36羽目 「そ、それは言わないでぇ!」

「そのハンドスピナーって、一体何なの……?」

「アリスの疑問には答えてあげようかな。この世界は不思議なことがたくさんあるの。不思議なことを起こすことくらいできるよ」

「出来ないから!」

「いや。俺は出来るぞ。透明になったり色々」

「チェシャ猫はちょっとややこしくなるから黙ってて!」

「す、すまん……」


 チェシャ猫はわたしの怒声にがっくりと肩を落としながら、グローブを器用にはめていた。


「最後はこれだね」


 ルナはそう言うと、またしてもハンドスピナーを回した。するとたちまち周りの風景も目まぐるしく回転し始める。しばらく経ってから目を開けてみると、そこは野球場の中だった。わたしたちがさっきまでいた場所ではなかった。


「え!?」


 わたしはびっくりして声を上げる。他のみんなもびっくりしているみたいだった。だけどそんなみんなに対してルナはあっけらかんとした態度で言った。


「早速練習しよっか。まず、素振りからだね」


 ルナが言った。わたしたちは戸惑いつつも言われた通り、素振りを始めた。しかしサボテンはどうあがいても素振りすることは出来ないみたいだったのでランニングさせられていた。しばらくして、またルナが口を開いた。


「次はキャッチボールをしよう」


 ルナは笑顔で言うと、ボールを投げた。それは放物線を描き、わたしの目の前に落ちて来た。


「ほら、投げて」


 わたしは戸惑いながらも、思い切ってそれを掴んでみた。


「もっと手首の力を抜いて投げるんだよ」


 わたしはルナの言葉に従って、軽く握ったまま腕を振り下ろした。だけど、


「わっ!」


 すっぽ抜けて、ボールはボテっと音がして地面に落ちた。


「ごめん!」


 わたしはすぐさま謝る。


「大丈夫だよ。誰だって最初はそんな感じだよ」


 ルナは優しく微笑んでそう言ってくれた。横を見ると、他のみんなもそれぞれ二人一組に分かれてキャッチボールを始めていた。サボテンがずっとランニングをやっているのでちょうど分けることが出来ていた。


「もう一回やってみようか」

「う、うん」


 わたしはもう一度、ゆっくりと振りかぶってみる。


「もう少し力抜いてみて」

「こ、こう?」

「うんうん。それでいいと思う」


 ボールはルナに向かって飛んで行き、ルナのグローブにぴったり収まった。


「上手だよ」

「そ、そうかな……?」


 そんな感じで、わたしはしばらくルナとキャッチボールをした。


「じゃあ、今度は誰がどのポジションになるのか決めよう」


 しばらくして、ルナがみんなを集めてそう言った。


「メアリ、ピッチャーやりたいなぁ」


 メアリが元気よく手を上げて言った。


「ダメ」


 だけどルナは首を横に振った。


「なんでぇ……?」

「メアリはキャッチャーがいいと思う」


 ルナはそうメアリに提案した。


「どうしてぇ?」


「だって、メアリはかわいいもの。かわいいメアリに捕られた方が、みんな嬉しいでしょ? だからキャッチャーね」

「そっかぁ……じゃあ、キャッチャーやるねぇ」

「そんな理由でいいの!?」


 わたしは突っ込まずにはいられなかった。


「いいよぉ。頑張っちゃうよぉ」


 メアリは自信満々な様子だった。


「植物トリオは外野。守備範囲が広いから」


 ルナが言う。


「任せて!」

「わかりました!」

「わかったわ」


 サボテン、ハエトリグサ、アネモネがそれぞれ返事をする。ポジションはハエトリグサがライト、アネモネがセンター、サボテンがレフトになった。自信満々だけどサボテンって守備出来るの? 訊いても出来ますって即答するんだろうな。訊かないけど。


「チェシャ猫はショート。チェシャ猫ならきっと出来るはず」

「任せろ」

「ウウはセカンド。足速いし、器用だし」

「わかりました」

「僕はサード」


 ルナはそう言った。残るポジションからしてわたしは……。え。え。え。


「わたしがピッチャー!?」


 わたしは思わず叫んでしまった。


「うん」

「無理だよ! やったことないもん!」

「大丈夫だよ。アリスならきっとできる」

「でも……」

「アリスはキャプテンなんだから。アリスしかいないよ」

「わたしいつキャプテンになったの!?」

「今決めた。それにこれは、アリスのためのチームでしょ?」

「それは……そうだけど」


 いざ自分がピッチャーで、キャプテンで、となると、やっぱり尻込みしてしまう。どうしよう、今になって身体が震えてきた。


「大丈夫だよ。きっとうまくいく」


 ルナはそう言って、わたしの背中をさすってくれた。


「う、うん……ありがとう」


 わたしはなんとか勇気を振り絞った。


「じゃあ、練習、始めようねぇ」


 そしてメアリに声を掛けられて、わたしはマウンドに立った。


 メアリの体勢が整うのに合わせて、わたしは振りかぶる。緊張のせいで肩に力が入っているけど、振り下ろすのと同時に手首を使って、ちゃんと力を抜く。そうして投げ出されたボールは、勢いよく前へ飛んだ。パシッ! メアリがグローブの中にそれをしっかりとキャッチしていた。すごい、初めてとはとても思えない。メアリは素早くボールを投げ返してきて、それを受け取った。


「ナイスピッチングぅ」


 メアリが嬉しそうな笑顔で言う。わたしも自然と笑みをこぼすことができた。

 それからわたしたちはバント処理やフライの落下点に先回りしたり、ゴロを打ったときのベースカバーなど、基本的な動きの練習を夜まで休まず行った。


「疲れたねぇー」


 わたしたちが休憩に入ったとき、メアリが大きな声で言った。


「疲れましたね」

「ご飯食べたいです!」

「もうへとへと」

「僕、寝てもいいかな?」

「私、眠くなってきたかも……」


 それぞれが休憩に入る中、ウウが声を掛けてきた。


「お疲れ様です」

「ごめんね。明日はちゃんとするから」


 わたしは謝る。練習では、基本的な動作でもミスが続いていたから。


「いざとなれば私が能力を使ってどうにかしてやりますので安心して下さい」

「本当?」

「はい」

「ありがとう! 頼りにしてる!」

「では明日、頑張りましょう」

「うん!」


 ウウがみんなと一緒にどこかに行くのを見届けてから、誰もいなくなったグラウンドに仰向けになった。空には満天の星々が広がっている。


「綺麗だなあ」


 わたしは思わず呟いていた。


「そうだね」


 隣から声が聞こえて、誰かが横に座った。顔を見ると、メアリだった。


「隣いいぃ?」

「うん」

「ふあ~あ。今日はいっぱい動いたから、眠くなってきちゃった」


 メアリは大きなあくびをして、目をこすりながら言う。


「わたしも。でもまだ起きていたいな」

「どうしてぇ?」


 メアリが不思議そうに首を傾げる。


「だって。明日わたしは、死ぬかもしれないから。もうこんな夜空も、見られないかもだし」

「そっかぁ……そうだねぇ」


 メアリは少し悲しげな表情を浮かべた。


「うん……。だから、今のうちにみんなと一緒にいたいって思うの。せっかく仲良くなったのに、このままさよならなんて嫌だし」

「わかるよぉ……メアリも……アリスちゃんと一緒がいい……」


 メアリはそう言いながら、わたしの手を握ってきた。


「え? ちょっ!? メアリ!?」


 そして、わたしにキスをしてきた。


「ん……」


 わたしは驚いて目を見開く。すると、目の前には目を閉じたメアリの顔があった。唇には柔らかい感触がある。メアリの息遣いが聞こえるほど近い距離。心臓の鼓動が速くなっていくのがわかる。


「あ、あの。メアリさん?」


 わたしは戸惑いながらも、恐る恐る訊ねる。メアリはゆっくりと瞼を開いた。


「あ、あはは……。ごめんねぇ……。なんだか、急にしたくなっちゃったぁ……」


 メアリは照れくさそうに苦笑いしながら答えた。


「う、ううん。別に大丈夫だよ」

「よかったぁ」


 メアリはほっとした様子を見せる。


「それにしても、すごいよね。これ」


 わたしはメアリに話しかけながら、夜空を見上げた。


「えへへ。そうだねぇ」


 メアリも同じように見上げる。


「この世界には、いろんな生き物がいるんだねぇ。メアリ、全然知らなかった。喋る犬もウサギも植物もいるなんて」

「メアリも人形じゃん。色々ありすぎてもう驚かなくなってきたけど、わたしにとってはそれもびっくりだよ」

「そ、それは言わないでぇ!」


 メアリは頬を膨らませて怒った。


「え、それ気にしてるの?」

「う、うん……」


 メアリは落ち込んだ様子を見せた。そんな風にコロコロと表情が変わる彼女を見ると、とても人形とは思えなかった。


「まあ、人形でもいいんじゃ……」

「よくなーい!!」


 メアリは叫ぶと、わたしの腕にしがみついてきた。


「わっ! ど、どうしたの?」

「メアリは! 人形とかそうじゃなくて……女の子としてアリスちゃんが好きなのぉ……!」


 メアリは泣き出しそうな顔で言う。どうしよう。


「え? ちょ、ちょっと待って! メアリ! 落ち着いて! ね? ね?」

「だってぇ……メアリはこんなのだしぃ……」

「そんなことないよ! メアリはとてもかわいいよ!」


 わたしはメアリの頭を撫でる。ちゃんと血が通っているかのようにとても温かった。こうしていると、やっぱり人形じゃなくて、生きている人間にしか思えなかった。


「でもぉ……」

「大丈夫」

「う、うん。ありがとぉ……」

 

 メアリは涙を浮かべたまま微笑む。どうしようかとも思ったけど、結果的にわたしも落ちつけた気がする。


「じゃあ、明日、頑張ろうねぇ……!」


 そう言うとメアリも、わたしに手を振りながらグラウンドを後にした。わたしもチェシャ猫が教えてくれた、明日の試合会場であるお城に近いところにあるホテルの部屋で身体を休めることにした。

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