エイスが来る
「メンテナンス終了!疲れたぜ……。英光、航行システムはどうだ?」
「全然平気です。故障のこの字もありませんでしたね。発進準備満タンですよ!」
「エリカの方はどうだ?」
「魚雷発射口は歪みの酷い右舷の二番から四番扉が開かないけど、他はオッケー。電磁徹甲弾の残弾はフルマックスの五十六パーセント!」
「周囲に障害物なし。行けるわよ」
「よし、アモーニス号、潜水開始!」
合図とともに英光がオレンジ色の潜水レバーを押し込むと、船体の側面から空気が抜かれ、海水がなだれ込んでいき、段々とアモーニス号はその姿を水面上から消していった。
「アモーニス号、正常に潜水状態へ移行完了です。ここから自動制御に切り替えます。目的地はどうします?」
「とりあえずユグドラシルシステムの反応がある方に行こう。……ファスランの身体に残ってる残り香から本体の場所なんてほんとに分かるのか?」
滝が英光の手元のパネルを指さしながら言う。すると、鷺がただただ残念そうな目を向けて言った。
「あんたね……残り香じゃなくてせめて残滓って言って欲しかったわ。私の発明の凄さを一番知ってるのは蓮介だと思ってたんだけど」
「ごめんって!じゃあともかく頼んだぞ英光!」
滝は半ば無かったことにするように大声で言った。が、英光からの反応は鈍かった。
「……おかしいです、滝さん!ユグドラシルシステムの反応がありえないほど近くに……。ソナー範囲内には潜水艦も海獣も見当たりません!ってかこれじゃあまるで……」
「船の中にいるみたいね」
クルーに戦慄が走った。
アモーニス号の食堂。ここはありえないほど白く、テーブルは鏡を使っているのではないかと思うほど顔を反射している。
「これ、流亥が全部掃除したの?」
「そうだよ!エリカお姉さんから道具を借りてね。ここだけじゃないよ。他にもいっぱい、えっとね……」流亥は自分が掃除した区画を指折り数え始める。
「すげぇな。僕なんて釣れない魚に対して糸垂らしてただけだぞ」
「私も。鷺さんと女子トークしてただけ」
「結局ファスランの言うトークって何の話だったんだ?教えてくれよ」
「だーめ!二人だけの秘密なの!」
「五部屋だよ五部屋!凄いでしょ!」
「はぁー凄いな!」
三人がそれぞれ自由に発することで多重螺旋構造のような複雑な会話劇が繰り広げられていた。
その時である。食堂の自動ドアが無理やりこじ開けられた、そのモーターの悲鳴で三人は入口へ一斉に目線を向ける。そこには、コバルトブルーで、縁だけ白いという奇妙な髪をぼさぼさのポニーテールにしている青年がいた。彼はうつむき肩を脱力しながら何か呟いているようだ。
「えっと……あなたは……」
「ねぇ信吾。こんな人クルーに居たっけ?」
「ねぇ。この人制服着てないよ?」突然の出来事に訳の分からなくなっている二人をよそに流亥が言った。
よく見れば確かにその通りで、胸元を大きくはだけさせた、襟だけ臙脂色の黒シャツにベージュのワイドパンツという、クルーとは程遠い格好をしていた。
「なにか様子がおかしい!」
椅子をひっくり返しながら三人は立ち上がると、信吾の後ろにファスラン、ファスランの後ろに流亥というフォーメーションとなる。
その時。青年とファスランの目線が信吾の肩越しに合った。彼は瞬時に目を見開く。
「ミツツケタキトキトキト……ファスラン」
「くっ、こいつファスランが狙いか!ゴールドマジック・ライデン!」
相手は言葉も通じそうになく、非力な身体が不気味さを醸し出している。信吾はスーツ姿に変身したはいいものの、喉は渇きに襲われた。
青年は足を擦りながら近づいてくる。少々苦しそうに長い前髪をかきあげると、零れんばかりの目の合間が蠢いているのが分かった。まるで眉間に無数のミミズが寄生しているようだ。
「な、なんだコイツ!やっぱり普通じゃねぇ!」
「……エイスお兄さん?」流亥は不意に人の名前を発すると、段々その顔の面影に気づいたのか、過去と現在のギャップに身震いしていた。
「知り合いか?」
「島の村にいた、エイスハルヒコって武器屋のお兄さん、だけど、こんな人じゃ」
動揺している流亥をなだめている間にもエイスは距離を詰めてきていた。こちらに近づくごとに彼の眉間は駄々をこねるように暴れ、その勢いを強めていった。
「うっ……ううぅぅ……」肩を掴むファスランの握力が強くなる。その喉から発せられる苦悶の呻きは聞き覚えがあった。
「苦しい……あの、時、ユグドラシルシステムの時と同じ……」
「ユグシスキトキト……マソ、キタキタキタ……」
「もうなりふりかまっちゃいられねえな!止まれって言っても止まんねぇんだろこの青髪野郎が!」
信吾は腰から空気を発射して勢いをつけながら超強力なタックルをかます、が、エイスが右腕で軽く払うと信吾は壁まで吹っ飛ばされた。
「ファスラン……ユグドラシルシステム……アウル……」
見知った単語を連呼するエイスは靴底を削りながらファスランへ近づいてくる。
「やめてエイスお兄さん!どうしちゃったの!」
流亥はファスランの後ろから爪を立てて威嚇をしているが、彼にエイスを爆破できる勇気は無いように思える。
するとその時、エイスの後頭部に冷たい筒が突きつけられた。拳銃だ。
「よぉ。いつ入ったのかは知らねぇが随分と好き勝手にしてるみてぇじゃねぇか」
滝が銃口を型抜きするかのように後頭部に押し付けると、躊躇せず撃った。至近距離から放たれたピンク色のエネルギー弾の威力でエイスは前のめりに倒れるも、危機を感じたのか彼は身体を波打たせて立ち上がる。そして腕を鞭のようにしならせて攻撃を仕掛けてきた。
「うわぁお!やっぱり!人間じゃ!ねぇな!」
当たったらただじゃ済まない事が想像に難くない攻撃を滝は避けることしかできなかった。
「おりゃー!こっちにも敵はいるんだぜ!」
英光も参戦し、銃を持って突っ込んできた。彼は銃を物理的に叩きつけるという単純ではあるが思いもよらなかった攻撃を繰り出し、一瞬エイスは怯むも、すぐに体勢を建て直して英光にも攻撃をし始めた。
これより食堂は、ヒットアンドアウェイ大乱闘の場と化した。
「成程ね……この子、頭にユグドラシルシステムを植え付けられて操られてるみたいね」大乱闘をモニター越しにブリッジで見ている鷺は落ち着いてこう言った
「でもほんとにそれだけ?こいつ身体能力エグいし、なにより防御力がパネェっしょ!生身だよ!」
エリカは叫ぶが、鷺は冷静沈着だ。
「それもユグドラシルシステムの力でしょうね。これは元来地球上の生物を操るコントロールセンターのようなものだって教えたでしょ?これを利用すれば生き物を生かすも殺すも自由自在なわけだし、弱った人間一人くらいなら覚醒していない苗の状態でもこうやって操って、身体能力を極限まで引き上げられるってわけよ。きっと、暴走した海獣も似たような原理でしょうね」
鷺は眉間の辺りを人差し指で円を書くようにして撫でていた。
「ここから導き出される必勝法は……」彼女は船内アナウンスのボタンを押しながらマイクに向かって話した。『蓮介!この子は予想外の攻撃で怯んでるように見えるわ。ユグドラシルシステムで身体的にも精神的にも進化しないうちに意識の外からの攻撃で拘束するのよ』
「意識の外って、もう俺は何の隠し種も持ってねぇぞ!」
「滝さん、もうこうなったらいきなり全裸になって襲いかかるしかないですよ」
「それじゃあビックリのベクトルが違うだろ!もっとこう……いきなり尻を触るとか?」
こんな冗談しか言えなくなった二人はもはやお手上げ状態であり、そんな二人にもう構う必要は無いと言わんばかりのエイスは、彼らを無視してファスランへ歩を進め始めた。
「キタキタキタキタ……」
「おい待て!抵抗しないとは言ってないぞ!……ぐふ!」
後ろから追っても来ることがわかっているためか、エイス軽く後ろに足を伸ばすだけで馬に蹴られた如き威力で吹き飛ばされる滝。
「キタ、ユグドラ」
再びエイスの目が見開かれ、白目の面積が拡大。ユグドラシルシステムの胎動は激しさを増していた。ファスランの腰は完全に抜けていた。
だが、彼の手がファスランの肩にかかろうとしていたその時、彼は突然後ろにひっくり返り、裏返った昆虫のように痙攣すると大人しくなる。
一同が怪奇の目でエイスのことを眺めていると、彼の背中側に青白い電気の放電現象が現れ、それと共にヘッドロックをしかけている信吾の姿が浮かび上がった。
「僕がいるってこと、忘れてもらっちゃ困るなぁ」
「信吾!」
透明化していた彼が退くと、エイスの身体は力なく床に落下した。
「電気を流しておきました。しばらくは起きないと思います」
「信吾……ありがとう」ファスランの恐怖で震える唇から必死に発声された感謝の言葉を信吾は静かに受け止めた。
その時、バタンと音がした。エイスが芋虫するように暴れ、パタ、ゴッ、ドンドン、バタンと足、頭、腰を不規則に床に叩きつけているらしい。
「なんだよ!もう動けんのかよ!」
こういって滝が銃を向けた時、鷺からの焦ったアナウンスが響いた。
『まずいわ!ユグドラシルシステムに脳が乗っ取られてる!』
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