りながら答えた。

突然、冷たい刺激と白い煙が目の前を舞って私を驚かせた。

2~3度繰り返された後、慣れた手つきで私の足にテープを巻く彼が再び言葉を発した。





「応急処置なんで、帰ったらちゃんと冷やして下さいね。痛みが酷いようなら病院に行って下さい」





「あ、はい」





随分年下の筈の彼の口調が妙に大人っぽくて、思わず私の方がかしこまった返事をしてしまった。彼の口元が緩んでフッと笑ったような気がして、思わず確かめようと彼の顔を覗き込む。「終わった」と言って顔をあげようとした彼の顔が至近距離にあって、私の胸がドキンと音をたてた――





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る