Second Wonderland

40羽目 「なに……これ……?」

「んっ………ここは……どこ……? わたしは……誰……?」


 そこは見渡す限りの草原だった。周りには誰もいない。空は青い。太陽が眩しい。草は青々としていて、風も気持ちいい。とても綺麗な場所だった。だけど、何も思い出せない。自分が誰かすら分からない。なんでわたしはこんなところにいるんだろう。自分のことが分からないなんて不安だ。これからどうすればいいんだろう。そうやって途方に暮れているときだった。目の前に突然小さな女の子が現れた。彼女は不思議そうな顔でこちらを見つめている。そして口を開く。


「ねえ、あなたはどうしてここにいるの?」


 それはこっちが聞きたいよ。わたしだって、どうしてここに来たのか知らないし……。でも……なぜかすごく懐かしい気がする。ずっと昔から知っているような感じがした。そのせいか、初対面なのに警戒せずに自然と話してしまう。


「わからないよ。わたしにも何が起きたのか……」

「そう。大変ね」


 女の子は表情を変えず、淡々とした声で言った。この子は一体誰なんだろう? という疑問はすぐに解消される。


「あたしは……そうね……リリアンヌ。リリアンヌよ」

「リリアンヌ……いい名前だね」

「そ、そう? あはは……と、ところで、あなたはなんて名前なの?」

「わたしは…………何も思い出せないんだ……自分の……名前も……」

「それってどういうこと?」


 わたしにはありとあらゆる記憶が無い。だから自分が何者かも分かっていない。そのことを正直に伝えることにした。するとリリアンヌは少し驚いた様子を見せた後、優しく微笑む。


「記憶喪失ってわけね。まあ、よくあることだわ」

「そ、そうなんだ……」

「うん。大丈夫よ。そのうち何かのきっかけで全部思い出すはずよ」

「う、うん。ありがとう」


 とりあえずお礼を言っておいた。だけどこれから何をしたらいいのかさっぱり分からない。そんなとき、彼女がこう提案してきた。


「せっかくだし、あたしの家まで案内してあげるわ。そこで色々話しましょう」

「いいの?」

「もちろんよ。困っている人は放って置けないもの」


 優しい人なんだなってわたしが思っていると、リリアンヌは手を差し出してきた。断る理由も無いので、彼女の手をぎゅっと握り返した。温かくて、柔らかい手だった。


 こうしてわたしは、リリアンヌに導かれて歩き始めた。目的地までは遠くなかったみたいで、少し歩くと町までやって来ていた。リリアンヌはその町にある大きな建物の前で立ち止まった。


「ついたわ。ここがあたしの家よ」


 そこはレンガ造りの大きな家だった。庭もある。まるでお城みたいな外観だった。呆気に取られて思わず見上げているとリリアンヌは言う。


「中に入りましょう。歓迎するわ」


 言われるままについて行く。家の中はとても豪華だった。ふかふかな絨毯が敷かれていて、立派なシャンデリアがあって、たくさんの調度品が置かれてる。それに天井が高くて広いから、すごく開放的な気分になる場所だった。リリアンヌの部屋まで通されると、彼女はソファに座るように勧めてくる。わたしが言われるがままそのソファに座ると、リリアンヌはわたしを抱きしめた。いきなりだったので戸惑ってしまう。


「ちょっ!? な、なにを……?」

「頑張ったわね……」


 リリアンヌの声が震えていることに気付く。泣いているみたいだった。なぜなのか理由は分からない。でも彼女は涙を流しながら、何度もそう呟いていた。そしてゆっくりと離れていく。だけど泣き止んではいなかった。わたしの顔をじっと見つめた後、今度は両手で頬に触れてきた。そしてわたしに、こう言った。


「いざとなれば、あたしがあなたのことを守ってあげる。約束よ」

「う、うん……」


 なんでそう言ってくれるのかはわからないけど、リリアンヌの言葉は嬉しかった。胸の奥が熱くなるのを感じる。するとリリアンヌは笑顔になってくれた。その顔を見て、わたしは少し安心した。


「あの……わたし、これからどうすればいいのかな?」

「まずは自分の名前を思い出しなさい。それが一番大切だと思うわ」

「そっか……。そうだよね」


 わたしは考え込む。だけど何も思い出せなかった。


「……ごめん。やっぱり何も思い出せない」

「いいのよ。きっとすぐ思い出せるはずだわ。心配しないで」


 わたしを慰めてくれる。なんて優しい子なんだろう。感謝していると、部屋の中に誰か入ってきた。白髪に赤い瞳を持つ男の人だった。わたしのことをその大きな赤い瞳で不気味にじろりと睨んでくる。リリアンヌはその男の人を見るや、わたしの手を引っ張って部屋から抜け出た。どうやらこの人のことを警戒しているみたいだった。


「逃げるわよ!」

「う、うん……」


 わたしはリリアンヌと家を飛び出して走った。訳もわからず走っているうちに後ろを振り返ってみると、男の人が追いかけてきていた。必死に走っているけど全然振り切れていない。むしろどんどん距離が縮まっている気がする。


「ど、どうしてこんなことに……?」

「あたしのせいよ。あいつはあたしを狙っているの」

「狙ってるって……?」

「いいから速く走って!」

「う、うん!」


 わたしは言われた通り全力で走り続けた。やがて町の外にまで出てしまう。それでも足を止めずに走っていると、急に目の前に大きな壁が現れた。


「な、何これ?」

「……まさか!」


 リリアンヌがそう言って振り返ったのでわたしも振り返ると、さっきの男の人がすぐ近くに迫っていた。しかも壁が勝手に動き出して道を塞いでしまう。わたし達が呆然としていると、男の人は余裕のある笑みを浮かべて言った。


「無駄だよ。僕の手からは逃れられない。絶対にね」

「くっ……」


 リリアンヌは悔しげに唇を噛む。わたしは彼女を庇う為に前に出ると、男の人に向かって叫ぶ。


「やめて! これ以上わたし達を追いかけ回さないで! そもそもあなたは一体誰なの!?」


 わたしはリリアンヌを守る為にも、声を振り絞って必死に尋ねた。すると男の人は、真っ赤に染まった歯を見せながら、わたしを指さして言った。


「お前を殺すためにやって来たんだよ」


 その言葉に、全身の血の気が引いていく。わたしを……殺す……?


「な……なにを……言ってるの……?」


 震える声で訊ねるわたしに、そいつは嘲笑いながら答える。


「僕はずっと、この瞬間を待っていた。お前を殺して! 僕が望む最高の世界を創造するんだ!」

「だから何を言ってるの!? 意味わかんないよ!」

「わからない? なら教えてやる! アリス、お前の力を使う時が来たんだよ」


 わたしはその名前を聞いて、リリアンヌを見たけど、男の人は首を横に振った。


「違う! そいつじゃなくてお前のことだ! お前には世界を創り変える力がある。それを僕が利用してやる!」

「あなたは……何者なの?」


 質問に対して、男は自分の名を名乗ることもなくわたしを殴った。痛みよりも衝撃が強くて意識を失いそうになる。


「かはっ!」


 なんとかしないとと思ったけど、体が痛くて動けない。その隙を突いたのか、男の人は懐からナイフを取り出した。


「死ね!」


 わたしの胸に向けてナイフが突き刺される。そして引き抜かれた。


「きゃああああっ!」


 激痛に襲われながら血が胸から流れ滴るのを見る。体中を巡る熱い感覚を感じながら、自分の命が失われていく恐怖を味わされる。


 死ぬ……のか……な……。


 嫌だ……死にたくない……もっと生きたい……。


「懐中時計を開いて!」


 心の中で呟いていると、リリアンヌの叫び声が聞こえてきた。リリアンヌはわたしの手元に視線を向けていた。自分で自分の手を見ると、金色の懐中時計を握っていた。こんなの、いつ、どこで……?


「なに……これ……?」

「急いで! 早くしないと死んじゃうわよ!」

「邪魔をするなあああ!」


 男の人はリリアンヌを怒鳴り、蹴り飛ばした。その光景を見てわたしは必死に彼女に向かって手を伸ばす。だけどもう、指先を動かす力しか残っていなかった。


「……リリアンヌ……ごめん……わたし……助けられなくて……」

「あたしのことは気にしないで! 早く時計を開くの!」

「う……ん……」

 

 わたしは指先だけに入る力で、なんとか懐中時計のスイッチを押した。すると秒針音が鳴り響き、傷と痛みが何事も無かったかのように消えた。その途端、銀色のドレスが私を包み、青いマントが現れて背中に付いた。わたしは懐中時計が変化したステッキを握り締めると、今まで何があったのか、わたしは誰なのか、全てを思い出した。


「わたしは……アリス!」

 

 わたしは強く宣言した。


「ふん、馬鹿らしい」

 

 男は鼻で笑うと、魔法陣を展開して無数の火の玉を発射した。わたしはそれを軽々と避けると、男の腹に一撃を加える。


「ぐおっ……」


 怯む相手に、今度は回し蹴りをお見舞いする。


「あなたが誰なのかはわからない……こうして戦うのも正解なのかもわからない……けど! わたしは決めたの!」


 わたしはそう叫ぶと、男に向かって突撃する。


「あなたを倒して、リリアンヌを助ける!」


 わたしはステッキを頭上に振り上げると、そのまま力一杯振り下ろして叩きつけた。相手は地面に倒れ伏す。


「とどめだよ!」


 わたしは勢いよく駆け出すと、相手の腹部目掛けてジャンプし、空中で一回転してから足を突き出した。男は口から血を吐いて倒れた。


「はぁ……はぁ……」


 わたしはすぐに懐中時計を開け閉めして変身を解くと、リリアンヌに近寄る。


「大丈夫!? リリアンヌ!」

「大丈夫よ……こういうの、慣れてるから……」


 彼女はそう言って、弱々しく微笑んだ。わたしはそんな彼女になんて声をかけていいかわからなかった。


「どうして……あなたが狙われているの?」


 だから気になっていたことを訊ねることにした。


「それは……」


 彼女が言いかけたところで、男の人が口から出ている血を手で拭いながら目を覚ました。


「これで倒したと思っているなら、笑い種だな」

「くっ……まだ生きてるの!?」


 わたしは慌てて距離を取ろうとするけど、既に遅く、男はわたしに向かって飛び掛かってきた。


「死ね!」


 わたしは咄嵯に防御するけど、吹き飛ばされて木に打ち付けられる。


「うわああああっ!」

「アリス!」

 

 リリアンヌの声が聞こえる。わたしは痛みに耐えながらも立ち上がる。すると男がわたしの前に立ち塞がった。


「どうやらお前には、僕を殺すことはできないようだな」

「……どういうこと?」

「お前は僕の敵だ。だから殺さないといけない」

 

 男はそう言うとわたしを右拳で殴った。


「きゃあっ!」


 地面に倒されて何度も蹴られる。わたしは痛みに堪えながら何とかして懐中時計を再び開いた。すると男は、豚のぬいぐるみになった。


「ブヒッヒィ!」

「これは……!」


 鳴いている豚のぬいぐるみを見た瞬間、わたしは全てを理解した。


「帽子屋が言っていた……! この時計は……持ち主の秘めている能力を引き出す……それで……!」


 つまり、こいつは……。


「こんな風に世界を創り変える力を持つわたしの力を利用して、世界征服をしようとしてたってこと!?」

「ブヒヒッヒッヒィ!」


 ぬいぐるみはわたしを殴ろうとしたけどそれを避けて逆に蹴りを入れる。


「ふざけないで! あなたなんかに世界を好きにさせてたまるか!」


 わたしは怒りに任せて攻撃を続ける。だけど向こうも攻撃してきて、まともに体当たりを受けてしまった。


「うぐっ!」


 思わず怯んでしまったけど、相手はぬいぐるみだったから全く痛く無かった。


「ブッヒヒイイイイ!」


 ぬいぐるみが鳴きながらこちらに体当たりを仕掛けてくる。だけど遅い。遅すぎる。わたしはそれを余裕で避けてまた蹴り飛ばすとぬいぐるみは「ブヒーッ!」と悲しそうな声を出した後、バラバラに裂けた。


「これで本当に終わり……だよね?」


 辺りは静寂に包まれた。しばらくしてから、リリアンヌがわたしに向かって話しかけてくる。


「あなたは……一体……」

「わたしはアリスだよ! さっき全部思い出した!」


 わたしは元気良く答えた。するとリリアンヌは笑顔になった。


「そう。でもこの元気なら、もう大丈夫そうね」


 彼女は安心したように言った。


「うん! おかげさまでね。……あの、一つ質問があるんだけど」

「何かしら?」

「どうしてあなたはこの懐中時計のことを知っていたの? これは帽子屋からもらったものなんだけど、まだ他の人には見せても言ってもいないはずだったから……」


 わたしがそう訊ねると、彼女はしばらく黙ったまま俯いていたけど、やがて顔を上げて口を開いた。


「……ごめんなさい。そのことについてはまだ話せないわ。だってまだ、あなたは自分の能力をまだ使いこなせてないもの。あなたが今よりもっと強くなった時に教えることにするわ」

「えー! 教えてよ!」

「ダメよ。それに、時間もあまり残されていないわ。あなたは早く、次の場所に行かないと。……ほら、早くその懐中時計を開いて」


 リリアンヌはそう言うと、わたしが手に持っていた懐中時計を指さして言った。


「え……? どういうこと……?」

「その懐中時計はあなたの持っている能力を最大限に引き出すものよ。だから、それを使って……」

「ま、待って!  意味がわからないよ!」

「落ち着いて、わたしの話を聞いて。あなたには、他の誰にも無い特別な能力を持っているの。それは男を豚のぬいぐるみに変えたように、まさしく世界の常識そのものを変える力と言っても過言ではないわ。その能力を自覚して使っていけば、きっとあなたは……立派になれると思うの」

「世界を変えられる……力?」

「そうよ。あなたはその力で、世界を変えて、誰かの運命だって変えてあげることができるの。でも必ずしもそれは単なる腕っぷしとかの力でどうにかするものでもないの。とにかく……頑張るのよ」


 リリアンヌは優しい声で、わたしに語りかけてくれた。


「……わかった。なんだかよくわかんないけど、やるだけやってみるね。きっとそれが、わたしのやるべきことなんだよね」


 わたしは彼女の言葉を信じることにした。


「そうよ」


 リリアンヌは微笑みながらゆっくりと頷く。


「ありがとう。じゃあ……行ってくるね!」


 わたしは彼女を見ながら、懐中時計を開いた。するとわたしの周囲が光に包まれて、気がついたときには学校の教室のような場所にいた。

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