魔物の子
アモーニス号のメンテナンス期間中、それどころか艦に入ってから全く誰からも相手にされていない流亥は半分怒り、もう半分は好奇心で艦の中をさまよっていた。そこではすれ違う人々全てが雑巾やバケツ、ブラシを持っていることに気づく。
(そう言えばあの金髪お兄さんが掃除してるって言ってたっけ?)
掃除という単語から村にいた時のことを思い出す。誰もいない家を掃除する役割は当然自分だったので、掃除の技術だけなら誰にも負けない自信はあった。
「よーし!ぼくだって役に立つってところみせてやる!」
流亥は早速見つからないように雑巾を取ると人気のない場所の掃除を始めた。しかし、木造の家と金属製の艦内では掃除のかっても違うようで、見つけた汚れもなかなか落とすことができない。
「おっかしいな~。こんだけ力入れても取れないな、ん、て!」
四つん這いになりながら力任せに腕を動かしていると、突然腹辺りを抱えられヒョイっと持ち上げられた。
「よっチビちゃん。こんなところで何してんの?」
「わぁ!だれ?」
「あれれ?そっか、まだ君はうちのこと知らないのか。そかそか。うちはエリカ。この船の……なんつーか……攻撃担当?」
「へぇー!よくわかんないけどカッコイイ!」
「嬉しいねぇ~ってか、ちょっと恥ずいかも……」
少年の羨望百パーセントの目線にやられ、エリカは目に手を被せた。
「で、君は一人で掃除かい?偉いね~」
「えへへ……お姉さんは?」
「うちはサボり。兵器いじり以外興味無いもん」彼女は壁にもたれ掛かると、制服のズボンの腰側に挟んでいた雑巾を取り出してニンマリしながら言う。「まぁでも暇は暇だし、一緒に掃除でもしながら時間潰さない?」
「……うん!」
流亥は全く無垢な返事を返した。
「ふ~ん、なるほどなるほど。魔物研究者の親ね~。そんな事で偏見持つなんてマジ見識浅いな」
身長百七十センチはある彼女の肩に乗りながら天井を拭く流亥は身の上話をしていた。
「うん。でも僕、変な目で見られるのを怖がって村になんの役にもたってないな~って思ってるんだ。今も結局村に一人でいることが怖くなってここにいるんだけど……ここでも結局約立たずだし……」
「ははっ!お子ちゃまなのに随分なお悩みを持ってるんだね~。うちが子供の頃とは大違いだ」
エリカはこう言って肩から流亥を降ろすと、そのまま彼の目を見て話を続けた。
「うち、魔物に育てられたんだ」
「え?それって……」
「流亥と違ってマジモンの魔物だけどね~」彼女は少々誇らしげに言った。
続いて二人は壁面の掃除を開始した。汚れはないのでワックスのようなものを塗って輝きを与える作業になる。
「うちを育ててくれたのは、魔物の中でも人に近い……魔人、なのかな?元々は魔王と同じ系譜の一族出身だったんだけど、王位継承問題で追い出されちゃったんだって」
「おうい……う~ん……」
「要は仲間はずれってことよ」
「仲間はずれ……」
「で、同じく生まれてホヤホヤの内に家族から仲間はずれにされた私を拾ってくれたの。最初はうちを魔王へのゲバルトの為に利用しようとしてたみたいだけど、いつの間にか本物の親子になってたの」
流亥は何となく二人の境遇と今の自分を重ねてしまった。
エリカの目線は過去に向いていた。その瞳には親代わりの魔人が映っているとも思える。しかし段々とその瞳は水分量が多くなっているように見えてきた。
「で、五年前。魔王が殺されて、力の弱った魔物は絶滅させられた。当然、うちの親もね。うちを誘拐した凶悪魔物として酷い殺され方をしたらしいわ。それから人の住む町に移ったけど、結局人とは恨み恨まれる生活だったわ」
「ぼくと同じ……?」
「そそそ」
エリカは自らの姿を反射する壁を見つめながらそう言った。
「次は床だね。ここがマジモンの鬼門だから覚悟しな!」彼女は固く絞った雑巾と謎の赤いスプレー缶を流亥に手渡してきた。「これ吹きかけてから拭いてみ。汚れマジ一発でパァだから!」
深い青色の床にこびり付いた茶色い汚れ。機械室からの油汚れだというが、これにスプレーを吹きかけてから拭うと不思議なことに力入れずとも簡単に汚れは消え去った。
「凄い!さっきあんなにこすっても落ちなかったのに!」両膝をつきながら流亥は感動する。
「でしょ。うちさ、掃除だけなら誰にも負けない気がするんだよね~。綺麗好き?っていうか」彼女も同じくしゃがみながら汚れを次々に落としていった。
黙々と作業をし、とんとん拍子で消えていく油汚れ。これと同時に流亥の心のしこりも取れていった気がした。
「はーいここの区画おーわり!もうしんどいから今日のところはこれでお終いにしよ」エリカは汚れた服を気にする素振りも見せず、雑巾等を腰にしまうとぐっと背伸びをした。そしてニンマリした顔をすると流亥の方を見下ろして言う。「流亥も疲れたっしょ。おすすめスポットあるからおいで」
「うん!」
エリカの小さい手に流亥の更に小さい手が重なった。
連れていかれた先は艦橋の真裏であり、日陰になっていて、艦尾から伸びる引き波が眺められた。暑い中船体に金槌を振るクルーたちの金属音を聞きながら、二人は日陰で潮風に当たりながらサボっていた。
「あー気持ち良。やっぱ海って最高だわ~」
「そうだね~、ぼくも海って好き!」
「だよね~、うちも流亥くらいの年に海を知りたかったな~」
エリカは目を細めて至高の時を満喫していた。そんな彼女の姿を見て流亥はある疑問を抱く。
「ねぇねぇ。エリカお姉さんはさ、なんでこの船に乗ろうって思ったの?」
これを聞き、彼女はピクっと身体を震わせ、苦笑いしながら振り返ってきた。
「あちゃー。痛いところ聞かれましたな。まったく、子供の好奇心は怖いね~」こう少し誤魔化すような言い方をしながらも彼女は流亥に向き直り、真剣な眼で語り始めた。
「あの日、大津波が来たあと本格的に住む場所を失ったから、海に入って魔物に会いに行こうと思ったの。あの頃はまだ海獣だなんて知らなかったからね。で、やっぱ海にいたのはうちの知ってる魔物じゃなかった。それに、海水で汚染されたせいで髪の伸びるスピードが鬼速くなったし、色もうっすい金に水色の斑ってクソダサくなったし……。うちにとっての海の第一印象は良くはなかったの」
エリカはポニーテールを右肩越しに垂らして眺める。流亥は、なるほど珍しい髪色は汚染されたせいなのか、と納得する。
「でもね、うちがどうしようもなく海に浮かんでると、アモーニス号が助けに来てくれたの」エリカは話を続ける。「今までのうちは世間知らずの出来損ないだったけど、艦長とか他のクルーも暖かく迎えてくれたわ。その中でも前任の砲撃主の遥香さんは優しくて、うちを一番可愛がってくれたの。でもね……」彼女は唇を噛み締めた。「遥香さんは、わたしの目の前で死んだ。魚雷を撃ち込まれて、その衝撃で」
その話をする事に彼女の表情はきつくなってきた。
「うちが遥香さんの代わりにならなくちゃって思ったの。そのためにはいつまでも役立たずじゃいられない。その気持ちはクルーも受け止めてくれたわ。そしてうちは、今、ここにいる」
エリカの力強い台詞を聞き、流亥は上瞼を下瞼に叩きつけることしかできなかった。凄く良い話をされたのだろうが、今の彼には話の全容は理解できなかったのだ。
そんなポカンとした表情の流亥を見てエリカは脱力しながら言った。
「焦んなくていいよ。ここの皆は誰でも受け入れてくれるから」
「……うん!お姉さんができたなら、ぼくにもできる気がする!ぼくもお姉さんみたいになりたい!」
「お、言うね~。……じゃ、とりあえず謝らないとみたいだね」
「へ?」
何やらバツの悪そうな顔をしているエリカの目線の先には腕を組んで仁王立ちしている鷺の姿があった。
「エリカ……魚雷発射口の開閉実験があるから来てって何度アナウンスしても来ないと思ったら、こんなところでサボってたのね」
「いや~これはマジで違くて……いや、違くはないか。ほら、流亥も謝ってるのでこの通り!ご容赦ください!」
「良いわけないでしょ!それになに他人を巻き込んでんのよ!早く来なさい!」
「ひゃ~!流亥!うちみたいになったらダメだよ~!」
「……もうちょっと、頑張ってみよっ!」
襟を掴まれて引きずられるエリカをみて顔に笑顔をともした流亥は雑巾を握りしめて再び船内に走っていった。
時は夜。海面上。月の明かりが道となり、闇夜に浮あがるように見えるアモーニス号に向かって一隻の木船が近づいてきていた。
「キタキタキタキタ……アモーニスにキタキタキタキタ……」
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