序章 『アインウルフの帰還』 その10


 ペペロンチーノを食べ終わり、三人で赤ワインを開けた。若い赤ワインもフルーティーで悪くないが……マルケスの別荘の地下にあるワイン蔵で熟成していた、この赤ワインも美味かったよ。


 いっぱいにふくらんだ胃袋に、赤ワインを少しずつ注ぐ。朝から怠惰なまでに欲望を満たしてくれる食事だったな。


 ……だが。


 ノンビリし続けているわけにもいかん。酔うほどのワインも呑んじゃいない。オレたちはビジネス・モードに移行する。


「まずは、これを見てくれ」


 テーブルの上に、マルケスは『オールド・レイ』の地図を広げた。丸まった羊皮紙の端っこを手のひらで押し広げていく……。


「しばらくのあいだ、使われていなかったようだな。情報は、古くないのか?」


「ふむ。最良の地図とは言えないが、書かれたのは四年前だ。おおざっぱな地形は変わらないし、私が告げておきたい『脅威』かもしれない人物の本拠地も、しっかりと描いてある」


「『脅威』かもしれない、か。ずいぶんと手加減を感じる言い方だな」


 『脅威』と断言してくれるなら、オレとギュスターブには分かりやすい。二時間後には殺してやるんだが……そういう対象ではないってことだ。


「正直なところ、『彼』が私にどういう態度を取って来るのか、少し想像することが出来なくてね」


「どういうヤツなんだよ、けっきょく?」


「複数の側面を持っているな。まず、この『オールド・レイ』にある大農園のオーナーの一人だ」


「……金持ちか」


「そうだね。それに―――」


「―――亜人種の奴隷のオーナーでもある」


 オレの言葉にギュスターブの表情が険しくなる。当然の反応ではあるがな。『自由同盟』に所属している亜人種としては、亜人種の奴隷の所有者に対して、大いなる怒りを覚えるに決まっているさ。


 だが、ビジネス・モードに入っているからな、ギュスターブもプロに徹する。自分の感情に囚われることだけに時間を使うことはない。言葉を使わない態度を選んでいた。状況を多く把握するべきだ。ここは帝国領だ。亜人種にとって悲惨な土地であることは想像がつくことだった。


「……そうだ。『彼』の名前は、『エドガー・ロバートソン』という」


「エドガー・ロバートソン。覚えたぞ。さてと、地図で言えば、そのロバートソンの家はどこだ?」


「いきなり攻撃するのは止めてくれたまえよ」


「分かっているさ。最優先事項は、お前の『家族』の無事を確保することだからな」


「……そうしてくれると、とても助かるな。さてと。ここだよ」


 地図の上に指は走る。丘陵地帯に広がるいくつもの大農園。そのうちの一つを、マルケスは伸ばして指でトントンと叩いた。


「南東か……『ニュー・レイ』という町にも近いようだな」


「んー?ここは、『オールド・レイ』だよな?」


「ああ。南東にあるのは、新しい開拓地でね。森と魔物が支配する土地だったのだが、私の父親の世代と……くだんのエドガー・ロバートソンが協力して、新しい町を作った」


「そいつが、『ニュー・レイ/新しいレイ』ってことか」


「うむ。私の父親やロバートソンたちにとっては、大きな功績だ。侵略で奪い取った土地ではなく、自力で切り拓いた土地だからな……もちろん、この9年は亜人種の奴隷たちを酷使してではある」


「業深さはあるな」


「私たちはそう感じるだろうが。ロバートソンにとっては、何ら恥ずべきことのない栄光の日々と答えるだろう」


「……感じの悪いジジイってわけかよ!」


「まあ、そういう印象を君は受けるだろうね、ギュスターブ」


「……そんで。そのオレたちドワーフを不機嫌にさせちまうジジイは、マルケス・アインウルフのどんな敵になるっていうんだ?」


「……ロバートソンは、これまで私の『最大の支持者』の一人だったよ」


「……支持者?敵じゃ、ないのかよ?」


「いいや。敵になるかもしれんな」


「どういうことだ、サー・ストラウス?」


「これまでのマルケス・アインウルフは、『ゲブレイジス/帝国第六師団』を率いる帝国軍の将軍だった。エリート軍人だからな。帝国の保守層には受けがいい……たとえ、本人がフェアに亜人種を扱おうとしていたとしてもな」


「なるほど。たしかに、『今のアインウルフ』と、『その頃のアインウルフ』は大きく違うっていうわけか」


「政治的スタンスは真逆だからな」


 帝国軍の最も優秀な将軍の一人から、今では『帝国軍の裏切り者』の一人となっているわけだ。ずいぶんと違う……という範疇じゃないな。


「かつての熱心な支持者が、最大の敵に変わるくらいには、ありえる状況の変化だな」


「まあね……そこが、私にも読めないところだ。ロバートソンは、傲慢なところもありはする男だが、常に私に協力と支援をし続けてくれた男ではある」


「敵にしたくないってのかよ?」


「そうさ、ギュスターブ。感情的には複雑なものがあるんだよ……父親の世代からの付き合いがある男だからね?……この別荘にも、招いたことがある……」


「……帝国の保守派。つまりは、ユアンダートの支持者ってことだ。侵略戦争による領土拡大も、亜人種を奴隷にすることも許容している傲慢な男か」


 ドワーフだけじゃなく、ガルーナの竜騎士さんも好きになれそうにない人物ではあるな。


「オレもサー・ストラウスも好きになれそうにないヤツだってことは、一致しているっぽいな。そいつのことを、ぶっ殺すってのはどうだ?」


 ギュスターブの瞳は、じっと『ニュー・レイ』に程近い、ロバートソン農園とロバートソン製材所を睨みつけている。


「どっちも、ゼファーの協力があれば、二時間もしないうちに焼き払うことが出来はするんだよな、ギュスターブ」


「だろう?」


「だが。この土地は、あくまでもマルケスの土地だ。そして、オレたちの仕事はマルケスの『家族』を、今後、危険になるであろう、帝国領から脱出させることだ。どう行動すべきかについては、マルケスの判断に従うのが、ベストだ」


「……分かった。それで。どうするんだ、アインウルフ?」


「……正直、私の妻子を逃亡させることは難しくはない」


「そうだな。そのために、ゼファーがいるんだ。だが、マルケス。お前がオレたちにロバートソンのことを『相談』するということは、今後の動きこそを心配しているのだろう?」


「……ソルジェくんに隠し事は出来ないね。そうだ。私は、自分の妻子については安全が保障されている状態だと考えている。しかし……私と妻が去り、アインウルフ家の力が消え失せてしまえば、この土地の支配者はロバートソンになるだろう」


「ヤツも貴族か?」


「アインウルフ家の遠縁ではあるね。爵位は持ってはいないが、息子たち5人を帝国軍に従事させて、3人を死なせた。私を支援するという形ではあったが、帝国軍に大量の物資の補給と金銭的な支援を行ってくれた。何度も、勲章をもらっている名誉市民だ」


「……マルケス・アインウルフが消えれば、傲慢な保守派のロバートソンが、『ニュー・レイ』だけでなく、『オールド・レイ』も掌握するということか……そうなれば、懸念すべきことが一つある」


「そうだぜ。そいつは、亜人種を奴隷扱いすることを、何とも思ってはいないんだろ?」


「……ああ。私が心配しているのは、そこだ。ロバートソンとその部下たちが、私への失望と怒りを、亜人種に対しての暴力として注ぐのではないか……それが心配なのだよ。帝国の各地で、亜人種への残酷な暴力と私刑を目撃してきた私には……どうにも、心配なんだ」




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