第2話

 美波はくるみと別れた後、一人で小道を歩いた。


 この小道は美波の家への近道で、少し人通りが少ないがはやく帰ることができるので使用している。



「(それにしても、くるみの様子が変だったなぁ)」


 別れ際に美波の方を決して振り向くことのなかったくるみの姿を思い出す。


 別に怒っていそうな様子でも、辛そうな様子でも、悲しそうな様子でもなかったので特に問題はない…と思いたかったのだが、美波は親友が心配で仕方がなかった。




「(あ!確か家でオハナ型のクッキーがまだ残ってたような気がする。渡したら喜んでくれるかも〜後でくるみに渡しに行こーっと)」


 そんなことを考えながらスキップして家まで帰る。



 家に着き、玄関で靴を脱いでいると母がリビングのドアから美波を覗いていた。



「ママ、バレバレだよー」



「美波ちゃんおかえりなさい、バレちゃったか〜」 母はお団子頭の茶髪の髪を撫でて「あちゃー」とでも言いた下げな表情で微笑んだ。



 どんなときだって母はいつも美波をこうして「おかえり」の言葉を欠かさず言って出迎える。


 そんな母は母親として身なりも整っており、家事だって掃除だって難なくこなせる美波にとって自慢だった。




「あ、ママ、昨日買った残りのクッキー貰っても良い?」



「良いけど何に使うの??」



「くるみに渡したいのー」



「わかったわ、とってくるね〜」



 それから美波は制服姿のまま母からオハナ型クッキーが入った紙袋を受け取り、そのままくるみの家へと向うため家を出た。



 くるみはこのクッキーを渡せば少しはこちらを振り向いてくれるだろうか。

 クッキーには彼女の大好きなナッツやくるみが入っているから、きっと喜んでもらえるはずだ。



 正直、このオハナクッキーはくるみの気を引くためだけでしかなかった。ただただ美波はいつもの彼女を見たかった。迷惑だったとしても。




 この時の美波はくるみが言っていた「すること」の存在など頭の片隅にも残っておらず、完全に忘れ去っていたので躊躇うことなくくるみの家にインターホンの音を響かせた。


「くるみ、おーい…………くるみ?」



 くるみの返事を待っていたが、数分経ってもくるみの声が返ってくることはなかった。





「あれ開いてるじゃん」



 美波は扉に鍵がかかっていなかったことに気づき、よくはないと思ったが一度も入ったことがないくるみの家に足を踏み入れたくなった好奇心から扉を開く。


 中は薄暗く、嗅いだこともないような生臭い匂いが美波の鼻を曲げた。

 勿論その匂いは臭かったし、すぐにでもこの場から立ち去りたい気分だったが、くるみに会うため迷うこと無く美波は足を進めた。





「あれ?もふすけちゃんがいない、?」




 辺りをこまなく探してもその匂いの原因は見つけることが出来なかったし、他の部屋を覗いても匂いが強くなることも、くるみや彼女の愛猫もふすけを見つけることだってできなかった。


一つの部屋を除いて――





 扉を開けずともこの異臭の原因がこの部屋だとわかった。


 扉の隙間という隙間から放たれる鼻につくこの匂いから守るため、美波は自分の鼻を片手で強く摘んでもう片手でドアノブに手をかけて扉を開けた。


 開ければ勿論、嗅いだこともないような異臭が美波を襲ったのだが、それよりも恐ろしい状況が美波の瞳にはうつっおり、鼻を摘むどころではいられなかった。







―くるみが首を吊っていた



 彼女の美しいグレージュの髪が、短い髪が、細々した体が、宙にういていた。



 美波は驚愕し、怯え、震えた。親友がこんな姿になって死んでしまっているのだから。



 ついには美波は呼吸が荒くなり、正常では立っていられなくなったのでその場でクッキーの袋を床に大胆に落とし、自分自身もするっと座り込む。



「くるみぃぃぃぃぃいいい!!!!!」



 美波は震えた声で叫ぶ。

 今は涙なんて自然と流れてこなかった。ただ、状況が理解できずに脳が混乱してしまっている。



「美波を……おいて、いかないでよ」





 

 一旦呼吸を整えた美波は我に返り、異臭が放たれている方へと目を向ける。

 そこには手術用のトレーにのせられている物体があった。美波はそれを直視する。



「………!」


 それは子猫の死骸だった。そして解剖でもしたかのように耳や片目、尻尾などが取り外されており、その隣には黒っぽい血のついたナイフだって置いてある。


 異臭の原因はこれだ。死んで数週間、もしくは数ヶ月経っているのか生臭く、美波は猛烈な吐き気に襲われた。




「ぅ…」

 居ても立っても居られなくなった美波は血のついたそのナイフを手にした。



「く、るみ……待って、てよ」


 そう小さく呟きながら美波は自分の首にナイフを突き刺そうと両手で強く握った。




―その瞬間



「―え?」


 美波の背後から何者かの手が伸びていて、ナイフを突き刺そうとしていた手は思いっきり抑えつけられていた。



 美波は後ろを振り返る。

 振り向けば辛そうな顔をした廉の姿があった。


 彼は廉、田代廉。美波とくるみのクラスの学級委員を務めており、美波の想いの人でもある。


 だが今はそんなドキドキする状況でもないので、美波は抑えられた廉の手を思いっきり振り払った。



「廉、やめて、美波は…もう一人じゃ…」



「……」



「れ、ん、?」



 彼は暗い顔して俯く。恐ろしいこの状態を前に思わず固まっているかのようにぴくりとも動きはしなかった。




 そもそも廉はなぜここにいるのだろうか。ここはくるみの家。土足で踏むこむような真似してまで入り込んだ廉には何があったのか。




「なんで、ここに、いるの…?」



「……。え、えっとね、轟さんの叫び声が聞こえて、ね」


 廉はとても顔色が悪かった。

 息を整えるためにすうっと深呼吸をして、自分を落ち着かせた様子だったが、表情から通常状態の廉ではないことがよくわかった。

「ほら、轟さん…警察に連絡をしてきてよ」




「あ、あ、う、う、ん」


 美波は落ち着きを取り戻せないままこの家から出てスマホで警察に通報をしにいった。







 くるみの私室に取り残された廉は膝をついて涙を流し、その顔に手を覆いかぶせた。


「なぜ、なぜ、なぜ…!! 僕の人形はなぜこんなにも脆いのだ!! ………」

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