39羽目 「むぅー! ふんぬー!!」

「どうしてこんなことになっちゃったの?」


 わたしは泣きじゃくりながら、呟くように言った。


「みんな……。あんなの……」


 わたしは自分の身体を抱き締めるようにしながら震えていた。


「怖い……」


 一人じゃないとわたしは思っていた。でも、また一人ぼっちになってしまった。これからどうすれば良いのか分からない。人が怖い。何もかも怖い。みんなの思考が理解できない。もうやだ……。


「誰か助けに来てくれないかな……」


 誰でもない誰かを思ってそう呟きながら顔を上げると、誰かが地面に棒みたいに足から突き刺さっているのが見えた。帽子屋だった。彼は白目を剥いて口から泡を吹き出して気絶していたようだった。


「うっ……。近づきたくないよ……もうやだよ……」


 わたしは怖気づいていたが、いつまでもここにいるわけにはいかないと思い、意を決して彼に近づいた。それに何より、もう他に誰も頼れる人はいない。わたしは意を決して、彼の肩に手を当てて揺すり起こそうとした。


「起きて……! 起きてよ……!」


 わたしは必死になって叫んだけど、一向に起きる様子は無かった。わたしは仕方なく、彼を引き抜くことにした。


「よいしょっと」


 帽子屋の右手をわたしの右手で持って引っ張ったけど、全く抜くことが出来なかった。


「ダメだこりゃ」


 今度は両手を使って、彼を持ち上げようとする。だがそれでもビクともしない。


「むぅー! ふんぬー!!」


 全身の力を込めて踏ん張り続けるが、やはり抜ける気配はなかった。諦めて他の方法を考えようとしたその時、わたしはある方法を思いついた。


「……アリシア・サボタージュ」


 わたしは彼の耳元でこう囁いた。すると帽子屋は「アリシア・サボタージュ!!」と叫びながら地面からスポーンと勢いよく飛び出した。


「嘘でしょ!?」


 わたしは驚きの声を上げた。まさか本当に上手くいくとは思わなかったから。


「ぐああっ!」


 だけど帽子屋は着地するや否や悲鳴を上げて、頭を押さえて苦しみ出した。わたしは慌てて謝った。もしかするとわたしのせいかもしれないから。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「頭が割れそうだ……それに……何があったか思い出せない……」

「ティーポットを自分にぶつけて吹っ飛んだの!」 


 わたしは頭を抱えている帽子屋に向かって、おかしいけど本当にあったことを言った。すると帽子屋はこちらを見て怒った。


「冗談はやめていただきたい! なぜ私がそのようなことをしなければならないのですか!?」

「本当の話だから!」

「なおさら信じられませんね! 私はそのよう愚かなことをする人間ではないのです!」

「わたしを死刑にしようと言い出す時点で愚かだよ!」

「そ、それはそうですが……」

「ようやく自覚した!」

「私のせいではありません! あれは、女王様のせいなんです! 女王様に脅されて私は……」

「はいはい。分かったよ。それならそれでいいよ。とにかく、わたしに協力して欲しいの」


 わたしは本題を切り出した。帽子屋は不思議そうな顔をした。とにかく、帽子屋が本当はいい人そうみたいで良かった。


「協力?  一体何を?」

「今……大量虐殺が起きてるの」


 わたしは簡単に事情を説明した。帽子屋さんは納得したような表情をした。


「なるほど。そういうことですか。しかし、どうしてあなたのチームメイトは殺人を?」

「こうするしか無かったって……」

「いくら何でもやりすぎでは?」

「そうしないと、わたしが殺されるって……」

「だったらあなたも殺せば良かったでしょうに」

「わたしは人を殺さない主義なの!」

「それはまたおかしなポリシーですね。人を殺した人間が吐くとは思えない台詞だ」

「うるさいなあ! あれは仕方無かったの!」

「これは失礼致しました」

「でも今は違うんだよ。だって、女王も王様も、みんな死んじゃったんだもん。これ以上誰かを殺したところで、何も変わらない。それにこれじゃあわたしよりみんなの方が死刑になっちゃうよ」

「まあ、確かにそれも一理ありますね」

「でしょ? だからもう殺し合う必要は無いの。みんな愚かよ」

「しかしアリスさん。このままでは何も解決しませんよ」

「……何言ってるのか全然わかんないよ」

「まあ、簡単に言えば、今のままだとこの世界は滅ぶということです」

「え!?」

「アリスさん。あなたの力があれば、この世界を救えるかもしれないんですよ。どうです? やってみますか?」

「その力を持っているのは、あなたなんじゃないの?」


 帽子屋は以前「私の手によればあなたの罪も帳消しにできます」と言っていた。それってつまり、帽子屋がそういう力を持ってるってことなんじゃないの?


「いえ、私は違います。私はただの帽子屋で、弁護士だ」


 だけど帽子屋は、首を横に振ってこう続けた。


「力を持っているのは、アリシア・サボタージュ。あなたですよ」

「えっ……!? てかわたしアリシアじゃなくてアリスだからね!?」


 わたしはツッコみながら言った。何にせよ、わたしに世界を救う力なんて、あるはずが無いもの。


「あなたは力を持っています」


 帽子屋は静かに言い放つと、帽子の中から懐中時計を取り出した。それはわたしにもよく見覚えがあるものだった。


「これは……!」

「そうです。これは時計ウサギや三月ウサギも持っている『ポケットウォッチ』と呼ばれるアイテムで、持ち主の秘めている能力を引き出すための物なんです。時計ウサギがあなたを別の場所に移動させることが出来たり、三月ウサギが空間を操れるのはそのためです。ですが彼らは、単なる変身アイテムだと思っているようですがね。しかも時計ウサギは時間を操れると思っていて、時の神まで自称してしまっている。中途半端な力しか持っていないのに馬鹿な話だ」


 へぇー……。っていやいや。


「これってそんな凄いものだったの!?」


 わたしはそう言わずにはいられなかった。まさかあの懐中時計がそんなに凄いものだったなんて。しかもウウは時の神でも何でも無かったなんて。


「はい。これは神にも等しい存在が作ったアイテムですから。もちろんどんな生物でも使える訳ではありません。現に、私には使うことが出来ない」


 帽子屋はその懐中時計の蓋を開閉しながら淡々と説明してくれた。


「なるほど……。じゃあ、それを使ってどうすればいいの?」


 わたしが訊くと、帽子屋の顔色が曇った。


「それがですね……」


 帽子屋は気まずそうな顔をしながら話を続けた。


「この懐中時計の力によって、あなたは起こったことを無かったことにすることが出来ます。しかし、無かったことを起こったことにすることは出来ないのです。つまり……。アリスさん、これを使うと、あなたは初めから何もしなかったことになります」


 帽子屋のその言葉を聞いた瞬間、全身の血が全て抜け落ちたような感覚に襲われる。


「な、なに言ってんの? どういうことなの?」


 わたしは動揺を隠すように声を荒げた。


「簡単に言えば、何もかも無かったことになるということです。時計ウサギと会うことも無ければ、茶色の猫に決闘を申し込まれて三月ウサギを殺すことも無い。病院で怪物に襲われたところを時計ウサギに助けてもらうことも無ければ、彼らと一緒に野球をした後、女王や王を殺すことも無い。何もかも無かったことになるんです」

「な……なに、それ! そんなのって……!」


 帽子屋の言葉を聞いているうちに、わたしの頭の中は真っ白になっていった。


「アリスさん、落ち着いてください。アリスさんの言いたいことは分かります。しかし、これが最善の方法なんですよ」


 帽子屋は優しく諭すように言った。そして懐中時計を私に手渡した。


「さあ、アリスさん。使うのです」


 私は言われるがまま懐中時計を握らされる。


「うわあああああっ!!」


 金色に光っている懐中時計の蓋を開く。それと同時に秒針音が鳴り響き、体が宙に浮く。そしてわたしの周りを囲むように、白い光のリングが現れる。その瞬間、わたしの体に電撃のような衝撃が走る。そして視界が真っ暗になり、一瞬のうちに意識を失った。

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