5話─フィルの想い、アンネローゼの決意
「……はあ、危うく墜落するところでしたよ。身の危険を感じたのは久しぶりですね……」
「ごめんなさい、フィルくん。私興奮すると周りが見えなくなっちゃうとこあるから……」
「やれやれ、言わんこっちゃない。お前は昔っからそうだからなぁ」
どうにか無事に基地へと帰り着いたフィルとアンネローゼ。スーツをベルトに格納し、談話室にてゆったり身体を休めていた。
ひたすら平謝りするアンネローゼを見ながら、事の子細を聞かされたオットーはため息をつく。
「まあ、問題が起きなかったので平気ですよ。でも、いきなり抱き着くのは出来ればやめてほしいです。……は、恥ずかしいので」
「ふふ、フィルくんってばうぶなんだから。そういうところが可愛いのよね、ホント。それっ、むぎゅー!」
「うわっぷ! もう、言ったそばから!」
ベッドタイプのソファに寝転んでいたフィルに抱き着き、じゃれるアンネローゼ。だが、いつまでもそうしてはいられない。
フィルの
「では、始めましょうか。初日ですから、まずはインフィニティ・マキーナを身に付けて動くことに慣れるのを目標にしましょう」
「ええ! バッチコイよ、やってやるわ!」
再びバルキリースーツを纏い、アンネローゼは広い訓練場で運動を行う。フィル指導の元、スーツの重量に慣れるための特訓を始めた。
「いっちに、さんし。ストレッチをしっかりやって、身体をほぐしましょうね。硬いままだと、怪我をしちゃいますから」
「そうね、学校の先生もそう言ってたわ。ストレッチは大事よね」
準備運動を終えた後、二人は軽くランニングを始める。訓練場を走りながら、アンネローゼは気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、フィルくん。一つ聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」
「なんでしょう?」
「昨日、私たちを助けてくれた理由を話してくれたじゃない? その時に、二つ目の理由を話してくれなかったけど……聞きたいなぁって」
「う、そ、それは……」
問いかけられたフィルは、動揺してしまう。ほんのりと頬が朱に染まっており、アンネローゼから視線を外す。
「教えてよ~。私、一度気になったらずっと考えちゃうタイプなの。ね、ね、いいでしょ?」
「うー……分かりました。じゃあ、ちょっと休憩しましょうか」
アンネローゼにグイグイ押され、フィルは観念して理由を話すことにした。一旦ランニングを中断し、隅にあるベンチに並んで座る。
しばしの間沈黙した後、フィルは意を決して話し出した。先日話さなかった、もう一つの理由を。
「……半年前の、パプルゼネク領で行われた感謝祭のこと覚えてますか?」
「感謝祭? ええ、もちろん」
ヴェリトン王国では、一年の終わりに感謝祭が行われる。無事に一年過ごせたことを神に感謝し、祈りを捧げるお祭りだ。
各貴族たちは自身が治める領地にて、各々が趣向を凝らした感謝祭を行うのが慣わしとなっている。当然、ハプルゼネク領でも同じだ。
「実は僕、ハプルゼネク領での感謝祭に参加してたんですよ」
「えっ!? そうなの!? ぜ、全然気付かなかったわ」
「博士に頼まれて、お使いに来ていたんですけど……パレードを見てから帰ろうと思って、こっそり路地裏から大通りを覗いてたんです。その時に……」
「その時に?」
途中まで話した後、フィルは黙ってしまう。アンネローゼが首を傾げていると、意を決したフィルが大声で叫ぶ。
「パレードに参加してるアンネ様を見て……僕、一目惚れしちゃったんです!」
「……えっ!?」
フィルのカミングアウトに、アンネローゼは固まってしまう。思考が追い付かず、完璧にフリーズしてしまっていた。
「でも、アンネ様はカストル王子と婚約してるってことは知ってましたから……僕、初恋を諦めるつもりでいたんです。でも、想いを捨てきれなくて……時間が経つにつれて、どんどん胸が苦しくなってきて」
「フィルくん……」
「だから、今回……不謹慎にも、嬉しいって思っちゃったんです。アンネ様が婚約破棄されて、もしかしたら僕にもチャンスが……なんて思ってしまって。おかしいですよね、身分が釣り合うわけないのに」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、フィルは語る。胸の内を明かす彼を見て、アンネローゼは沈黙していた。
「ごめんなさい、こんなこと聞かされても迷惑でしたよね……」
「そんなことないわ、フィルくん。むしろ、嬉しいくらいよ。カストル王子は確かに婚約者だったけど、私のことを権力増強の駒くらいにしか思ってなかったもの。あんな奴に比べたら、フィルくんの方がとても立派よ」
うなだれながら謝るフィルを抱き締め、アンネローゼはそう答える。今回の婚約破棄騒動の前から、カストルは露骨に彼女を軽んじていた。
幼い頃はそうでもなかったが、成長して野心が高まるにつれ……いつしかカストルは、アンネローゼを『道具』扱いしていた。
ハプルゼネク家を取り込み、己の権力基盤を盤石なものにするための駒として。
「今回の騒動がなかったら、私の方からお父様に相談するつもりだったのよ。王子との婚約について考え直してくれないかって。まあ、その前にあっちから破棄してくれたけど」
「そう、だったんですね。何だか意外です」
「ふふふ。でも、何だか嬉しいわ。そうやって真心がこもった好意を見せてくれたの、お父様やメイドたち以外だとあなたが初めてだもの」
カストルが方針を変え、ハプルゼネク家を滅ぼす路線に舵を切ってくれたことで、逆にアンネローゼは安堵していた。
フィルの目尻に溜まった涙を指で拭い取り、柔らかな笑みを浮かべる。真っ直ぐフィルを見つめ、今度は彼女が想いを打ち明ける。
「私ね、憧れてたの。大地のあちこちに現れて、悪を成敗して去って行くシュヴァルカイザーに。だから、嬉しかった。あの日、火炙りにされるはずだった私とお父様を助けてくれたことが」
「アンネ、さま……」
「あの時の胸の高鳴りは、今もずっと続いてる。ううん、もっと強くなってる。あなたの気持ちを知れたから」
フィルが自分を好いてくれている。ならば、答えなければならない。そう決心したアンネローゼは、少年を抱く手に力を込める。
「私ね、子どもの頃からずっと考えてたの。王子と結婚して、恋を知らないまま生きて死んでいくんだろうなって。でも、あなたに出会えて分かったの」
「何を、ですか?」
「……フィルくん。私も、あなたが好きよ。あなたがシュヴァルカイザーだからじゃない。純粋な一人の人間として、あなたを愛したいの」
アンネローゼの言葉に、フィルは目を見開く。そんな少年の髪を撫でながら、少女は言葉を続ける。
「あなたと触れ合っていると、心が満たされていくのを感じる。カストル王子といる時には味わえなかった、暖かな気持ちになれるの」
「で、でも……僕たち、出会ってからまだ二日なんですよ? お互いのことも全然知らないし、そんなすぐには……」
「あら、恋に時間なんて関係ないわ。お互いのことは、これから知っていけばいいのよ。時間なんて、いくらでもあるんだから」
「本当に、いいんですか? 僕、まだ十二歳ですよ」
「いいじゃない、私だってまだ十七よ。五歳くらいの年の差婚なんて、貴族の世界じゃ普通のことだわ。気にすることなんてないわよ?」
及び腰なフィルに、アンネローゼは自信を持ってそう言い切った。初めての恋を知った彼女は、もう止まらない。
相手の想いを知ったフィルは、深呼吸をする。そして、アンネローゼに問いかけた。
「では……アンネ様、僕と……お付き合いしていただけますか?」
「ええ。この身果てるまで、ずっと一緒よ」
フィルの想いを受け止め、アンネローゼはそう答える。返事を聞いたフィルの目尻から、涙がこぼれて落ちていく。
「よかっ、た……。う、ふぐ……」
「お互い、初めての恋が実ってよかった。恋をすると、こんなに暖かい気持ちになれるのね……」
一度は諦めた初恋が実ったフィルは、喜びの涙を流す。そんな少年を抱き締め、アンネローゼもまたもらい泣きするのだった。
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