第28話 四者面談
「はい?」
インターホンを押すと、そこからは穏やかで優しそうな女性の声が聴こえて来た。
「河野未来さん所属の事務所『ビサイド』の社長の前澤と申します」
「…………」
前澤社長が名乗ると、声の主は戸惑ってしまったようだ。
声を出さないまま数秒が立つ。
「どうぞ、お入りください」
女性がそう言うと、インターホンが切れる。
入って来ていいと言われたので、前澤社長が玄関のドアノブを回す。
すると、いきなり修羅場の空気になる。
「ちょ、ちょっと、あなた!!」
「お前らか、ウチの娘を誑かしたのは!!」
恐らくキラリの母親と父親が口論していた。
父親の方は血管が浮き出るほど激怒していて、手が出てもおかしくない剣幕だった。
「初めまして。ビサイド事務所の社長の前澤と、彼女の担当マネージャーの天音です」
俺は父親にビビり散らかしていたが、前澤社長は修羅場をくぐってきた風格があって、キッチリと挨拶をした。
俺も前澤社長に遅れて頭を下げる。
「何が担当マネージャーだ!! 何が社長だ!! 訳の分からん仕事をウチの娘にやらせて!! お前らまともな大人ならなあ、子どもが下品な仕事をするのを止めろ!! ウチの娘はまだ高校生だぞ!!」
「あなた!! その言い方は!!」
「事実だ!! ネットで顔も分からん人間達に媚びを売って金を貰う仕事のどこがまともなんだ!! 娘に何かあったからでは遅いんだぞ!!」
どうやら俺達が来る前から、父親と母親は口論していたようだ。
キラリの姿が見えないけど、部屋にいるんだろうか。
だとしたら、この口論も聴こえてきそうなぐらい音量が大きい。
「私達が彼女のことは精一杯守ります。Vtuberは人物を特定されない為のものでもあります」
「だがウチの娘はSNSで炎上騒動になったそうじゃないか!! 顔だって世間に晒されているんだ!! お前らのせいで!!」
「……申し訳ありません」
キラリ本人が顔出ししていたのは、キラリ自身の意志だ。
Vtuberをやる前から個人で動画活動をしていたからであって、事務所は関係ないのだが、大人の判断で前澤社長は謝罪した。
ここで言い返したら、余計に父親が怒ると思ったからの判断なんだろうけど、正しかったんだろうか?
こちらの非を認めれば認めるほど、キラリの父親はヒートアップしそうなんだけど。
「いいか!! 二度とウチの娘に関わるな!!」
「申し訳ありません。ですが、未来自身が何と言っているのかを聴きたいんですが」
「何?」
「彼女が辞めたいというのなら、それでいいと思っています。ですが、彼女が続けたいというのなら、私達は全力でサポートしたいと思っています」
「ふざけるな!! 娘はまだ子どもだ!! そんな判断能力なんてないんだ!! そういうことは親である私が決めるんだよ!!」
前澤社長にはここに来る前に、余計なことは喋るなと言われている。
――いい、あなたは喋らない方がいい。
――で、でも。
――私が親御さんと話すから、あなたは横にいてお辞儀か、簡単な返答だけでいいの。いい? こういう時はね、同じ言葉を言っても社長の私が発言するのと、あなたが喋るのとで違うの。あなたが喋るだけで、親御さんは怒り出すかも知れないわ。
と、前澤社長から言われていた。
でも、キラリの父親の言い方はあんまりだった。
俺よりも年上なのは間違いないけど、それにしては業界に関して理解のない言葉だった。
「中学生でプロ棋士になった人や漫画家になった人だっています。子どもだからといってプロの世界に行けないという事ではないと思います。判断する能力だってあると思います」
「――なんだ、お前は?」
「天音さん!!」
前澤社長から黙ってろと言われた気がした。
でも、もう出したしまったものは仕方ない。
ここに来て初めてキラリの父親と眼が合った気がした。
「お前に何が分かる!! 結婚なんてしてないんだろ!! 娘がいないお前には何も分からないだろ!! 私は娘を守りたいんだ!! 挫折して娘が傷ついたらどうする!? あんな訳の分からないことが仕事!? どうせいつかは忘れられるだろ!!」
俺の左手の薬指に何もはめられていないのを確認したのだろう。
それとも俺のパッとしない顔でそう判断されたんだろうか。
いや、そんなこと今はどっちでもいい。
「キラ――未来さんは一生懸命やっていました。辛い思いをしているのに、それでも前向きに頑張っていました。努力しても正直成功するかどうかは分かりません。新しい業界なので業界そのものが数年後には飽きられているコンテンツなのかも知れません。――でも、そんなの全部そうじゃないですか!!」
どれだけ大企業であっても傾く時は傾くものだ。
安全だと言われているジェットコースターで事故が起きる時もある。
だけど、恐れていては何もできない。
それこそ、車に轢かれるのが怖いから外に出れないと言っているようなものだ。
まだVtuberを始める前にキラリを止めるなら分かる。
世の中そんなに甘くない。
成功している人は一握りなのだから、勉強しなさいと。
だが、キラリはもう成功している。
ちゃんと事務所に入って、Vtuberとして動画を上げて、それが世間の人から認められている。
倍率だけなら東大入学以上の成功をしているのだ。
だったら、親として子どもの夢を応援して欲しい。
「未来のことなんて誰にも分からないじゃないですか!! どの業界が衰退するのなんて誰にも分からないし、何が業績を上げるのかも分かっていない。Vtuberなんて最初の頃は批判しかなかったんです!! だけど、ここまで成長してみんなが憧れるような職業になるなんて誰も予想できなかったはずです!!」
「憧れ? あんなものが、か? 気持ちの悪いアニメーションで喋っているだけだろ。あんなの全部嘘だ。演技だ。嘘塗れの世界で匿名の者達が群がっている気色の悪い世界だ!!」
ネットという文化に触れてこなかった世代からすると、そういう見方になるのか。
俺はアニメやアイドル声優を観ながら育ってきたオタクだから、Vtuberも最初そこまで抵抗感はなかったけど、全く知らない人からしたら気持ちの悪いコンテンツなんだろう。
「その喋るってことが、一番嬉しいんです」
ただ、Vtuberっていうのは本当に新しいコンテンツだってことを伝えたい。
アニメや漫画など今までのものは、ただ受け取るだけのコンテンツだった。
だけど、Vtuberはリアルタイムで視聴者がコミュニケーションが取れる場なのだ。
受け取るだけではなく、視聴者も自ら自分の感情を発信することができる。
それをリアルタイムで感じることができるのが、Vtuberの一番の魅力だし、特徴だと思う。
「現実世界に居場所がない人にだって、ネットには居場所があって、それで救われる人だっているんです。自分の悩みや葛藤を聴いてくれるから、Vtuberにコメントをする人だっています。未来さんだって、Vtuberになってみんなと話して、笑っている時間だってありました。それは絶対演技なんかじゃなかったはずです」
この前の復活配信を横で観ていて思ったのだ。
キラリは何て楽しく配信するんだろうって。
「だが、心無い言葉をかける奴等だっているはずだ。コメント欄を見たがおぞましい連中ばかりだった。娘に気味の悪いコメントを書き込む奴だっていた」
「――はい、います」
「だったら辞めさせるべきだろうが!! 親として、子どもが潰れるのを黙ってみている訳にはいかない!!」
「だけど、未来さんは自分の意志で続けたいと思って続けています。苦しんでいる時だってありました。でも、それでもVtuberが楽しいから続けていたんだと思います」
俺が会ったばかりの時は笑顔なんて見せてくれなかった。
でも、それでも自分からVtuberを辞めたいなんて言っていない。
苦しみながらも配信をしたいって思っていた。
「この世に楽しいだけのものってありますか? Vtuberは楽で金稼ぎできるって世間からは言われていますけど、本当にそうですか? 漫画家だって一睡もせずに三日徹夜して、風呂にも入らずに一心不乱に原稿を書き続ける人だっています。それが、本当に楽しいだけで漫画を描いていると思いますか?」
自分が好きなことを仕事にできるって楽だなって世間の人は思うかも知れない。
でも、続けていく内に自分のやりたいことはできないことを知るはずだ。
クリエイティブな仕事だって、表現の規制があったり、担当者との意向が合わずに自分の意志を曲げてやりたくもない仕事だってすることだってあるだろう。
それでも笑っていないといけない。
周りの人間からは楽だと思われないといけない。
漫画家が自分の作品が嫌いなんてよくあることだ。
編集に無理やり書かされて、それで打ち切りになっても編集は責任を取らないなんてこと、漫画に詳しい人間だったら誰だって聴いたことがある。
それでもやり続けるのは好きだとか嫌いだとか、そんな単純な答えじゃない。
もっと言葉で言い表せないような感情があるから続けて行けるのだ。
それを親とはいえ、他人の意志で捻じ曲げるのはおかしい。
「どんなことをするのだって辛いことがあって当然です。だから、本当にマズイことになる一歩手前ぐらいまで、彼女の夢を応援してくれませんか? ただ親御さんの心配だって分かります。マネージャーとして、俺が全力で彼女をサポートします」
「貴様に何が分かる!! 娘の何を知っているんだ!!」
「俺は……」
何も知らないかも知れない。
キラリと出会ってそんな時間は経っていない。
それに、仕事の話ばかりで、プライベートのこと何も知らない。
どんな高校に通って、どんな勉強をしているのか。
どんな家庭にいたのかも、今日初めて知った。
だから、俺がまずできるのは、キラリのことではなく、自分語りだけだった。
「俺の昔の夢はプロの漫画家になることでした」
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