アモーニスの危機

 あの戦いから一日経ち、朝になると船内アラームがいっせいに鳴った。ただ、起きたとしても朝日を拝むことはなく、いつもが昼で、いつもが夜な気もしてしまう。外の世界とは隔絶された潜水艦の中で、彼らが今まで生きてきた地上とは全く違う感覚を味わうこととなった。

「もー!なんで昨日起こしてくれなかったの!ぼくもめいんぶりっじに行きたかった!」

 そんな信吾らの朝はただをこねる流亥によって始まった。彼も昨日の戦闘を皆と一緒に楽しみたかったようだ。

「しょうがないでしょ、流亥くんは寝てたんだから」

「じゃあ起こしてよー!」

「そんなこと言われたって……」このじゃじゃ馬にファスランもたじたじな様だ。

「あのなぁ流亥、あんまりワガママ言うからファスラン困ってるだろ?」信吾が助太刀する。

「でもぉ……仲間はずれは嫌だよお……」

「別に仲間外れにはしてねぇよ……。もう終わった事は言うなって、俺たちはお前のパパママじゃないんだからさ」

「……お父さんお母さん?」

「あ」

 やっちまった、と信吾が思った時には、悲しみと怒りで頬を膨らませ涙をためた流亥は部屋の隅で固まってしまった。

 瞬間、ファスランから送られてくる侮蔑の目。

 信吾が彼女に「わざとじゃなかったんだ」と手のひらを合わせながらジェスチャーを送ると、「謝るのは私にじゃなくて流亥くんにでしょ」と怒られてしまった。

 朝なのに気持ちの良い目覚めとはいかなかったが、もう眠気などなかった。

「……ねぇ信吾。私ここから出たい」

「ムフッ!……へ?」部屋に置いてある硬いパンを食べていた信吾は口内のそれを思わず吐き戻した。

「何だかここ、衣食住はあるのに人の住むべき場所じゃないっていうか、命を感じられないの」

「そりゃ、潜水艦だからな」

「ん~説明が難しいけど……なんかそう感じちゃうの!」

「でも、今ここから出るとまたクリティアスに攫われるかもよ」

「……だとしても、私は私の生きるべき故郷、温かい場所で暮らしたいの。だからそこを探す旅をするってこの前話したじゃない。この潜水艦はそれじゃないわ」

「ファスランの生きるべき場所ね……やっぱり魔王城とか?」

「……」

 やっちまった、と信吾は数分ぶりに思う。どうやら彼は人の地雷を踏むのが得意なようだ。彼女からの侮蔑の目線が痛い。部屋の中は曇天の中のようになってしまった。

 いたたまれなくなった彼は部屋を出て艦内をうろついた。しかしなんだろう、来て一日と日の浅い彼にも今の艦内状況が異常だということが感じられる。会う人会う人全ての作業員が焦り顔で走り回ってしているのだ。

「こりゃ、柔らかいパンはありますか、なんて聞いてる場合じゃなさそうだな」

 真相を確かめるため信吾はブリッジに向かった。

 艦橋に入ると、机に突っ伏している滝を除いて、鷺、英光、エリカがモニターにずっと向かっていたり、どこかと通信していたりした。

 入ってきた信吾に気づいた鷺が話しかけてくれる。

「蓮介ね、この緊急事態に二日酔いなの。ついでに寝タバコして火傷して凹んでやがる」

「何があったんですか?」

「魚雷の発射口が開かなくなったのよ」

「え!それって攻撃手段がなくなったって事じゃないですか!」

「鷺さん」エリカが振り返って鷺に話しかけた。「やっぱり原因はイカに巻き付けられた時にできた発車扉の歪みっすね~。信号自体は正常ですし、内部では開いたこととして処理されるから、もう物理的に無理やりかっ開くしかないかも」

「そう……」こう呟くと鷺は滝の元に歩み寄り、彼の襟を掴んで持ち上げた。「ほら蓮介!起きなさいよ!最終決定権はあんたよ!」

「う~ん、あんまり大きな声出さないで……」

 その時、英光も振り返り、ヘッドホンを首に下ろしながら大きな声で言った。

「船首方向五キロ先より潜水艦接近!三分後には接敵します」

「いてて……英光までデカい声……」

「蓮介、どうするの?」

「もう逃げるしかなくね?」

「どこに」

「……中央海嶺整備場までいけるか?」これを聞き、英光はモニターとにらめっこを始める。

「行けます。けど……距離が遠すぎます。この間に襲撃されないとは言いきれません」

 結論は出なかった。クリティアスの潜水艦と接触するまで残り二分を切っていた。

「……僕が行きます」

 クルー全員が信吾を見た。

「前に海に生身で入った時気づいたんですけど、今の僕は水の中で息もできるし、まるで陸にいるように動ける。そういう能力があるんです。行かせてください。今こそ恩返しの時なんです」

 暫し静寂となったが、滝が頭を痛そうに抱えながら起き上がり言った。

「よし、ハッチを開けろ」

「ちょっと蓮介!いくら打つ手がないからって信吾くんだけを危険に晒すなんて!」

「そうですよ!」

 鷺は立ち上がって声を上げ、英光もそれに続いた。その声に頭を痛そうに目をしぼめ、ゆっくりと立ち上がりながら続けた。

「涼子、敵との戦いを渇望し仲間を守らんとする勇者を止めるのは簡単じゃないぞ」

 滝は信吾の鎧となった胸を拳で叩いた。

「なんで僕が勇者目指してることを……」

「ファスランから聞いたんだ。あの島での出来事もな。それに、顔と身体みれば君の努力が分かるよ。行ってこい。できるだけの援護はする」

 滝は真っ直ぐな目を向けてきて、他のクルーからも「艦長が言うのだから信じよう」と言った感じの目線を感じる。

 だからこそ、信吾は言えなかった。自分が他の人のために戦ったのは、戦うという行為こそが自分を勇者であると肯定してくれるものであると感じているからであると。やらない善よりやる偽善なのだろうが、根本には利己的な思想が見え隠れしているのだ。仲間のためになんて、そんな崇高な考えは彼にはなかった。

「敵潜水艦目視可能距離まで接近!」

「ハッチ開いたよ~」

「行ってこい」

「……了解」

 青年は初めて誰かのために出撃した。


『あー、あー、信吾聞こえるか?』

 耳に詰めた粒から英光の声が聞こえてくる。

「はい。聞こえます」

『よしきた!相手の動きは逐次報告するからお前は迎撃と攻撃だけを考えてくれ』

「了解です」

 太陽光の届かぬ真っ暗な深海。それを照らすのは己のパワードスーツから放たれる黄色い光だけだった。ふと海中を見回すと雪が降ってきた。

『マリンスノーってやつだな』滝が先んじて言う。『深海で見られる謎の現象だな。いつか人間なら発生原因を突き止められる、そう信じてるものの一つだ』

『こら。そんな気取った話してないの』鷺の怒る声が聞こえる。

『エネルギー反応上昇中!信吾、攻撃来るよ!』

「了解。……ゴールドマジック・ライデン!」

 人に詠唱を聞かれるのは小っ恥ずかしいが、組んだ手の先から放たれた黄金の魔法は海中を駆けて魚雷を迎撃した。

『すげぇぞ信吾!かっこいー!』

「あんま言わないでくださいよ恥ずかしい!」滝からの黄色い声で彼は赤面した。

 そんな恥ずかしさをかき消そうと、彼は腰から水を噴射して敵潜水艦へと向かっていく。

『おいよせ!単騎行動は!』

「僕は勇者です!みんなを助けさせてください!僕を勇者にしてください!」

『……意外と自分勝手なのね、あの子』

 信吾はアモーニス号からぐんぐん離れてクリティアス仕様の潜水艦の前で停止する。半球の隙間隙間から突き出る大砲がこちらを覗いているようにも思えた。

「大きい……こんなに大きいのを壊すなんて僕にできるのか?……いや、やる。やらなきゃ。なぜなら僕は」

 勇者だから。その言葉を口に出せないまま、信吾は組んだ両腕を垂直に上に挙げ詠唱した。

「ゴールドマジック・ライデンA!」

 左手首を掴んで伸ばした腕を上に向け、脚を肩幅に開いたその姿はまさにAの様相を呈している。彼の身体全体から放たれる黄金の光は雷のように屈折しながら潜水艦へと向かってゆき、ぶつかると衝撃波をあげた。

「やった!命中だ!」

 黒煙を上げて傾く潜水艦。しかし勇敢にも砲身を伸ばして信吾の方に向けてくる。そこから放たれる魚雷は信吾の耳元をかすめ、うちの数発が信吾に命中して吹っ飛ばされてしまった。

「かはっ!……こりゃあ、スーツ着てなかったら、死んでなよなぁ……」

 ひび割れてしまったスーツに気を配っていると、かの潜水艦は吹っ飛ばされた彼の方に再び砲身を向けて狙いを定めていた。

「な!?やばい!」

 腰の移動装置は先程の被弾で上手く機能しておらず、信吾は両腕を顔面前に構えてガードのポーズをした。その時である。

『信吾ぉー!見つけたぁー!!』

 耳の栓から聞こえる声。肌を通じて感じる海水の振動。そして視界に飛び込んでくる我らのアモーニス号の船首!

『滝さーん!突っ込んじゃいますよー!』

『構わん!突っ込め突っ込めー!』

『うちも子供っぽい奴らばっかりね……』

 そんな会話が聞こえた後、アモーニス号は本当に潜水艦に突っ込み、そのまま潜水艦を押して押して岩肌に押付けた。しかし、しぶとくも潜水艦の機能は生きているようで、今度は砲身をアモーニス号の方に向けていた。

「ゴールドマジック・ライデンA!今度は徹底的に、やらせてもらう!」

 先程よりも図太く放たれた魔法は敵潜水艦にのみ当たり、今度は大爆発して木っ端微塵となった。

『信吾……』滝がこう呟く。

 周囲は黒煙でおおわれ、ブリッジからは目視ではなんにも見えない。しかしそれが晴れていくと、メインブリッジの真正面に黄色い光が見えてきた。

『……よくやった!』

 滝はにっと笑って拳を突き上げた。それにつられて英光とエリカも親指を立て、鷺も嫌そうながらに小さく手を挙げてくれた。

「……やったぞ」信吾もそう小さく小さく呟いてガッツポーズをした。

『信吾……』

 ただ一人、後からブリッジに入りこの光景を眺めていたファスランだけは悲壮感漂う顔で信吾を見つめていたのだった。

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