須勢理姫の忠告

 健は出雲の中心地から少し離れた草原に降り立った。


 稲穂の無くなった平地から見渡すと、遥か先にそびえるのが祭祀と政治の中心でもある<大国主>オオナムチの館。

 その周りにも大きな木造の建物がいくつもある。

 彼の妃である五人の妻がいる館。そして十八人とも伝わる子達の館。さらには食料や武具を入れる倉庫などだ。

 もっともヌナカワはほどなくして子のミホススミと共に、御大みほの岬にある屋敷に移り住んだ。今その屋敷は第一王子にして摂政を任されているコトシロヌシが趣味の釣りに没頭する隠れ家として使用しているが。



「うーん、なんだか静かだな。ホントにヤマトと戦争なんて始まるのかな?」

 到底、戦の前のピリピリとした空気すら感じられない牧歌的な集落の様子を見ながら、健はひとりごちる。

「僕と弥栄さんで熊襲に行って、あそこに三日くらい滞在して……そんで帰って来てから高志でも一泊したから、まだ五日目か。そりゃいきなり僕が帰ってきたら、家臣の人達だって巫術でワープしたって言っても信用してくれないかもな」

 証拠として何らかの形で熊襲に行ったという手土産くらいは残しておくべきだったか、と健も若干の後悔をする。せめてイサオから毛皮か鉱石のひとつでも貰っておいた方が良かったか、と。

「まぁ、仕方ないか。コトシロヌシのお兄さんが用事から帰ってきてるといいんだけどな……」

 健はおもむろに足を高く上げると、目の前の雑草を踏みしめ始める。



「すいませーん、戻りましたけども」

 第二王子が頼りない声と共に凱旋したことに、屋敷の警護をしていた兵は驚いた様子で彼のもとに駆け寄ってきた。

 なにせ熊襲出立からまだ五日しか経っていない。一部の側近など王に近い者からは瞬間移動の技を使うとまことしやかに語られていたが、よもやもう戻ったということに疑念と興奮をおぼえずにはいられなかった。


 やがて健は政治と祭祀の中心である屋敷の長い木製の階段を昇っていく。

 そこには<大国主>オオナムチのまつりごと、第一王子コトシロヌシの摂政と祭祀を支える家臣たちが車座になって待っていた。

「コトシロヌシ殿は未だお留守でございます。ささ、どうぞそちらに」

 健は家臣のひとりに上座に誘導される。

 彼から見てもいくらか人数が減ったと思えるのは、コトシロヌシの警護で同行した者がいるせいか、はたまたヤマトの密偵だったスクナヒコやホノヒコ達が処分されたせいか。

 上座にはふたつの毛皮の敷物。そのひとつはコトシロヌシの物であろう。主人不在で空席になっている。健はその隣に腰を下ろした。


 健は小さな咳払いをひとつする。別にもったいぶった芝居をしている訳では無く、単に緊張しているのだが、相手はいちおう自分を第二王子と慕ってくれているはずの出雲の家臣達だ。ヤマトのタケミカヅチや熊襲の面々と会った時よりは肩肘の余計な力が抜けている。

「まず端的に説明しますと、熊襲の王イサオさんと会ってきました。僕の奥さんであるヤサカトメも一緒に行ったので、これは間違いない事実です」

「それはどのように、この短時間に?」

「もちろんワープ……えっと、巫術でピューっと行って帰ってきましたよ」

「して、相手方はどのように言っておりましたか?」

「とりあえず熊襲との国交を始めるという話には纏めてきました。だからこれからは国使を派遣して、お土産を用意する準備の相談をみんなにしたいです」

「その話は用心せずともよろしいものでしょうか?」

「うーん……なんとも言えないけど、既成事実を作ってしまった方がイサオさんも仕方ないって考えてくれると思うんですよね。だから強引にでも国使とお土産を送ったほうがいいかと考えてます」


 家臣達は皆一様に黙ったままであった。

 第二王子の話が真実なのか、熊襲が信頼できるものか、かえってヤマトを刺激しないだろうかと思案している。


 その沈黙に耐えかねた健は、頭を掻きながら家臣から視線を逸らした。

 すると穏健派と思われる家臣が忠言をする。

伯耆ほうき阿岐あきはヤマトとの距離もございます。しかし長門ながとは湾を挟んでヤマトと向かい合う地理関係。これ以上に戦が近くなれば、長門は出雲との国交を破棄してヤマトと共謀をしかねませぬ。最初に攻め込まれるは長門でございますれば」

 それを受けて今度は別の好戦派の家臣が割って入ってきた。

「そのために王子が熊襲との協定を結ばれたのであろう? 両国で挟んでやれば、ヤマトと言えどひとたまりも無かろう」

「いや、どうであろう。伊豫いよ讃岐さぬきはヤマト寄りだ。彼らが加勢する恐れもある」

「現状はヤマト以外に不穏な動きをするクニもあるまい? 何が問題なのだ?」


 予想通り異なる意見を交わす家臣達。

 やっぱり出雲も一枚岩ではない。

 そこで健は掌を肩と同じ位置まで上げた。

 その合図に家臣は言葉を止める。


「摂津や木の国、そして葛城。墨江や浪速の近くも怪しい動きが出ています。淡海あわうみのある近江もまだ態度をはっきりさせてません。いくら伯耆や因幡いなばのクニがあるからって、東の守りも手薄にはできないんです」

 健が伝えたのは、まさに直前に乙姫から貰ったショートメッセージの内容。

 つまり『神皇正統記』や『諏訪大明神画詞』で、出雲の王子コトシロヌシが近畿地方の神として祀られているという違和感を要約したものだ。

「どうでしょうか? まずは熊襲の王イサオさんへの返礼、そして長門のクニへ湾をより強固にするための応援の派遣というのは」

「つまりタケミナカタ王子は、ヤマトとの戦は避けると申されまするか?」

 好戦派の家臣の問いに健は鷹揚に、いや、どちらかと言えばせわしなく何度もうなずいてみせた。

「一番大事なのは兵や民に被害を出さないこと。これは高志の女王ヌナカワ姫も危惧してました。僕が熊襲に行ったのはヤマトを打ち負かすことじゃない。ヤマトがこれに対してビックリして退散してくれればいいんですよ」

「しかし、既に睨み合う長門や浪速では、出雲の兵に犠牲が出ております。それを抑えることができましょうや」

「僕は直接の戦争をしないで、ヤマトに勝つ方法を模索しているんです」


 健の考えを聞いた家臣は様々な表情を浮かべる。

 よくある時代劇ドラマみたいに、うわべは主君に忠誠を誓ったふりをして腹の探り合いという感じはない。それを見回すと、この時代の人達は思ったよりもみんな素直で表情に出ちゃうんだな、というのが彼の感想であった。

 もちろんオオナムチが居た頃から仕えている者、コトシロヌシに忠誠を誓う者、そしてタケミナカタを王子として認めた者など登用の経緯は多岐に渡るだろう。


「改めてみんなに聞きたいんです。どうですかね?」

「王子が御自ら熊襲と盟約を交わしたのであれば、問題はございませぬ」

「じゃあさっき伝えた通り、まずは熊襲への国使派遣と返礼。そしてヤマトをと向かい合う長門の湾の守りを固めるということで」


 健の下知に、家臣は一斉に頭を下げる。

 彼はピンと伸ばしていた背をぐにゃりと丸めると深い息を吐いた。

 とりあえずこの合議の場を穏便に纏められたことに安堵した。



 熊襲への表敬訪問と贈答品の準備を始めた家臣達を尻目に、健は川屋の方へと歩き出す。別にトイレに行きたい訳ではない。スセリに会うのが目的であった。

 しかし乙姫から聞いていた彼女が蟄居させられているという部屋はがらんどうで、人の気配はない。


 今度は合議の屋敷を出ると近くの建物へと向かった。

 それはオオナムチの五人の妃が暮らしていた女人の館群。

 男と言えば子供か王族くらいしか立ち入れない男子禁制のエリアだ。


 元スセリが暮らしていた邸宅に入るも、主人はおろか女中の姿も無い。

「あれ? スセリさんどこに行っちゃったんだろ?」

 健が頭を掻きながら歩き回っていると、建物の物陰からこちらに向けられた視線。

 女中のひとりが健になにやら合図を送っている。


 周囲に人の気配が無いことを確認して、健は小声で女中に話しかけた。

「スセリ姫を探しているんですけど、なにかあったんですか?」

「姫は既にこの地をご出立なされております」

「えっ? まさか流刑にされちゃったとか?」

「そうではございませぬ」


 女中は一礼してから健の袖を引いて建物の中へと入っていった。

 そして外を入念に周囲を見回すと、健の向かいで膝を折る。

「タケミナカタ王子が熊襲へご出立された後のことでございます。コトシロヌシ王子から安全な地へ御移りあそばされた方がよろしいとご注進がございました」

「まさかヤマトが攻めてくる気配があるんですか?」

「左様ではございませぬが……ただそのように申されていた、と」

「それでスセリ姫はどこへ?」

「木の国の熊野です」

「熊野っ!?」


 思わず大きな声を出してしまった健は、はっと自分の口を掌で隠す。

 そして人差し指で静かにするよう指示をした。

 と言っても女中はずっと声を抑えていたので、自分自身に向けてでもあるが。


「なんでスセリ姫が熊野に? それこそ蟄居や流刑じゃないですか!」

「その理由は私にはわかりかねます。女中の多くはお傍に仕えたまま出立しましたが、私には年老いた両親と幼い弟妹がおりますゆえ、熊野まで参じることは叶いませぬ。それでおいとまを頂戴したのです」

 女中の話を聞きながら、健は腕を組むと首を何度も左右に傾ける。

 これ以上ないというくらいに、古代人でもわかる程に彼は混乱していた。

「はぁ……このタイミングっていうのが怪しいなぁ。しかも木の国って。そういえばあなたはコトシロヌシの兄さんがどこに向かったかご存知?」

 健の問いに女中は力無く首を振る。

「姫君や女王の所在はおおむねわかりますが、殿方の話となると……」

「まぁ仕方ないか。教えてくれてありがとうございます。とりあえず高志のヌナカワ姫や僕の奥さん……ヤサカトメと相談しますから」

「あと、もうひとつ……」


 女中は掌を健に差し向ける。

「スセリ姫からお言付けを承っております。タケミナカタ王子が戻られたらどうか伝えて欲しいと……『決して死んではならぬ、武運を』と」


 それを聞いた健はなんとも苦々しい表情を浮かべた。

 つい先日、ヌナカワからも同じ事を言われた。

 彼女は自分が翡翠の石の力で未来からやってきたという話を承知したうえで、必ず未来に戻る道を残すよう、つまり命を落とすような無茶をしないよう忠告していた。

 しかしスセリは事情が異なる。

 スセリが案じているのは、まさに『タケミナカタ』の命運。

 このまま歴史の中に深入りしていくと、必ずヤマトと出雲は対峙する。

 その時、王子としてクニ全体を統制し、戦に向き合わなければならないのは自分と兄のコトシロヌシだけ。

 だが、出雲の中にもきな臭い動きがある。

 まさに国譲り神話のタケミナカタの敗戦よろしく、自分が戦争の責任を負わされて徹底的にヤマトに狙われる向きもあるからだ。


「どうぞこの事は内密にお願い致します。スセリ姫は転居ということになっていて、実態を知る者はごく限られたご家臣の方達だけです。私も出雲に留まることを選びましたが堅く口止めをされておりますので」

 しばらくは深く考え込んでいた健だったが、女中の言葉に我に返ると小さくうなずいた。

「わかりました。ありがとうございます」

 女中は改めて深々と頭を下げると足早に屋敷を出て行った。


 

 誰も居なくなった屋敷の中で健はスマートフォンを取り出した。

 乙姫が教えてくれた歴史サイト等を閲覧し、またコトシロヌシに関する情報を集めていく。

「おいおい、これってどういう意味だよ?」


 オオナムチは和州三輪。すなわち奈良県の三輪にも祀られている。

 スセリの血縁であり国父スサノオの別名は熊野加牟呂くまのかむろ――つまり熊野との繋がりを見出せる。

 そして肝心のコトシロヌシ。天皇を守護する宮中八神殿では、累々と居並ぶヤマト側の神の中で唯一出雲側、言い換えればヤマト以外で祀られている神であった。


「ホントに訳わかんなくなっちゃったな……コトシロヌシさんは葛城で祀られてて、スセリさんは熊野に移動、加えてスサノオさんやオオナムチさんまで……もしかして『ヤマト畿内説』ってよりは『出雲、近畿に引っ越し説』の方が正しいんじゃないの? そんで旧出雲と新出雲で戦争するとか……」

 やがて健は膝の力が抜けるようにあぐらをかいた。

 それから背を丸めると、そのまま木床に大の字に寝転がる。

 歴史の中で各人が思惑にしたがって深慮遠謀が張り巡らされ、まるで自分ひとりがこの大きな時代の波のうねりに乗れず蚊帳の外に居る感覚だった。

 まるでそれは神話で描かれた、惨めに敗残するタケミナカタのごとく彼の自信を打ち砕いてゆく。

 

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