始まりは豹と共に

 出発前夜。明日から世話になるヤハギウマの厩舎から出ると、信吾は弓美らと合流して夕飯を取る事にした。

「にしても、信吾は相変わらず自意識過剰よね。まだその歳で勇者になれると思ってただなんて」

 勇者団敷地内にある木組みのお洒落な食堂で、弓美は肘を着いて机を摩りながら信吾を詰った。

「その歳って、まだ僕二十歳過ぎたばっかだよ?それに、あの流れで僕だけ立たない方が変かなって思ったしさ」

「……その天然さたるや、変わってないわね。普通二十歳で勇者ってもう遅いじゃない。いい、あんたはね、まだお父さんの姿に取り憑かれてるだけなのよ。いい歳なんだし、そろそろ結婚とか考えてるんであればその時は私が」

「それは違う」信吾は語気強めに言った。「僕は約束したんだ、勇者になるって。そうじゃないと、命懸けで僕らを助けてくれた命が無駄になる!」

 ついつい熱くなってしまった信吾は周囲を見渡しながら気まずそうに座る位置を調整した。

「……なんの事かは知らないけど、そうやって使命感強いところも変わらないわね。でも、あんまりねちっこくちゃ駄目よ。今は勇者じゃなくて運転手なんだから」

「ああ。……ライセンスは、関係ないよ」

 彼はそう言って水を飲むふりをした。

「待たせたなお前ら!楽しい会話には美味い肉が必須だろ。食え食え!」

 何故か満面の笑みを浮かべるウリューは、皿いっぱいに盛られた肉を抱えるようにして持ってきた。

「こんなにいっぱい……食べきれるの?ここの食堂、お残しにはうるさいのウリューさんも知ってるでしょ?」

「がはは!肉は別腹だぜ。それに、俺はこう見えても大食らいでな」

「どう見ても、の間違えでしょ」

 およそ幼稚園児の背丈くらいは盛られた肉を前に一同唾を飲む。初めに仕掛けたのはウリューだった。握りこんだナイフを当てもなく突き刺し、貫かれて引き抜かれた肉を口いっぱいに放り込んだ。

「うぅんうぅん美味い!柔らかくて噛みごたえがなくて実にいい」

「なんでネガティブな表現なのよ」

「ほら、お前らも見てないで食えい!」

 そう言ってウリューは強引に肉を提供してきた。肉汁で汗をかき、湯気を上げる牛肉は確かに食欲をそそるものがある。

「いただきます」

 信吾は一口齧ってみた。美味い、確かに美味い。だが、久々の陸の食料に彼は少々戸惑った。

(魚と全然違う、油っこすぎる)

 いつの間にか、信吾の身体は肉を受け付けなくなっていたのだ。彼は齧りあとのついた肉を皿の上に戻すと立ち上がる。

「ごめんなさい。やっぱまだ食欲なくて。失礼します」

「え、おい信吾!こんなにいっぱいあるんだぞ!?」

「あー、私もパスで。今、油っこいもの控えてるのよね」

「ちょ、弓美までか!」

 仲間二人を早々に失ったウリューの前には、とても一人で倒せるとは思えない肉の山が変わらぬ姿で残っていた。

 だが、まだ希望もあった。その肉の向こう側にサラダをついばむ倉井がいたのだ。

「倉井、頼む!半分とは言わない、三分の一でいい!助けてくれ!」

「……ふひぇっ」

 彼は気味の悪い愛想笑いを浮かべると、空いた皿をそのままに去ってしまった。

「……俺は、俺はぁ、孤高の戦士と呼ばれた時期もある勇者!こんな屍肉に負けるわけにはいかねぇ!」

 夜も深けたその日、食堂でウリューを見たものはいなかったという。


 宿舎の部屋で、信吾は硬いベッドに横になりながら、暗闇の中腕時計型デバイスから発せられる光に顔を照らされていた。

『まおう……じょう、に……』

『まおう……じょう、に……』

 彼はひたすら、調査のためと良心に嘘をついて同じ音声を繰り返し聞く。

 久しぶりに陸の生活に戻り、初めはまたここで心機一転頑張ろうとか思っていたが、実際そんな感情はすぐに消えてしまった。彼にある思いは、「戻りたい」であった。

『まおう……じょう、に……』

「うっ……そうか、アモーニス号はファスランじゃなくて、僕の居場所だったんだ。ファスランを引き留めようとしていのは、僕がまだあそこに居たかったからなのか……」

 ファスランの瀕死で艶かしい声は、潜水艦での生活を思い出すトリガーとなっていた。

 この思考だけで身体にどっと疲れのたまった信吾は布団を濡らしたまま眠りについた。


 翌日。ヤハギウマの曳く馬車にのった勇者一行は早速魔王城への旅路を開始していた。二頭のヤハギウマは速歩で進み、あっという間に都会の街並みが小さくなっていく。丘に入り、若干脚色の悪くなったヤハギウマに手綱を通して電気を微量に流しやる気を促す。これが古来から電気魔法を扱う者の仕事なのだ。

「ここを超えた先に小さな村がある。そこで進路を聞き、小休憩を挟んだ後再出発だ」

「了解」

「信吾さ、その返事どーにかならないの?」

「……ん、おい、あれ」

 弓美の問いかけを無視して信吾は進行方向を指さす。そこには、草原の草がなぎ倒され、だだっ広い平原の中にけもの道のようなものができあがっていたのだ。

「これがどうしたのよ」

「いや、如何にもおかしいだろ。まるで何かでかい生き物が這ってできたみたいだ」

「つまり?芋虫みたいな魔物でもいるっていうの?確かに気になるかもだけど、今は魔王城に向かうのが先決……」

「いや弓美、待つんだ」ウリューが前のめりになりながら会話に加わってける。「これは勇者として、ちと無視できないことかもしれないぞ」

 そう言ってウリューが指さした先には、空にベタ塗りしたような真っ黒い煙がもくもくと上がっているのが見えた。

「見ろ。ありゃ、村がある方だ」

「急ぎます」

 信吾は手綱とステッキを通じて牛に駈歩を命じ現場へ急行をすると、その方向から細く高い鳴き声が聞こえてきた。同時に、その声の主と思われる巨大生物も見えてくる。

「あれは……魔物!ついに海から出てきたのね」

「これも、魔王復活が影響してるんだろうな。総員戦闘準備!」

「まさか……海獣がこんなところにまで来るなんて」

 信吾のデバイスは海獣を感知し、「アザラシ型海獣ラシウス」と表示した。その中には英光のメモも残されており、「ヒレの内側、つけ根、薄くて攻撃効果的。狙うの困難︎→先に頭部を狙って怯ませるか尾びれを狙って鈍らせるか」とある。

(海獣は殺せない。このままじゃ皆殺しにされる)

 そう感じた信吾は手綱をしっかり握り締めながら振り返る。

「僕も行きます!」

「駄目だ。お前は一応一般人だからな。怪我でもされたら勇者団はまた責任を追求されるぞ」

「大丈夫です。今の僕は怪我しないっていうか、怪我できないですから」

「何わけわかんないこと言ってんのよ。ほら、この辺で降ろして。戦うのは私達勇者の仕事。あんたは馬と一緒に安全なところに避難してなさい!」

 そう言って勇者たちは皆下車し海獣の元へ駆けてゆく。信吾はその後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。

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