女の園
ファスランは階段を駆け下りながら顔をしかめた。不規則な鉄階段の金属音が自分の歩調にもかかわらず心を不安にさせる。
(もうなんなの!このままじゃ私が悪いみたいじゃん!)
自分の心をさらけだしたのにも関わらずそれを受け入れられないという現実。自分と彼とでは育ってきた環境自体が違く簡単には分かり合えないという現実をありありと見せつけられた気がした。
その時、目の前に壁がせり立った。ファスランは考え事に集中しすぎて目の前のそれに気づかす、全体重をぶつけた反動で尻もちを着いてしまった。強くぶつかった鼻が赤くともる。
「あら、そんなに焦ってどこ行くの?」
「……鷺、さん?」
そこには鷺が立っていた。人がぶつかってもビクともしない彼女の体幹に驚きつつ、ファスランは起き上がりながら彼女をよけて先に進もうとした。
「待ちなさいファスラン、どうせ暇なんでしょ。ちょっと来てもらいたいの」
鷺は瞬時に後ろを向くと顔だけファスランの方に向けて言ってきた。その神々しいまでに素晴らしい姿勢で身体構造を主張しているような彼女の格好を見て、ファスランは一瞬にして気圧されてしまった。
(いったいどこで何をされるんだろう……まさか、私が今一人だから実験体にされるとか、ないよね……)
ファスランは指先まで筋肉を硬直させながら鷺の後ろを弱々しくついて行った。
「ふぅ……お風呂なんて久しぶりね。私もあなた達を引き入れてから忙しくてね、入浴できてなかったの」
正方形で灰青色の大きなバスタブの縁に後頭部を乗せ、背中を反るような姿勢で鷺は言った。
そう、ここは浴場の中。泳げそうなくらい広い湯船にはクリーム色の湯がはられていた。
「私も、海以外の水に浸かるのは随分と久しぶりです」
「でしょうね。でも、このお湯だって海水を使ってるのよ」
「そうなんですか!?」
ファスランが動くと湯船の水面が揺れた。
「えぇ。取り込んだ海水をフィルターに通して、塩とクリティウム、その他の不純物をこしとる事で無害な水にしてるの」
鷺は両手を器にして湯をすくいながら続けた。
「それで、いいリラックスになったんじゃない?あんな些細なことで信吾くんと喧嘩するなんて、きっとハードな日が続き過ぎて神経が苛立ってるのよ」
「……もしかして、鷺さん、私の事心配してくれてるんですか?」
「はぁ!?そんなことないわよ!」鷺は何故か焦ったような口調でそう言ってくる。「一人でも不機嫌なのがいると、狭い船内に蔓延するのよ、負の感情が!」
「でもそれって、クルーのこと心配してるってことですよね。……鷺さんって、思ってたより優しいんだなって」
「……なによ。それまでは優しくないとでも?」
「最初は、ちょっと。でも私たちのことも心配してくれますし、何より滝さんとのやり取りを見てると……」
「滝は関係ない」彼女はそうのぼせた顔で言って立ち上がった。「ほら行くわよ。あんまり入ってると茹でダコになっちゃうわ」
ファスランは水の滴る白い肌を追って湯船を出た。
続いてファスランは、十六畳ほどの広さでベッドが二つ並行に配置された小綺麗な部屋で白いカットクロスを着せられていた。
「えっと……なんで散髪を?」
「女子乗組員が来たらやってることなのよ。入った時に髪を切れば、目的を達成した時に髪が伸びた分成長したんだって思えるでしょ?」
「じゃあ、エリカさん、も?」
「そうよ。昔は無口な子だったけど、今じゃ大声でクルーをどやすくらいには成長したわ。髪もポニーテール作れるくらいには伸びてるしね」
こう鷺に言われ、ファスランはエリカのこんもりとした高めのポニーテールを思い出した。
「へぇ~。ってことは鷺さんも切ったんですか?」
「私は……五年前、この艦に初めて乗った時に何も考えずバッサリいっちゃったの。ただ邪魔にならないからって思ったけど、長い方がいいって言ってくれる人もいるし。ただそれだけよ」
鷺は自分のうなじにかかるくらいの髪の毛を触りながら言う。彼女はテキパキとファスランの髪をとき始めた。
しばらくして、ファスランが沈黙を破る。
「あの……この船って、女の人、鷺さんとエリカさんしかいないんですか?」
「そうね。今はファスランを入れても三人だけだわ。昔はもう三人いたんだけどね」昔を懐かしむように鷺は言った。
ファスランは恐る恐る聞く。「その、三人っていうのは今は?」
「……一人が死んで、二人はそれを見て抜けたわ」
あまりに衝撃的な言葉に口が先に動く。
「えっ、一体何が?」
「ある日ね、クリティアスの魚雷がブリッジに直撃したことがあったの。その衝撃で一人放り出されて、機材の角で頭を打って死んだわ。ほんと、あっけなかった。それを聞いて二人は抜けたわ。遺体を埋葬するために上陸した時、船を降りたの」
ファスランの髪を撫でる鷺の手つきは優しかった。
「そんな、ことが……」
「思い返せば、あの時の私は今のあなたみたいだったかしらね」
「へ?」
「蓮介がさ、毎日毎日、『まだここに居てくれないか。世界を救う為には君たちの力が必要なんだ』って女の子達に言ってたの。それで、あなたみたいに行き場の無い気持ちを英光達にぶつけちゃってたわ」彼女はもう乙女だった。
「ふーん、じゃあやっぱり滝さんのこと好きなんですね!」
「はぁ!?そんな話、してないでしょ!?」
ジョキン、と派手な音をたてて髪が切られた。振り返ると、真っ赤になった鷺が誤魔化すように話を続けた。
「……とにかく!私が言いたかったことはね、信吾くんを許して欲しいってことなのよ」
「信吾を?……で、でも……」
「いい?勇者になりたい男ってのはね、誰かのためじゃなくて、誰ものために戦いたくなるのよ。滝だって女の子たちのメンタルケアを毎日してたし……困ってる誰ものために何かしたいって思うのは勇者の性なの、きっと」
「そうなんですか」
「相手が自分をどう思ってるかなんて気にしたって仕方ないわ。だって相手の気持ちなんて変えられないんだからね」
チョキン、と子気味いい音を立ててファスランの髪は切られる。それは、彼女の憑き物が取れた心を象徴しているようにも思えた。そして、この色恋沙汰を期に話に花の咲いた二人は散髪が終わるまで途切れることなく会話を続けたのだった。
「ありがとうございました……えへへ、やっぱり、鷺さん私たちのこと心配してくれてたんですね」
「もう。なんとでも思ってなさい」
二人は艦長室のドア前にいた。ファスランは元々髪に覆われていたうなじを何度も触り、その短さを肌身で実感していた。
その時、通路の奥から声が聞こえてきた。
「……にしても英光さん釣り上手いですね。一投目でかかるなんて思いませんでしたよ!」
信吾の声だ。ファスランはこれを聞き付けてパァっと顔を明るくすると、その表情を鷺に向けた。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
心を通い合わせた彼女らに余分な言葉は不要であった。
「信吾ー!」
「ファスラン!?どこ行ってたの?心配したんだよ」
「そんなことよりさ、今の私、さっきまでと違うと思わない?」
ファスランはモデルのような立方をして自らの変化した部分を強調する。
この状況から危険な匂いを感じとった英光は信吾からコソコソと離れた。
「あ~、ほんとだ。服着替えたんだ。似合ってるよ」
信吾はファスランが入浴後身につけた鷺のお下がりを見ながらこう言う。すると、ファスは煮え切らない感じで言葉を漏らした。
「そうだけど、そうじゃない!」
二人が真に心を合わせるのはまだまだ先の話のようだ。
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