第32話 五歳年下の彼女である葉山
「……はあ」
「まだ落ち込んでるんですか? 先生に言われたことなんて気にしなくていいのに」
そう言ったのは、葉山真麻。
俺の人生初の彼女だった。
「でもまあ、事実だし。何年もアシスタントやっているのに、同じ失敗ばかりしているからさ」
「……先生も最近忙しくてピリピリしているだけなんじゃないですか?」
「……確かに、そうかもね」
俺の彼女である葉山の言う通り、美田園先生の現場は最近忙しかった。
それもこれも、アシスタントがすぐに逃亡するからだろう。
週刊連載は忙しいとは知っていたが、俺もここまで忙しいとは思わなかった。
過労で死ぬんじゃないかって思った時もあったけど、俺はなんとかアシスタントを続けられている。
辞めていくアシスタントは、この現場は地獄だと言って去って行くけど、俺は初めてのアシスタントが美田園先生の現場なので他の現場と比較できていない。
だからどれだけしんどいのかも分かっていないのかも知れない。
「世の中には一人で週刊連載していたり、週刊連載を二本しているプロの漫画家だっているっていうけど、そいつら人間じゃないよな……」
「漫画家は普通の人じゃなれないかも知れないですね……」
葉山と付き合いだして数年になる。
付き合うきっかけは、どちらも美田園先生のアシスタントをやっていたからだ。
最初は暗い女ぐらいの印象しかなかったけど、よく見れば可愛いし、こんな俺のことを好きになってくれた。
それに、職場環境が特殊だから親密になったっていうのもある。
アシスタントは家に帰れないことも多い。
徹夜で美田園先生の家に泊まることも多く、朝から晩までいるのだから、仲は必然的に良くなっていくのだ。
同じアシスタントをしていれば、お互いに言葉を交わさずとも今相手が何を欲しているのか分かるようになり、その仕事の連携が、恋愛に発展したんだと思う。
仕事中だけじゃなく、今も心が繋がっている気がした。
「というか、いつまで敬語なの? 俺の方が後輩なのに」
「私、あんまり他人に敬語使うの苦手なんですよね。それに私の方が年下ですから」
彼女とは年齢が五歳も違う。
学生と違って大人になれば年齢差はあまり気にならなくなる。
だが、それは恋愛での話だ。
漫画家になってくると、その五歳差は相当な重さとなって心に響く。
「私も早く大賞を取って、プロになりたいです!!」
「あ、ああ。でも、読み切りは決まったんだよね?」
「はい!! やっと読み切りは決まったんですよ!! でも、私の年齢じゃ遅い方だって編集さんに言われました」
「そう、なんだ……」
「はい!! だから頑張らないといけないですね!!」
「うん、応援しているよ……」
葉山は色んな意味で若かった。
俺がどんな思いで漫画を描いているのか一切考えていない。
あまりにも純粋な女の子だった。
俺なんて漫画を何年も描いているのに、読み切りに挑戦したことすらない。
その権利も貰えていないのだ。
それなのに葉山は無邪気に自分の成功を喜んでいる。
俺がどんな気持ちになるのか想像もできないんだろうな。
「そういえば、この前、天音さんの意見が採用されて良かったですね!」
「ああ、まあ、どうってことないよ。人と獣との間に生まれたキャラだから、そういう葛藤ぐらいあってもおかしくないって思っただけだから」
「でも採用されて凄いです!!」
「まあ、ね」
葉山はいい子なのだ。
こうして褒めてくれる。
悪い子じゃない。
だから付き合っているのだ。
意見が採用されたっていうのは、俺が先生に自分の連載漫画についてのアドバイスを求められた時に、意見したことについてだった。
先生は才能があるし、天才だと思っている。
だが、登場人物一人一人の設定を考えるのは苦手だし、キャラの絵を描くのも正直下手だった。
だから、アシスタントに絵を描かせて、設定も考えさせるような人だった。
つまり、今の美田園先生の作品のほとんどはアシスタントによって構成されている作品だと言っていい。
道理で作品毎に違う作風だったり、たまに絵がガラリと変わると思ったのだ。
今の作品は俺の作品だといっていい。
ファンレターが届く度に、これは俺の作品だよってファンに返したいぐらいだ。
「天音さんはいつ漫画を出すんですか?」
「え?」
「最近、漫画を描いていない気がするんですけど、このままじゃプロアシになっちゃいますよ」
「描いているって、ちゃんと……」
プロアシ……プロのアシスタントか。
名誉でも何でもない称号だ。
アシスタントの中でも認められた人であり、世の中のプロアシでは年収一千万円貰っている人もいるとかいないとか。
そこら辺のプロの漫画家よりも、プロアシになった方が稼げるのが悲しい現実だ。
「確かにお金はまあまあ貰っているけど、このまま終わる訳ないから……」
「ですよね! 早く天音さんの新作が読みたいです!!」
俺はアシスタントでもその腕を見込まれ、チーフになった。
仕事内容を把握して、みんなに指示する側になったし、先生や編集ともある程度対等に話せるようになった。
昔はなるべく早くネームを出すようにはしていたが、今は忙しくなってそんな暇はなくなっていた。
いかに美田園先生の役に立つかだけを考えていた。
俺には才能がなかった。
自分で考えて、それを実行できるだけの才能が。
俺は一流のプレイヤーにはなれなかったのだ。
ただ、その代わりに一流の人間を支えることができている。
俺がいるから美田園先生の作品は連載が続いているのだ。
その事実が、俺の昔の夢を忘れさせていた。
どうせ頑張ったって漫画家にはなれないのだ。
一生アシスタントとして生きていたって、そこらのサラリーマンぐらいには稼げているのだ。
だから、もう、このままでもいい気がしてきた。
努力する意義が俺にはもうない。
「……それと、今日はどうしますか?」
「えっ、いや、ごめん。……疲れているみたいだ」
声のトーンで分かった。
夜のお誘いだ。
「分かりました。すいません」
「こっちこそごめん……」
この前初めて二人でそういうことになると思ったけど、直前で俺が萎えてしまったのだ。
いつもはいつでも準備オーケイなのに、肝心な時に俺の身体は俺の意志に逆らった。
――もう、やめましょうか。
そんな悲しい彼女の言葉が暗がりで響いたのをよく覚えている。
ネット調べたら、漫画やアニメとか特殊なものを見て知識を得た人間が、いざそういう行為になる時に萎えてしまう事が多いらしい。
確かに急に怖くなったのは事実だが、あまりにも情けなかった。
葉山は気にしないでいいと言ってくれたが、あれからというもの、俺は何かと理由を付けて葉山の誘いを断っていた。
葉山は誘う事自体恥ずかしくて、勇気を振り絞って誘ってくれたのは分かる。
でも、俺は怖くて怖くて仕方がなかった。
俺は仕事も恋愛もまともにできない男だった。
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