二人の漂流者

 目を覚ますと、そこは砂の上だった。口の中や爪の中も砂だらけで気持ちが悪いし、何より照りつける陽の光が痛い。飛び上がるように起き上がると、目の前は海だった。どこかの砂浜に打ち上げられたのだろうか、魔物との戦いから記憶が全くない。

(あの後結局どうなったんだ、あの子は何者だったんだ、勝敗の行方は?そして何より……)彼は冷えた唇を震わせて言った。「ここはどこなんだ?」

「私も知らない」

 声がした。女の声だ。みっともなく驚きながら振り返ると女の子が体育座りしていた。セミロングくらいの濃色の髪の毛を垂らしていて、黒色で袖口と股下が白く縁どられた半袖短パンに紫色の薄いシースルーな上着を羽織ったというの格好だった。頭に巻いているパープルの髪飾りが潮風に揺れている。

「私はここがどこかなんて知らない」彼女は繰り返しそう言った。「ただ、どうしようもなくて助けを求めたらあの子が『迷惑をかけたせめてもの罪滅ぼしだ』って言って運んでくれたの。わざわざね」

 何を言っているのかいまいち要領が掴めないが、とかく彼女の何らかの働きかけによって助かったようだ。こう改めて見ると彼女は見慣れない顔立ちをしている。外大陸の人間だろうか。海が遮断されてからは滅多に見る機会が無くなったものだ。彼の少女への好奇心は最高潮に達した。

「僕は柳田原信吾。君の名前は?」

「ファスラン」

 ぐー。

 彼女が名を名乗った瞬間、かなり大きめな腹の虫の音が聞こえた。少し恨めしそうにファスランが信吾を見た。「あんたが起きるまで一日中ここにいてやったんだから、お腹くらい空くわよ」と言い、赤らめた顔を隠すように彼女は腕の中に顔を沈めた。

 確かに信吾もお腹は空いている。改めて彼が周囲を見渡すと、小さな港に船があったり、浜から丘に繋がる道も整備されている。つまり、有人島である可能性が極めて高いのだ。

「行こうファスラン!」信吾は彼女の左手を取った。「ここに町があれば食べ物もあるし、もしこの島がどこか分かれば君の家にも帰れるかもしれない!」

 キョトンとした顔のファスランを連れて丘を駆け上がる信吾。それはまるで暴れ犬に引っ張り回される飼い主を見ているようだった。


 『エルダー村』と書かれた看板は潮風で朽ちている。浜から丘をひとつ超えるとある盆地に形成された、木の柵で囲われているだけの小さくて可愛らしいこの村は数十人の兵士によって守備されており、物々しい雰囲気を醸し出している。二人が村に近づくと兵士の中でも格上の存在と見られる一人が声を張り上げて静止を要求してきた。

「遂に出たな魔物!この村には絶対に入れんぞ!」

「え?一体なんの事で……」信吾が聞き返すもそれは耳に入れない様子で矢が飛んできた。それは彼の胸に当たると、カランと金属音を響かせて地面に落ちる。鏃は縮こまるように変形していた。

「見たか皆の者。かの男も魔物であった!防具も着ずに矢を受けて平気でいられるのは魔物しかいない。そうだろう!」

 うぉー!、と他の兵士も虚勢を張る。何やら様子がおかしいと考え、信吾もファスランの前に入り身構える。それを見て再び兵士は声を上げた。

「男が女を守ろうとしているぞ。やはり二人共魔物なのだ!貴様らの中にも見たものがいるだろう。かの女が海の魔物と会話をしている所を!」

 兵士のうぉー!という空元気な声が再び青空に吸い込まれる。恐らくは恐怖心でいっぱいなのだろう。怖いから偽りの声を上げて恐怖心を和らげようとしている。仕方の無いことだ。村の中ではお芝居でも見ているつもりなのか人だかりができており、その熱い視線に応えるためかついに兵士達は二人に向かって叫びながら走ってきた。

「これは何かマズイ!ファスラン、逃げるぞ!」そう言って信吾は彼女を振り返るが、彼女は下唇を軽く噛みながら襲い来る人々を見つめていた。「何してんだ!行くぞ!」再び彼はファスランの手を取って丘に逆戻りするような形で走っていく。

(あれ……やっぱり何かおかしい。鎧ってこんなに軽かったっけ?)

 そう思いながら鉄鎧を身につけた兵士群をぐんぐん突き放し丘の頂点へ。信吾はこのまま船を奪い逃走する計画を立てていたが、魔法モーターエンジン式の船をすぐに動かせる自信は彼になかった。立ち止まり、少し躊躇っているのがバレたのかファスランが袖を引っ張ってきた。

「ねぇ、あっち。洞窟がある。ゴミいっぱいあったから人が来ない所かも」

「……わかった!もうそこに行こう。もしアイツらが来るようなら守ってやるから」

「……うん。こっち」

 今度は彼女に導かれるように洞窟へと向かった。かの洞穴は彼らのいた浜、そこに切り立つようにある崖の中程にあった。二人が並んで通れない程細い、崖とスレスレの所をカニ歩きしながらどうにかして行くが、そんな道をファスランは飛ぶように一瞬で渡ってしまった。怖いもの知らずなのだろうか。

「はぁ、怖かった。高いところはどうもなぁ」

「高所恐怖症ってやつなの?」

「いや、恐怖ってわけじゃないんだが、得意じゃないだけで……」

「嫌いってことじゃん」

「ぐぬぬ……勇者たるもの、高い場所でいちいち恐怖を感じてるようじゃ駄目だからな。しゃんとしなきゃ。それにいいこともある。これだけ細くて危険な道なら大軍で押し入られるってことはないだろうぜ」

「勇者、ね……」ファスランはそう呟くと綺麗めな石に腰掛け、うなじの辺りの髪を縛った。それを見て信吾は肩を上げて分かりやすくハッとする。

「そういや、まだ僕が勇者……っていうか、勇者志望生だってこと言ってなかったよな。僕のお父さんがすげぇ勇者でさ。ずっと憧れてたんだけど、いよいよ憧れで終わりそうなんだけどね」

「そんなことない」ファスランは少々震えながら食い気味にそう言って続けた。「だってあの時、私を助けてくれたじゃん!あんなこと普通やろうだなんて思わない。制度か何かで認められてないのかもだけど、あんたはもう心に勇気を宿してる。それはもう私にとっては勇者だよ」

 熱く話したのが恥ずかしくなったのか、こう言いきったのち彼女は腕に顔を沈めた。

「……ありがと」満更でもない信吾は力が抜けるようにして岩肌に背中を預けズルズルと座り込む。

「そう言えばさ」信吾が続けた。「あの時魔物に襲われてたの、やっぱりファスランだったんだな。なんであんな所にいたんだ?」

「魔物じゃなくて海獣」再び遮るように彼女が発した。

「カイジュウ?」

「海の獣。魔物よりは適切な言葉だと思うわ。あの子たちは魔素汚染で強制進化した魔物とは違うから。……私があそこにいたのは……」口を腕に埋めながらゴニョニョと話しているため聞き取りにくい。信吾が彼女の声を聞こうと思い耳を澄ませた。

 ぐー。

「……なんだ?」

「いいでしょ別に!結局ご飯食べてないんだから!」

「そっちじゃない、足音だ!」

 ファスランも黙って耳を澄ますと、確かにズズッズズッっと先程の細い道を足を擦って歩く音が聞こえてくる。二人は息を殺して突然の来訪者出現に備えるのだった。

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