海底の菊

 アモーニス号は完全に包囲されていた。周囲を偵察するようにクルクル回るクリティアスの潜水艦は不気味な目線を向けてきているように思える。

「なんで攻撃してこないんすかね?今なら袋の鼠なのに」英光は身構えつつも不思議そうに尋ねる。

「残弾数がゼロなのバレてるっぽいわね。彼らの目的はアモーニス号の破壊というより、無抵抗な艦の奪取だと思うわ」

「奪取……まぁ、盗んだのには変わりないんだが」滝はバツが悪そうに後頭部をかく。

「クリティアスもカツカツなんすかね」

 攻撃手段のない彼らはもう相手の成すまま、まな板の上の鯉状態であった。

「何か攻撃手段は……何にも残されてないのか俺らには!」英光は力によってどうしようもない現状を変えようとするも、攻撃担当のエリカは静かに目を下へ向けた。

「そうね、あるいは……」エリカの目線の先には、艦長席の、カバーが着いた小さなボタン。

「だめよ。まだ諦めるような時期じゃないわ」

 鷺が厳しい目付きで口を挟むも、状況が良くならなるわけではなかった。

「現在敵艦隊はエネルギー壁を展開しながら縮小を開始。どうやら、檻ん中に閉じ込めて連れてく気みたいですね」

「マジか……これじゃあ、魚雷撃てたって当たんないよ!」

 エリカは驚きと絶望の入り交じった表情で言う。攻撃担当の彼女にとって、この攻撃できない環境というものは屈辱極まりないのだろう。

「……そうだよね。やっぱりうちらって、所詮アモーニス号の設備が使えたから強かったのであって、うちら自身が強いわけじゃないんだよ」

「そんなこと言わないでエリカ。いま、私達がやるべきことを……」

「もうやれることなんてないって分かったっしょ!」

 エリカはやりきれなくなったのか、跳ねるように椅子から立ち上がると、ぎこちなくブリッジから出ようとした。すると、静かにスライドしたドアの奥に小さな人影が。それは、流亥だった。

「……ぼくも、信吾お兄さんたちと同じ、魔法を使える人間だよ」その決意の籠った言葉と目から、彼がしようしていことは明らかだった。「壁も関係なく、内側から粉々にしてみせる!

「だめよ!」エリカがヒステリックに叫ぶ。「魚雷も撃てなくなって、挙句流亥までいなくなったら、うちは何を拠り所に生きていけばいいのよ」

 急に腰の重量が重くなったかのように彼女の膝は折れ、崩れ落ちた。

 そんな彼女の低くなった肩に流亥は手を置く。

「ぼくはエリカお姉さんを裏切ったりしないよ。絶対に」

 彼女は少年の身体を抱いて咽ぶ。

「……で、爆裂魔法で倒せるのはいいんだけど、どうやって近づくの?海の中、まだ流亥くんじゃ入れないでしょ」鷺は至って冷静にこう言うと、滝が椅子ごと振り返って言ってきた。

「それなら、艦長室にスーツがあったはずだ。ピッチピチのやつだが、全ての人間にサイズが合うようになってるはずだ。涼子、持ってきてくれるか?」

「……えぇ」

 しばらくして鷺が持ってきたスーツは、黒が基本で、所々に青紫のラインが施されている。頭の部分は透明なヘルメットになっており、てっぺんからつま先まで覆われていることになる。

 鷺はスーツの背中にある背鰭のようなものをいじりながらジッパーを開けた。

「このスーツは、もう何年も使われてないの。私が改造したりもしたけど、ほぼ作られた当時のままのアンティーク。呼吸できる活動限界時間は三分かそこら……でも、空気自体も古いし、もしかしたら二分ももたないかもね」

「大丈夫!それまでにやっつけてみせます」

「それとだな……」滝が口を挟んでくる。「いくらこのスーツを着ていたとしても、心を強く持たないと、染み出てくるクリティウムに身体をもってかれるぞ。信吾やファスラン、エリカだって生き残ってるが、それはイレギュラーな事態ってことだ。その覚悟はあるか?」

「命に代えてでも、役立ってみせます!」

「あんた、いつの間にそんな大人になってるのよ」

「これはしょくざい?なんだよ。人を信じられなくて救えなかった昔の自分へのね」

 流亥は脱皮するセミを逆再生したかのようにスーツの中に入りこみ、準備完了だ。

「覚悟、できてるみたいだな。それじゃあこっちもやる事やるぞ!作戦指揮は俺たちに任せな」

「了解!」

 滝達が配置に着く時、出撃直前の流亥の肩にエリカは手を置いた。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 少年はハッチをくぐって海中に出た。直後、耳の詰め物から滝の声が聞こえる。

『流亥、ハッチの近くにワイヤーを出しておいた。腰に繋いでくれ』

『伸縮はうちがやるから。息合わせていくよ!』

「わかった!」

 ワイヤーと共に押し出されていく流亥。それを見て危機を察したのか、周囲の潜水艦が急遽魚雷を発射してきた。

 それを確認した流亥は両腕を真っ直ぐ前にのばし、粘性の高い海水を爪を立てて掴んだ。

『流亥、ちょっと揺れるよ!X軸三十、Y軸二十・二、Z軸五十・七。宜しく候!』

 ワイヤー移動し、迎撃体制にもってこいな座標に流亥は移動する。

「イクスプロージング!」

 筋肉を硬化させ、芯の入ったような指先から爆発が連鎖して起こる。爆裂のエネルギー衝撃波によって魚雷は水中で爆発。

『全弾迎撃、命中なし!』

「やった!エリカお姉さん、次は潜水艦をやるよ」

『おっけー。ちょいまち!この座標なら……船ごと移動っしょ!英光、そっちもよろ!』

『分かったよ。要は、敵艦に突っ込めばいいんだな!』

 アモーニス号が壁を展開する潜水艦向かってエンジン全開となり、流亥のワイヤーも最大限まで伸ばされた。

『頼んだよ、流亥ー!』

「でゅわー!」

 恐ろしいスピードで移動する流亥は心を奮い立たせながらエネルギー壁に接触。いつものよろしく爪を立て、壁ごと爆発をさせる。それは内部から連鎖し、潜水艦から潜水艦へ爆裂が連なってゆく。

『こりゃ……まるで菊の花だな』

 海底で咲く大輪を、クルー達はただ見上げる事しかできなかった。

『敵潜水艦の反応が消えました。穴が空いて、沈没したものと思われます』

『すっげー流石流亥!もう魚雷なくても流亥に頼べばよくね?』

『だめよ。一旦近づかなきゃだし、リスクが大きすぎるわ』

『だよね~。よし、じゃあ流亥、ワイヤー巻き始めるよ』

『はーい……ん?』

 流亥は違和感を感じた。海水が揺れているのだ。スーツ越しの細やかな振動が全身を伝って脳に不安感を募らせる。それと同時に英光からの電報が。

『海獣接近!すぐ近くです!』

『なに!?まさかクリティアスの奴ら、海獣も連れてきてたのか』

『主がいなくなって暴走状態なのね』

『今のエンジンじゃ、とても逃げ切れそうにありません』

『海獣は殺せない。クリティウムじゃないとな。つまり、絶体絶命ってやつだ。だが……流亥!攻撃を頼めるか?ひるませるだけでいい!』

 滝は少し上を向いてこう指示した。しかし、少年からの返事は待てど暮らせどない。

『流亥……どうした流亥!』

『蓮介!』珍しく鷺が声を張り上げる。『スーツ内の酸素濃度低下。もう限界よ』

『なに!じゃあ俺らはもう……』

「まだ……だよ」

 流亥は苦しいながらも腕を動かし、遠くから迫ってくるイルカ型の海獣トランカスに指先を向ける。

「イクス、プロー、ジング」

 その弱々しい声とは裏腹に、強力な爆裂が海中を伝う。しかし、海獣は機械のように怯むことなく爆風を押しのけて進み、アモーニス号に体当たりしてきた。

『エンジン停止!エンジン停止!補機をやられ、メインエンジンの活動が不可能になりました!』

『そんな!それじゃあワイヤーの巻き取りも……きゃあ!』

 再び船内が激しく揺れる。興奮した海獣はが体当たりを繰り返しているらしい。

「いま、ぼくが、やらないと……またぼくは、人を守れないのかー!」

 最後の酸素を吸収し、肺の中の空気を使って流亥がそういった時、彼方から放たれた青白いエネルギー弾が海獣を真っ直ぐ貫いた。脳締めされた海獣はぷかぷかと浮かび上がり、次のもう一発で半分になった。

『おーい、流亥なんだろ。大丈夫か?』

 遠くからゆっくりと迫ってくる、アモーニス号の二倍はある大きさの船が停まって言った。

「信吾……お兄さん?』

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