第13話 ※ シェイド②


 一年経ってリエラが学園に入学する時は緊張した。

 彼女はどう変わっているのだろう。

 それとも変わっていないだろうか。


 入学して一年、学業の成果を認められ、シェイドは下位貴族の中で唯一、生徒会入りが決まった。第三王子であるクライド自らの抜擢に、誇らしさに胸が高鳴る。


 彼女の中に自分への恋心が残っている事を密かに期待して、シェイドは入学式のリエラの様子を見守った。


 リエラにまだ婚約者がいない事は知っていた。

 きっと学園内は婚活の場になるだろう。貴族の子女なら当然だ。

 家の為にも自分の為にも、令嬢たちがよりよい婚姻相手を見つける事に必死になるのは当然だと。その頃にはシェイドも理解できていた。


 それでも、彼女が誰にも期待を込めた眼差しを向けない姿に、歳を経て美しく清楚な令嬢へと変わった事に、胸が熱くなった。

(特別とも憧れとも違う……)

 リエラを目の当たりにして、シェイドはやっと自分の恋心を自覚したのだ。



 同時に困惑した。

 一歩寄れば一歩距離を取られるこの状況に。

 気付き愕然とした。

 彼女は未だ自分を許していないのだと。


 シェイドの中で彼女は自分を正しき道へ導いてくれた恩人で、憧れと初恋が同居した相手。

 嫌われているなら近寄るべきではないと、泣く泣く諦めながらも、シェイドはずっとリエラを視線で追いかけていた。

 

 だからクライドにもあっさりバレたのだ。

 野暮ったい容姿の自分の事情にも、彼は薄々勘付いていたようで、シェイドの白状を楽しそうに聞いていた。


 苦い思い出なんて話したく無かったけれど、クライドの婚約者候補にリエラの名前が上がっているとチラつかされては、話さざるをえなかった。

 

 彼女がそう望むなら、自分はもう関わらない方がいいとは思う。けれどクライドがもし彼女を婚約者にと望んでいるのなら、話す事で止められたらと思ってしまった。

(せめて俺の知らない相手と、知らない場所で幸せになって欲しい……)

 そんな身勝手な願望に縋りながら。



「へぇーそっかあ、成る程ね。でも私が見たところリエラ嬢もまだシェイドに気持ちがあるように思うんだけどね。だってさ、距離の取り方が均等って凄くない? そんなの、常に見てないと無理だよねえ? アリサ」


 思わずハッと顔を上げれば生徒会副会長を務めるアリサから冷ややかな視線が返ってきた。


「……嫌いな相手も警戒しますから。気にすると言ったらそうですよね」

「──え。あー、そっかあ」


 ささやかな期待はアリサに容赦なく切り捨てられた。キラリと光る銀縁眼鏡は自分と違い伊達ではなく、その正論に余計に落ち込んだ。


「まあまあ、いつまでも引き摺ってるならさ、謝ればいいんじゃない?」

 あっけらかんと解決策を提案するクライドに恨めしげな目を向ける。

「……しかし、俺にはアロット伯爵家からリエラ嬢に近付かないようにと警告文が届いておりまして……」

 アリサが視線も上げずにわぁーお、と呟いた。


「とはいえ何年前の話だい? ああ、そうだ。彼女の兄が学園にいるから聞いて見ればいいんじゃないかな? 一族で君を嫌っているかどうか、その反応で分かるだろう?」


 ……何だか暇つぶしにでもされてるような気がするのは気のせいか。

 そんな顔をしていたのだろう。こちらを見てアリサが冷たく告げた。

「ウザいからよ。仕事が捗らないからさっさと解決させてテキパキ終わらせて」

「……」

 この人もまた、今までの令嬢とは違うと思った。


 

 ◇



「──リエラはですね、甘えてるんですよ! 今時婚約者を親任せにするからなんて理由で社交を避けて! 貴族令嬢として家に入り家政を行う以上、避けて通れない道だというのに!」

 

 クライドは二年生になってから生徒会長に抜擢された。普通、王族がいるのに生徒会長に立候補する者はいない。

 しかしクライド本人の意向もあって、一年間は生徒会の補佐を行っていた。翌年に生徒会が一新される際の人事はクライドが担ったが、入りたい者は当然多かった。


 中でも下位貴族であるシェイドへの妬み誹りはあからさまで、リエラの兄レイモンドからも入室時に面白くなさそうな顔を向けられた。

 けれどその様子を見るに、リエラの事は関係なさそうだった。


 レイモンドを呼び出した理由は生徒会と関連する役割の確認。彼は前年度から委員会に所属していた。

『クライド殿下が生徒会長になったばかりなので、去年の各委員会の状況を確認している』という名目での呼び出しだ。

 

 話の流れで世間話へと向かい、今年からリエラが入学した事を聞いた。そういえば今まで彼女を見た覚えがないとクライドが口にすれば、レイモンドは勝手に熱く語り出したのだった。


「リエラ嬢は授業をサボっているのかい?」

「いえ、家庭教師から成績は保障されておりますが……女性の友人以外の社交には出席しないのです」

「アロット伯爵も彼女に社交に出て欲しいのかな」

「両親は妹に甘いのです!」

 くわっと目を見開き身を乗り出すレイモンドにアリサが小声でウッザ、と書類に呟くのを聞こえない振りでやり過ごす。


(……確かに随分な熱血漢のようだ)

 若干引いているこちらに気付かないまま、レイモンドはその温度のまま話し続ける。

「全く……! こんな事では、十六歳のデビュタントも私がエスコートを頼まれるのでしょう」

 額に手を添え溜息を吐くその言葉にシェイドはぴくりと反応した。


(デビュタント……)


 リエラのデビュタントは来年だ。

 その時までに生徒会で実践を積んで、優秀な成績で学業を修めれば……そうして正式に彼女のエスコートを申し込めば──許されないだろうか。


 そんな思いが胸に湧き上がれば、あとは期待が膨らむばかりだった。だからレイモンドの話が頭に入ってこなくなった辺りで、アリサが残念な眼差しを向けてくる事にも気付かなかった。


 ……結果は勿論惨敗。


『君はもう二度と娘と関わらないように伝えた筈ですが?』


 という内容の丁寧な文章が届き、伯爵の根深い怒りを垣間見た。

 生徒会室で両手と膝をつき打ちひしがれるシェイドの横で、クライドとアリサが頬に手を当てて溜息を吐く。


「たった一度の失敗でこうして身を滅ぼすものなのね、私も気をつけましょう」

「そうだね、幼い頃から教育係が口を酸っぱくして言ってきた事は全て正しかったんだな。彼らに改めて礼を言いたい気分だよ」


 勝手に人の人生を反面教師にしないで欲しい。


「挽回の機会はもう得られないのでしょうか……」


 ぽつりと呟くとクライドが肩を竦めた。

「それは……まずはリエラ嬢次第かなあ……?」

 クライドの返事にアリサがそうねと頷いた。

「相変わらず心どころか物理的な距離が一向に縮まらないけどね」

「うぐっ」

 痛みに胸を抑え項垂れた。

 相変わらず遠慮なく心を抉る。……本当の事だけれど。


 そんな二人が残念そうに相槌を打つ姿から、シェイドは目を逸らして蹲った。

(こんなに頑張ったのに……死にたい)

 そんなシェイドの心情に関係なく、二人は視線を交わす。

 

「……まあ、結局は伯爵の心一つな訳だけど……」

「そうだな……或いは……リエラ嬢が堕ちてくる、とか?」


 どこか不穏な空気を孕んだそんな会話は、蹲ったままのシェイドには届かなかった。

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