Next next Wonderland
23羽目 「だって、あなたはかわいいもの」
「お姉ちゃん……?」
土手の上で挿絵も会話も無さそうな本を読んでいるお姉ちゃんに向かって、わたしは呟いた。
「アリス……そんな疲れた顔して……どうしたの?」
お姉ちゃんは本を読むのを中断して、わたしの顔を心配そうに見ながら言った。
「え……? 疲れてる……?」
「そうよ。アリス、何かあったの?」
「何かって言われても……」
わたしは考えた。確かに、全身に疲れが溜まっているような感覚がある。でもどうしてそんなに疲れているのか、わたしにはわからなかった。だって昨日も一昨日も、何事もなく過ごして終わったから。でも、もしかしたら。
「暑いから……熱中症になっちゃったのかも」
服をぱたぱたさせて風通りをよくしてみようと思ったところで、わたしは声を失った。服装はお気に入りの水色のワンピースに、白色のエプロン。脚はボーダータイツ。それは普段と変わっていない。だけど、一体何があったのかわたし自身が訊きたい程に、全身が泥水と汚れにまみれていた。
服をぱたぱたさせて風通りをよくしてみようと思ったところで、わたしは声を失った。服装はお気に入りの水色のワンピースに、白色のエプロン。脚はボーダータイツ。それは普段と変わっていない。だけど、一体何があったのかわたし自身が訊きたい程に、全身が泥水と汚れにまみれていた。
「なに……これ……」
言葉も出ないとはまさにこのことだと思った。とりあえず身体中を触ってみるけれど、特に怪我などはないようだった。
「一体何があったの……?」
「あたしに訊かれたって、わからないわ。だってあたしはずっと本読んでたんだもん」
お姉ちゃんがわたしを見ながら言った。
「そっか……」
わたしは頭に疑問符が浮かび続けるまま、とりあえずタイツを脱ごうとスカートの中に手を入れる。
「ちょっと!? こんなところで脱ぐつもり!?」
お姉ちゃんは慌ててわたしから目をそらした。
「だってぐちょぐちょしてて気持ち悪いんだもん。それに他の誰かにパンツ見られるわけでもないんだしいいじゃん……」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
「なら、どういう問題なの?」
わたしはそういうと、スカートの奥の方に手を入れて、タイツに手を掛けた。すると、お姉ちゃんは急に顔を赤く染め始めた。
「あ、アリス……あなたって子は……」
そしてお姉ちゃんは何だかもじもじしているように感じられた。
「どうしたのお姉ちゃん? 顔赤いよ?」
「えっ……!?」
わたしの言葉を聞くなり、お姉ちゃんの顔がさらに赤くなった気がする。そう思いながら、わたしはタイツをするすると下げていった。その途中でお姉ちゃんが後ろを向いてしまった。別にお姉ちゃんなら見てもいいのに。そんなことを思ったけど、言わないことにした。またなんか言われそうだし。
「うわぁ……」
タイツを下ろすと、泥だらけになった自分の足が見えた。タイツのゴムの部分にも泥水が染み込んでいて、洗うのもためらわれるほどに汚れていた。
「もう! なんで! なんでこんなことに……」
タイツを脱ぎ終わったわたしは思わず大きなため息をついた。お気に入りだったのに台無しになってしまった。でも、どうしてこうなったのかやっぱり思い出せない。
「ねぇお姉ちゃん。どうしてこうなったか覚えてる?」
わたしはお姉ちゃんに尋ねると「さっきも言ったでしょう? 知らないって」と答えが返ってきた。
「そうだよね……」
わたしはそう思いながら、ワンピースも脱いじゃおうと手を掛けた。するとそのとき、遠くで何かが動いたような気配がした。何だろうと思って周りを見ると、草むらの中で、ウサギの耳のような白いものがぴょこぴょこと動いていた。
「……?」
よく見るとそれはウサギの耳を生やした女の子のものであることがわかった。金髪の髪に真っ赤なワンピース。歳はわたしと同じくらいに見える。
「君!」
その女の子はいきなりこちらに向かって走り出した。わたしが驚いて動けずにいる間にその子はわたしのすぐ前まで迫ってきていて、そこで立ち止まった。その勢いに押されるようにわたしは後ずさる。
「アリスでしょ?」
その子は耳をぴょこぴょこと小刻みに動かしながら、満面の笑みで尋ねてきた。
「そうだけど……あなたは?」
この子はわたしのことを知っているみたいだけど、わたしはこの子を知らない。というより、そもそも初めて見る気がする。間近で見ると、吸い込まれそうなくらいに深い緑色の瞳が印象的だった。
「僕はルナ。よろしくね」
ルナと名乗ったその子はそう言って手を差し出してきた。握手をしようという意味だとわかったわたしは彼女の手を掴んだ。すると、彼女はわたしの手を握ったまま上下に振ってきた。
「わっわっわっ」
「うーん、柔らかいね」
「ちょっ……」
「うん?」
「放して……」
「あっ、ごめんね。つい……」
「もう……」
わたしは疲れていたので、思わずそう言ってしまった。やっぱり何でなんだろう。普段はこんなことにならないのに。
「ところで、どうしてここに?」
わたしは気を取り直して彼女に尋ねた。
「ちょっと散歩をね。そしたら、たまたまここを通りかかったの。そうしたら、あなたがいたってわけ」
「そうなんだ……」
「それで、あなたの方はどうしたの?」
「別に、どうもしないよ。ただの気分転換。いつもはこんなところ来ないんだけど、お姉ちゃんがここで本を読みたいって言うから」
「お姉ちゃん……?」
「ああ、わたしね、お姉ちゃんがいるの。ほら、あそこにいる人」
わたしが指差すと、ルナもお姉ちゃんの方を見た。
「あの人…………綺麗な人だね。まるで神様が作った造形物みたい……」
「でしょ? 自慢のお姉ちゃんなんだ」
「姉妹とは思えないけど……」
「どういう意味?」
わたしはちょっと胸に引っ掛かるというか、イラっとした感情を覚えたので、彼女に訊いた。
「だって、あなたはかわいいもの」
「あなたはって……」
お姉ちゃんもかわいいのに……。でもそういうことなら、いいかな……。えへへ……。
「まぁ、それは冗談として。僕と一緒に遊ぼうよ」
「遊ぶ……?」
「そう。一緒に川遊びとか、どうかなって思って」
「ええー……」
「そんな嫌そうな顔しなくても……。わかったよ」
ルナは諦めたのか、わたしから離れて一人でどこかに行ってしまった。断らない方が良かったかな……。でも疲れてるし、無理して付き合ってもそれはそれでどうなんだろ……。なんて思っていると、ルナが水の入ったバケツと魚を持って戻ってきた。
「はい、これ。あげる」
「くれるの?」
「うん。お近づきの印にね」
「ありがとう。でも、何で急に?」
「何でって言われても、理由なんて特に無いけど。強いて言えば……そうだなぁ、僕があげたかったからかな?……ダメだった?」
「別にダメじゃないけど……」
なんで急にそんなことをしたのかがわからなくてちょっと戸惑っている。と、その時だった。
「はい。どうぞ」
ルナはバケツを、わたしの頭の上で逆さまにした。わたしの髪と服はびちょびちょになり、地面に落ちた魚がピチピチと力なく跳ねた。
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