第11話
……ん?
?
今なんて……?
ぱちくりと目を瞬いてから、何か知っているのかとシェイドを振り仰ぐ。
けれどシェイドの目も限界まで開かれていたから、きっとウォム医師は何か変な誤解でもされているだけだろうと思い直す。
内心の動揺を隠し、リエラは改めてウォム医師へと向き直った。
「確かクライド殿下の婚約者候補の筆頭は先程のベリンダ様だったと記憶していますが……?」
「はは。いやあ〜、公爵家、侯爵家ときて、次いで伯爵家が選ばれても何もおかしくはないでしょう。それにアロット伯爵家は古くから王家に仕える由緒正しい家柄ではないですか。何より別の男たちに愛を囁いていた女性を、殿下も心情的に選びたくないでしょうからね」
「え……と……?」
うんうんと頷くウォム医師に否定しなければならないのは分かっているが、リエラの頭は全くついていっていない。
「──ウォム先生、そういった噂の類は今のクライド殿下のお立場では慎重に取り扱いところですので……」
混乱するリエラの横にスッと立ち、シェイドが取りなした。
「ああ! そうですよね。失礼しました。クライド殿下から何度かアロット伯爵令嬢の話を聞いた事がありましたもので、つい気持ちが逸ってしまったようです」
にこやかに笑うウォム医師にリエラは益々混乱する。
(私の話? 何でだろう?)
「……多分父の仕事の話とか、そう言ったものだと思います。私はクライド殿下とお話したのは今日が初めてでしたので……」
「おや、そうなんですか?」
「ええ、はい……父は顔の広い人ですから……」
(多分……)
驚いた風のウォム医師にこくりと頷き、リエラは自分自身にもそう結論付けた。学園時代も社交の場でも、クライドとは一度も関わりを持たなかったのだ。間違いない。
うんそうだとホッと息を吐いて、退室の意思を告げその場を辞した。一応後で父に聞いてみようと考えを巡らせていると、隣を歩いていたシェイドが躊躇いがちに口を開いた。
「あの……クライド殿下と、婚約なさる……のですか?」
……あなたまで何て事を言い出すのか。
「ありえませんよ。そもそも我が家には打診すらきていないんですから」
ないないと手を振り否定する。
そして先程ウォム医師にそう言えれば良かったと後悔した。混乱を極めて思い付かなかったのだから仕方がないけれど。
そう、普通は打診があるはずだ。
その打診がくる前に各家の根回しとかがあったりするのだけれど。リエラの場合、王族なんて荷が重いので、そんな画策はしないで下さいと父に願い済みであった。
政治利用して欲しいと言っておきながら都合が良いが、シェイドの件もあったし、家族思いで野心もない父は娘の思いを汲んでくれた。
その為、打診なんてある筈もなく……
うん、ない。
確信に満ちて改めてシェイドを見上げれば、ホッとした様子で息を吐く。
(……そうですよね、もし私と四六時中顔を合わせる事になったら嫌ですものね)
少しだけ気持ちが落ち込んだ。
そしてシェイドの緩んだ表情に、リエラも張り詰めていた何かが
「あの……申し訳ありませんでした……」
だから気付けば謝罪を口にしていた。
リエラのシェイドへの良心の呵責は、そもそも限界だったのだ。
◇
彼が容姿を隠すようになった責任は自分にあると、ずっと思っていた。
それが怖くて近寄れ無かったし、彼を取り巻く噂に悪意を持ったものが混じると悲しかった。
贖罪とばかりにそんな言葉を耳にする度に発言者を窘めたり、彼の良い部分をせっせとアピールしてきた。
分厚い眼鏡で隠されていたシェイドの顔。
その姿が今目の前で優しい笑みを浮かべているのを見て、リエラは思わず許しを口にしてしまっていた。
「えっ」
驚いた顔のシェイドに、けれど本来なら留めるべき言葉が止まらない。
「こ、子供の頃……私、シェイド様に酷い事を、して……しまいました」
息を呑むシェイドに、何故か言葉と一緒に涙が込み上げてきた。そんな資格はないのに……必死に涙を飲み込んで、彷徨わせていた視線を向ける。
驚きに固まるシェイドは、躊躇いがちに手を伸ばし、リエラの腕をそっと引いた。
「リエラ嬢」
その声が掠れているようで、リエラは益々不安になってしまう。ごめんなさい、ごめんなさいと謝る気持ちが増えていく。今も踏ん張っていないと足はこの場から逃げそうで、掴まれていなければ身を翻しているだろう。
そんなリエラがどう映ったのか、シェイドは穏やかに問いかけた。
「その……少しお話する時間はありますか?」
「えっ」
リエラは目を見開いた。
改めて見ればシェイドの顔は目元が少し赤らんではいたものの、その眼差しは真剣で……自分に対する嫌悪や不快の表情は浮かんでいないようだった。
けれど──
リエラは意を決して、きゅっと口元を引き結んだ。
「はい……大丈夫です」
関わりを避ける事でシェイドの気持ちから目を逸らし過ごしてきたと、今更ながらに気が付いた。
仮に叱られたり苦情を言われるのだとしても、受け止めなければならなかったのに。
リエラはぐっと拳を作りシェイドの後に続いた。
◇
王宮の庭園ではラベンダーが咲き誇っていた。
王妃の庭園は薔薇を基調に、それぞれの王族も自身の好みで庭園を彩っていると聞く。
ここは外来用の庭園の一つなのだそうだ。
きっと城内の庭園はそれぞれ被らないよう造園しているのだろう。
ラベンダーの色と香りにホッと気持ちを和ませていると、シェイドは庭園内の噴水の前で足を止めた。
びくっと身体を強張らせるリエラにシェイドは切なげな顔で口を開いた。
「その、リエラ嬢。どうか謝らないで下さい。……私はあなたに感謝こそすれ、決して怒ってなどおりませんから」
え
「──え?」
リエラは目を見開いた。
だって。
怒っていない?
何故?
そして感謝?
……何に?
リエラの頭は今日、何度目か分からない混乱の渦に陥った。
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