47羽目 「あたしはあなたの操り人形」

 三月ウサギは時計ウサギに負けたのだと自覚した。


 何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。三月ウサギの時間は完全に停止し、精神はどこでもない世界へと堕ちていった。


 だが、空間を操る能力は時間が停止していても使用できた。その能力により、かろうじで存在を繋ぎとめることが出来ていた。しかし、どこでもない世界はどこでもない世界である。何者にも存在し得ない場所であり、あらゆる時間からも隔絶された世界だ。そこで三月ウサギが得たものは永遠の無だった。三月ウサギは、何も考えず、何も思わず、ただそこに存在していた。


 しかし、ある時三月ウサギは気付いた。無限に続くと思っていたこの無の世界でも、時が流れていたことに。そうして時間は再び動き出した。


 三月ウサギは周囲を見渡した。色もなく、形もなければ匂いもない。温もりも光も存在しない。まさに無の世界であった。


 そんな中、微かに何か音が聞こえるような気がした。三月ウサギはその音を確かめようと耳をすませた。すると今度ははっきりと聞こえた。それは足音だった。何者かがこちらに向かってくる足音だった。三月ウサギはこの音の主に問いかけた。


「誰だ……?」


 三月ウサギは何者なのか確かめるためさらに近づいてみた。そして遂に正体を知ることが出来た。それは自身が操っていた人形――ルナであった。


「な、なぜ……お前が……」

「あたしはあなたの操り人形。だからあたしも、この世界に来たの」

「くっ……! ならもう一度眠らせてやる! お前は永遠に夢を見ていろ!!」


 三月ウサギは空間を歪ませ、ルナを壊そうとした。だがそれは失敗した。何故ならばルナの持つハンドスピナーから放たれたエネルギーによって相殺されてしまったからだ。それだけではなく、三月ウサギの懐中時計が砕け散った。それによって三月ウサギの力も消えてしまった。三月ウサギは自分の力が完全に無くなったことをすぐに感じ取った。


「ば、馬鹿な……。こんなことが……! 懐中時計が……壊れるなんて……!」

「当然だよ。だってもう、あなたの懐中時計は、あなたのものじゃなくなってるんだもの」

「どういうことだ!?」

「あなたの力は確かに強力だけど、でも所詮あなた自身のものではない。全ては懐中時計の力なの。そしてあなたは前の世界で時計ウサギに懐中時計を奪われた。つまりあなたはもう戦えないの」

「そ、そんなはずはない! 僕は僕の力でお前を倒してみせる!」

「いいえ、出来ないよ」

「どうしてそう言い切れる!?」

「今のあなたには戦う力が残されていないから」

「ふざけるな!!」


 三月ウサギは叫んで力を込めた。しかし、何も起こらなかった。三月ウサギは動揺する。その様子を見たルナはさらに追い打ちをかける。


「あなたは自分が強いと思っているけど、それは間違い。結局あなたがやっていることは自分にとって都合のいい世界を他人の物で作ろうとしているだけ」

「黙れ!」

「でもね、それも今日で終わる。なぜなら――」

「黙れぇー!」


 三月ウサギは怒りに任せて、力を発動させた。しかし何も起こらない。


「ふ、ふふふ……。どうやら本当に僕の能力は失われたみたいだな。でもだから何だって言うんだ? お前に僕を倒すことは出来ない! そうだ! 僕の能力が使えなくなったところで僕に敵はいない! 僕は誰よりも優れている存在なんだから!」


 ルナは静かに答える。


「ねえ、一つ教えてくれる?」

「ああ、何でも聞くといい! どうせお前は死ぬんだからな!」

「どうしてそこまで自分を肯定したいの?」

「ふん、愚問だね。そんなこともわからないのか? 僕はね、選ばれた存在なんだ。僕の思い通りに世界は動かせるんだ! それがこの世の法則なんだよ! 僕が望めば望むものが手に入る! それなのに! あいつは! チェシャ猫は! 僕じゃなくて時計ウサギを選んだ! おかしいじゃないか! 理不尽じゃないか!」

「うん、理不尽だと思うよ。なんで選ばれなかったのは、自分じゃなかったんだろうって感情は、すごくわかるよ」

「だろ!?」

「あたしには難しいことは分からない。それでも分かることもある。人は誰でも自分の意思を持っているということ。だから、あなたの行動も、あなたの言葉も、全てはあなたのものでしかない。あなたと同じことを、別の人が考えている訳じゃないの」

「うぐっ……」

「それにあなたはまだ気付いていないと思うけど、あなたはただのウサギ。あなたより優れている存在なんてたくさんいるの。例えばあの子――アリスとか」

「はぁ!? アリスだって!? あんなガキのどこが優れてるんだよ!? ああ!?」


 三月ウサギは激怒した。子どもよりも劣った存在と見下されることなど我慢ならなかったからだ。だが、そんなウサギの激情など意にも介さず、ルナは冷静に話を続ける。


「うーん、まあ、アリスにはまだまだ足りないものが多いよね。まだ大人になるにはまだまだ時間が掛かりそう。でもね、きっとあの子はこれからもっと成長すると思うの。色んな経験、知識、出会いを通して、ね」

「はぁ!? 意味わかんねぇよ!」

「あなたには絶対に理解できないかもね。それと、あとね……もう一つだけ言いたいんだけど……今のあなた、すっごく醜いよ」


 ルナは三月ウサギにそう言い放った。


「黙れ……」

「今のあなた、まるで嫉妬しているみたいだよ。本当は自分が選ばれるとばかり思っていたのに、選ばれなかったことに対して、自分じゃなくて、チェシャ猫に腹を立てている。違うかな?」

「黙れ!  黙れ!  黙れ! 僕は最強だ! 誰よりも優れているんだ! 僕こそが絶対なんだああ!」


 三月ウサギは叫んだ後、両手に持ったハンドスピナーを回転させ、無数の刃を出現させると同時に、それをルナに向かって投げつけた。ルナはそれを回避して反撃に転じる。ハンドスピナーを剣に変化させて、その勢いのまま斬りかかった。そして三月ウサギは、剣に胸を貫かれて倒れた。


「かはっ……馬鹿な……ありえない……」


 三月ウサギが血を吐きながら呟く。


「あたしね、思うの。みんなが自分らしく生きることが出来たら素敵だなって。でもそれはね、自分の為だけじゃなくて他の誰かの為でもあるんだよ。だから、自分が理想の世界を作っても、他の誰かにとっては理想ではない世界になっているのかもしれない。でもね、だからこそ、人は手を取り合って生きていくことが出来るの」


 ルナは三月ウサギの目を真っ直ぐに見つめて、言葉を紡いだ。


 三月ウサギは悔しげに顔を歪めた。だがすぐに、何かに気付いたような表情になった。


「そうか……お前は……そうなんだな……」


 三月ウサギの口調が穏やかなものへと変わる。ルナの言葉を受け入れようとしているようだ。


「だったら…………僕が……幸せになれる場所があっても……いいじゃないか…………なのに……悔しいよ……どうして…………僕じゃなかったんだろう……」


 三月ウサギは涙を流した。その姿はとても弱々しく見えた。今になってようやく自分の本当の気持ちに気が付いたのだった。結局は、チェシャ猫に自分を認めさせたかっただけだったのだ、と。しかしもう遅い。身体は既に消滅しかけている。


「あなたが本当に守りたかったのは……女のプライド?」

「ああ、そうさ……それが僕に残された最後のプライドなんだ……あいつ……時計ウサギみたいな女の前では……負けたくないって思ったのさ……それさえ失えば……僕はただの弱いウサギさ……」


 三月ウサギは消えゆく中で再構築されていく世界を見上げていた。まるでパズルのピースのように空間が次々とバラバラになって、新たな形を作り上げてゆく。


「アリスが望んだ世界に……きっと……僕はいない……僕はアリスに……時計ウサギに…………そして君にも……ひどいことをしたからね……」


 三月ウサギは自嘲的に笑う。その笑みからは寂しさが感じられた。


「それでも……願わくば……もう一度だけ……会いたい……」

「大丈夫だよ、それが誰だろうといつかまた、会えるよ」


 ルナは三月ウサギに優しい笑顔を向ける。


「気休めは……よしてくれ……」

「気休めじゃないよ」

「そんなはずない……どうせ僕のことなんか忘れるさ……」

「忘れたりしないよ。だってあたしたちは、同じ時間を共有していたでしょ? だからね、他のみんなはあなたのことを忘れても、あたしだけは、あなたを覚えてる。約束する」


 ルナは屈託のない明るい笑顔を浮かべる。三月ウサギは驚きに満ちた顔になる。ルナは自分の存在を受け入れてくれたのだ。それが嬉しかった。


「……ありがとう……僕なんかを……受け入れてくれて……」

「うん、いいんだよ。あたしたちの出会いって、おかしかったけど、それでも、なんだか楽しかったもん」


 三月ウサギは満足げに微笑むと、光の粒子となって消えた。そしてピースは、新たに構築された枠の中で、再び組まれ始めるのであった。

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