アモーニスの新入生
信吾は目を覚ますと、そこは布団の上だった。頭や身体は柔らかな布団で包まれて気持ち良く、何より優しい電気の明かりが心地よい。ゆっくりと上半身を起こして起き上がると、目の前は壁だった。どこかの施設に入れられたのだろうか、クリティアスとの戦いから記憶が曖昧だ。
(結局あの後どうなったんだ?あの潜水艦はなんだったんだ?勝敗の行方は?そして何より……)彼は腕を天井に向けて掲げ、大きく伸びをして言った。「ここはどこなんだ?」
「潜水艦の中よ」
声がした。ファスランの声だ。ゆっくりと横をむくと彼女が椅子に腰かけていた。そしてなんと彼女の膝上には流亥がすぅすぅと寝息をたてていた。
「あの後ね、海獣も居なくなってから乗せてくれたの。ふらついてるとクリティアスに狙われて危ないってね。正直この潜水艦も謎だし怪しいかなって思ったけど、私達を助けてくれたのは事実だしいいかなって。入った時の人も優しくってね、ぐったりしてる信吾を見てベッド貸してくれたのよ」
「どんな人だった?」
「う~んとね……偉そうな、人?」
「偉そうじゃねぇ、偉いんだ!」
突然金属質な壁の向こうから声が聞こえてきたと思うと、壁の一部が横にスライドして開いた。その向こう側には通路の壁にもたれかかっている無精髭に天然パーマの黒髪という見た目の三十代くらいの中肉中背の男性がいた。クリーム色のつなぎの袖と裾をまくっている。
「俺がこの艦の艦長。滝蓮介だ」
「滝さん、ありがとうございます。こんないいベッドで寝かしてくれて……」
「構わないさ。このベッドなんて、アモーニス号にあるごく普通のもんだからな!」滝はそう自慢げに言いながら部屋に顔だけ突っ込んできた。「つまりアモーニスは衣食住の揃った万能潜水艦ってわけだ!そして、その艦長である俺は当然……」
彼はこう鼻息混じりに弾丸トークをかましてきた。自分のコレクションを自慢する子供のように輝いた瞳と赤らんだ頬を見て、信吾は自分を助けてくれた男に対して神格化ではなく親近感を感じるような気がした。
「……くさ」
ふと、興奮した滝に水を差すようにファスランが言った。五畳程の部屋に一瞬して蔓延した謎の臭いに信吾も言われてから気づき思わず顔をしかめた。
「ん?そうか?俺は全然分かんねぇけどな……」能天気に彼が臭いを嗅ぎ始めた時、突然派手な音と共に滝は部屋に倒れてきた。ドアの奥、滝の尻があった部分にはタイツに覆われた細い脚があり、どうやら彼が不意をつかれて蹴られたということが分かる。
「ほら、困ってるでしょ。あんたはスモーカーなんだから臭いの原因が自分ってことくらい気づきなさいよ」
そこにいたのは小柄な女性だった。うなじを覆い隠すくらいの長さの髪で、赤茶色のブレザーに黒とグレーのチェック柄になっているスカートを履いている。
「涼子いたのかよ……あぁ、すまん。こいつは鷺涼子。この艦の副長だ」
滝は壁に手をついて立ち上がり尻を抑えながら鷺を紹介する。すると、鷺は彼の尻を叩くように掴みかかり、握るようにつねりながら言った。
「私の紹介よりも謝罪の方が先でしょ?」
「あ……はい……」
滝と鷺は艦長と副長だそうだが、やり取りから何となくパワーバランスが見て取れる。
「すまん二人とも!ついさっき吸ったの忘れて部屋ん中に顔突っ込んじまった!」
「……ファスラン、大丈夫?」信吾は、自分の発言のせいで滝を惨めな目に合わせてしまったと思っているであろうファスランに声をかけた。彼女の顔にはちょっとばかりの罪悪感が浮かんでいるようにも見えた。
「うん、全然平気!私思ったことをすぐ口に出しちゃうからさ」
彼女はこめかみを人差し指でかきながら恥ずかしそうにした。
「お、許されたかな?良かった~!」
「あんたは……子供に気使わせてなに脳天気なこと言ってんのよ!」
「いでででで!」安堵したばかりの滝の左足を、鷺はローファーの踵で思いっきし踏んだ。
その時である。『船尾方向二・七海里に大型の移動物体あり。恐らくクリティアスの潜水艦と思われます。滝さんと涼子さんは至急艦橋に来てください!』と、アナウンスが入った。
「おっと来やがったな。ファスラン狙いだとしたら、あの時つらつら逃げといて恥知らずな奴らだぜ」滝は天井のスピーカーに向かって腕組みしながら言った。
「そんなこと言ってないで早く行くよ」
「おう!じゃあ信吾、ファスラン、お前らも一緒に行くぞ!新入生はまず見て覚えるもんだ」
二人はキョトンとして目を見合った後、もう行ってしまった滝の背中を見失わないように追いかけた。
艦橋内は艦長席を中心として弧を描くように席が配置されている。滝が艦長席に手を着くと、正面にいる金髪青眼の男が振り返らずに報告してきた。
「滝さん、敵勢力は潜水艦二つに海獣一体です。恐らくマーダー型タコ系海獣マダコスかと思われます」
「わぁおタコかよ。捕まえる気満々だな」
「逃げるのが懸命じゃないかしら?」
「いやぁ?この先にも待ち伏せ部隊を置いてる気がしなくもねぇな。英光、どう思う?」
「進行方向に微弱な反応が検知できます。野生の海獣かよ知れませんが、警戒するに越したことはないですよ」
「よーし決まりだ!船尾方向にいる敵部隊に対して攻撃を仕掛ける!潜水艦を破壊次第海獣は無視して逃げるぞ!」
「了解!」
アモーニス号はスピードを落とし、船体中の砲門を開きながら180度水平に回転すると、アモーニスは後ろ向きになり敵部隊に向かって進み始めた。相手の潜水艦は真っ黒な半球が面を水上に向けているような見た目で、表面は段々になっている。その時、段々から白い筋がこちらに向かって伸びてきた。
「攻撃です!」
「迎撃体制よーい!ぶどう弾発射……」滝がこう言い切る前に、アモーニスからも魚雷が飛ばされ白い筋を作る。その魚雷は途中で開き、中から四方八方に細かい弾が拡散して相手の攻撃を全弾迎撃して見せた。
「言うの遅すぎ」艦長席から見て左手側に座っている白と水色に交互に染められた派手な長髪の少女が言った。「マジいつも言ってるよね?いい加減覚えてくれない?」彼女は長い髪の間から鋭い眼光を覗かせた。
「手厳しいなエリカは……あははは……」滝は完璧に落ち込んでしまったようだ。
「もう蓮介!こんな時になに意気消沈してんのよ!」
今、信吾は自分自身がどこかも分からない深海での争いの最中にいるのだと思うと、まるで現実味がなく夢見心地だった。
現在、アモーニスと敵部隊は完全にお見合い状態だ。
「……よし、発進だ」
「え、発進ですか?」
「あぁ。全速力で敵部隊の下を通過して逃れる。底擦ってもいいから全力で頼んだぞ英光」
「了解!」
「それとエリカ。上方向に爆雷を撃つ準備をしといてくれ」
「……あーね。なるほど。りょ!」
仲間に指示を終えた滝は最後に鷺の方に目をやると、今までの会話内容とアイコンタクトだけで彼女も作戦内容を理解したらしく、小さくため息をついた。それから信吾たちの方に目配せして言った。
「これから揺れるから気をつけた方がいいよ。無茶な作戦だけど、あいつ無駄使いが嫌いなの」
「あの、これから一体何を……」
その瞬間、機体が大きく横に揺れたと思うと次いで縦に揺れた。
「最大出力、百八ノット!もう底ガリガリしたまま行きますよいいですね!」
「あぁ行け行け!エリカ!敵部隊の下部通過まであと十だ!」
「言わんくても分かるしー!」
激しく揺れる中、エリカは机から生えるレバーの赤いボタンを親指で優しく押した。すると船体から勢いよく魚雷を上方向に飛ばす。それは先程の迎撃用ぶどう弾と違って勢い衰えずに敵潜水艦と海獣に命中した。その時に発生した爆風はアモーニスにまで及び岩肌に叩きつけられる。
「あばばばばば……よっし成功!このまま逃げるぞ!」
「了解!」
滝の作戦指揮により敵の攻撃をほぼ貰うことなく抜けることができたようだ。しかし、逃げ切れそうと思ったその時、再び船体が大きく揺れ、動きが止まった。
「敵海獣、本艦に取り付きました!」
大きなタコは、動けなくなった敵艦の間から顔を出して大きな青い目をこちらに向けており、触手の一本をアモーニスに巻き付けていた。
「あちゃーやられたか。しゃーないエリカ、触手切り落とすだけの攻撃をくれてやれ」
「え~でも~、これ撃っちゃったら爆雷無くなっちゃうよ?」
「うっそだぁ!どうすっか……」
これは滝の節制癖が出てしまっているようだ。信吾は自分が今外に出て電気魔法を食らわせてやる案を提案しようとした、その時。
「やめて、大丈夫」静かになった艦橋内にファスランの小さな声が響く。「もうあなたを操ろうなんて悪い人はいなくなったから、私達に構っていないで広い広い海を泳ぐといいわ。きっとそっちの方が素晴らしいもの」壁で見えない海獣に向けてファスランは優しく語りかけた。すると、するりと触手が解けて海獣はどこかへ行ってしまった。
「こりゃ……思ってたよりすげぇやつを入れちまったみたいだな」
困惑しながら口元には笑みを浮かべた滝。アモーニスは静かな海底を震わせながら進んでいった。
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