第12話 ※ シェイド①


 シェイド・レンラスター子爵令息は子供の頃から麗しい美少年だった。

 貴族の子女は概ね整った容姿をしているが、その中でも群を抜く一人。そんな自分の容姿を自覚したのはシェイドが六歳の頃で。その時から自分を取り合う令嬢たちに辟易としながらも、そんな令嬢たちの様子にも次第に慣れていった。


 そして爵位というものを理解するようになる。

 シェイドの家は子爵家で、取り立てて覚えの良い家でもなく、貴族のヒエラルキーでは下の方。平民より格別に良い生活とは言え、シェイドが生きるのは貴族の中。だからシェイドは貴族の下層民として美しい顔を晒して生きるしかなく。それがどういう事か次第に悟るようになる。


『可愛らしいご子息ね』


 そう自分を品定めする婦人たちの三日月の眼差しに、余計その思いが顕著になった。


(気持ち悪い)


 両親はシェイドが身分の高い貴族に好かれるのを喜んでいたから、彼の気持ちなんて気に留めなかった。むしろ、シェイドが彼女たちの望むような態度を取れなければ諌めた。


『お前なら家格が上の令嬢へも婿入りできる。そうだな、女を学ぶ為、愛人となる覚悟もしておけ。やがては伯爵家、侯爵家だってお前に一目置くだろう。何、我が家はお前の弟に任せればいい』


 シェイドが七歳の頃の言葉だった。

 父の言葉は理解できず、それでも自分がやがて女たちに放られる事だけは分かって、見捨てられたような気分になった。

(弟が羨ましい……)

 貴族という枠は越えられなくとも、そこにあるのは平穏に見えたから。

 

 それから沢山の女性に引き合わされた。

 皆期待に満ちた顔で、同じ事を言う。沢山の婚約者候補たち。未来の孫の容姿に期待する夫人もいた。

 シェイドは父が求めたように、紳士的に振る舞った。


 ──けれどある時、気付いてしまった……

 

『シェイド! やったぞ、アロット伯爵家の令嬢がお前をお呼びだ! あの家は伯爵家だが、裕福で王の覚えもめでたい良家だ! 上手くやれよ!』


 いつものように縁談話に浮かれる父を他所に、シェイドはいつにも増して行きたく無かった。

 当日は体調不良を訴えて、必死に不参加をアピールもした。

 けれど欲に目が眩んだ父がシェイドのそんな願いを聞き入れる筈もなく、シェイドは引き摺られるようにアロット家へと連行された。


 だから取った態度は今迄で最悪。

 不貞腐れる自分の態度に思うところもあったのだろう。リエラも次第に言葉数が少なくなっていった。


 早く終われとしか思っていなかったから、リエラの顔なんてロクに見てなかった。

 それでも彼女は沢山話していたし、気は済んだ筈だ。どうせ終わるだけだと投げやりに結論付けていた。


 だけど相手が悪かった。

 確かに当日、シェイドの態度も本人が自覚する程に最悪で、教育で学んだ紳士とは言えなかった。

(どうせ僕の顔に魅力を感じているのだから、これくらい……)

 そんなシェイドの傲慢さを、アロット伯爵夫妻はきちんと見極めてレンラスター家へ手紙を認めた。


『もう娘には関わらないでほしい』


 そんな内容の、簡潔な文章で。

 当然目論んでいた未来が頓挫し父は激昂。何故もっと上手くやらなかったのかとシェイドを殴りつけた。


 驚き泣く弟に、お前が悪いと自分を責める母。

 打たれた場所を抑え、へたり込む中で、浮かぶのは怒りと悲しみ。シェイドの態度が悪かったからと、娘思いな対応を図るアロット伯爵家が羨ましかった。


 良家に生まれ、家族に恵まれ……

 だったら少しくらい自分に協力してくれてもいいじゃないかと思った。


 父の不満を受け流しながら、新たに申し付けられる見合いをこなしながら、シェイドはある茶会でリエラを見つけ話しかけた。


 シェイドの努力を両親に伝えて欲しいと思ったのだ。

 ──行きたくないのに会いに行き、リエラの都合に付き合った。

 それに心を込めろと強要されるのがどれだけ嫌かなんて、どうせ令嬢たちは分からない。彼女たちは望んだ分か、それ以上のものを返されるのが当然だと思っている、ただ高慢なだけの存在なのだから。


(……でも僕が微笑めば。哀願すれば)

 彼女たちは受け入れてくれると。自分の顔の使い方を知っていたシェイドもまた、傲慢だった。


 けれど振り向いたリエラの瞳は、期待に輝く事はなく凪いでいた。口を開く時は眉が下がり、口元は躊躇いうように戦慄いた。


『ウォーカー様は私がお嫌いでしょう?』


 シェイドは驚きに固まった。

(何だって?)

 今迄自分の気持ちなんて気にされた事は無かったから。

 令嬢たちは皆自分が良く見えるようにシェイドにシナを作る。それを褒めれば良かった。そうすれば彼女たちは喜んで──


『ウォーカー様ならもっといい出会いがありますよ』


 ──喜ぶくせに……


 小さく微笑みながらシェイドの手を放すリエラに呆然とした。

 令嬢たちは皆、シェイドより良い物件が見つかると背を向けそちらに行く。


 所詮シェイドは大した事もない子爵家の息子。その程度の執着と気遣いしか受けた事がなかった。

 自分に向けていた熱心な瞳は、言葉も、仕草も全部その時限りのもので、もっと価値の高い相手が見つかればアッサリと鞍替えする。

 その度にやるせない思いを抱いてきたのだ。


 必死に相手をしていた自分が馬鹿らしくなった。

 だからその不満を父への当てつけを込めて、父が一番乗り気だったリエラに向けてしまったのだけれど──

 ……愚かな真似をしてしまったと、今は後悔が尽きないでいる。


 だって知ったのはそのずっと後だったから。

 その手がどれだけ得難いものだったかなんて……


(どうせ彼女も直ぐに別の相手に目を向けるに決まっている)


 そう思っていたのに。


 アロット伯爵家が怒るくらいに自分は彼女を傷つけたようで、リエラはなかなか他に目を向けなかった。

 その態度に最初は不満で、段々と罪悪感を覚え、それから謝罪をしたいと思うようになっていった。


 もうあんな思いをしたくなくて、祖父母に無理を言い領地に逃げ込んだ。父母と距離を置きたかった。

 そうして学園生活に入る時、野暮ったい格好で身を隠す事にしたのだ。


 思った通り、パッとしない田舎出の子爵家なんて、誰も相手にしなかった。

 そんなもんかと自分の本来の価値を鼻で笑い、まだ頭に残るリエラの言葉が頭に浮かんだ。


 彼女はシェイドにもっといい出会いがあると言った。

 それはシェイドの胸を甘くくすぐって、いつからか、じんわりと温かい思いを抱かせていた。


 自然と努力したくなった。

 次に会った時こそ、恥ずかしくない姿を見て欲しい。

(考えてみれば僕は何の努力も抵抗もしてこなかった。きっとこれは転換期だ。リエラ嬢が授けてくれた啓示なんだ)

 いつからかシェイドの中でリエラの価値が押し上げられ、残った言葉がそう変換されていったのだった。


(変わりたい)


 そしてシェイドは努力した。誰に笑われても揶揄われても構わないくらい、勉強にしか興味を示さなかった。


『子供の頃はもっとカッコよかった気がするんだけどね?』


 学園に入学後にそんな言葉が聞こえてきても何も感じないくらい、周囲の期待も眼差しも、シェイドにはどうでもよくなっていった。

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