第08話 ※ アロット伯爵


「──もう、いい加減許して貰えませんか?」

 そう告げるクライド殿下にアロット伯爵は無言でお茶に口をつけた。

「父上……」

 息子の声にカップから顔を上げ、改めてクライドを正面から見据える。


 第三王子の私室へと場を移し、伯爵は今クライドと対面している。──つまり私的な話をしたいのだとは分かっていたが……セドリー家について、というには些か違う空気に嫌な予感を覚えたのも後の祭り。の名を出され、伯爵は取り繕う事も出来ず顔を顰めた。


(レイモンドも共犯だったとは気付かなかった)

 そもそも粗忽者であるこの息子にそんな気遣いが出来るとは思っていなかった。そんなレイモンドの成長に意外な形で気がついたが、あまり喜ぶ気はしない。


 重い口を開く。

「……あの子は──リエラは傷ついているのです……」

(親の目から見ても、未だ引き摺っている)

 だから出来る限りの良縁でその身を守ってやろうと、尽くすその手を邪魔するものがあるのに気づいたのはいつ頃だっただろうか。


 疑念を抱いたのはリエラのデビュタント。

 あの相手からの名乗りを受けたその時だ。

 だが確信に至るには決め手も無く。子爵令息でしかない彼にそんな力は無いだろうという侮り、加えて元々抱いていた感情から、彼について深く考える事が出来なかった。


 ──彼だけは無い。

 アロット伯爵から彼への思いはそれだけだった。

 渋々リエラのパートナーを引き受けるレイモンドも、他の相手と過ごさせないようにする役だったと気付いたのも、やはりもう少し後だった。


 根回しが得意な、暗躍王子。

 それがアロット伯爵が第三王子クライドに抱く印象だった。


「そう言わないでやってくれ。話しただろう? シェイドも反省してるんだ。あれからリエラ嬢に振り向いて欲しくて必死だったこの八年の軌跡は、君も良く知っているだろうに」


 目の前でにこにこと笑う若造に苦いものを噛んだような表情が浮かぶ。勿論知っている。社交界での彼の評価は決して華やかなものでは無かったが、堅実で優秀で、確かに娘を託す親としては理想的なものだったから。


 しかし面白く無かった。

 何よりそんな彼こそがリエラを傷つけた張本人であったし、何がどうなって一度袖にした娘に惹かれたのかは分からないが、今更だと思った。

 好きだと言うならその人の幸せを願って身を引いたらどうかと苛つきもした。

 正直言って、今更娘の人生に関わって欲しくない。


「いつまでもウジウジとしている癖に私の婚約者については苦言を呈する姿に苛立ってしまってね。つい意地悪をしてしまったんだよ」

 

 ……あの男にイラつく気持ちは分かるが、煽ったのはあなたかと、目の前の人物に不敬な眼差しを向けそうになり目を伏せる事でやり過ごした。


「彼女がお見合いをするとか聞いたら、いい加減行動を起こすだろうと思ったんだけどね。それに良い相手なら身を引く可能性があるだろう?」


 ……全く持って良い性格をしている。

 そう言いながら引き合わせた相手がであるのだから。この男が絶対分かっていただろう事は明白だ。

 しかし一度言葉を発せればこの鬱屈とした思いは止まることをしないだろう。伯爵は奥歯を噛み締め口元を引き結んだ。


「……父上、私もシェイドの事は間近で見てきました」

 

 何だ裏切者という眼差しを息子に向ける。

 一瞬怯んだそれも、目に決意を宿して、レイモンドは再び口を開く。


「確かに良い出会いでは無かったかもしれません。ですが子供の頃の話ではありせんか? それにリエラもずっとシェイドの事を引き摺っているように見えます。一度二人で向き合う時間を持たせてみたらいいじゃないですか。それでもどうしても合わないようだったら二度と会わせなければいいのです。父上、リエラの為にも、二人を引き合わせる事をどうぞお許し下さい」


 頭を下げる息子に対し、うるさい黙れと思いながらキツく目を閉じた。

 ……確かにリエラは引き摺っている。

 まともに他の令息に目を向けられなくなっているのもそのせいだろう。

 だから……


「決別の為の邂逅という事ですな」


 そう問えばクライド殿下の口元が僅かに引き攣った。

(当然だ、娘以上に私は根に持っている)

 お父様大好きと言われ嬉しくない父親はいない。

 ……けれどその背景は恋愛に対するトラウマが原因なのだから。自然と険しくなる目元にクライド殿下が視線を逸らせた。


「あー、……まあ。お互い気持ちをぶつけ合えば、歩み出す転機となるだろう、と言う事だ」

「……」

 娘をシェイドに引き合わせる為に醜聞を用意した手腕。つまらない噂だがリエラの為にも穏便に解消しなくてはならない。その為にはこの王子の後ろ盾が必要なのは確かである。


 勿論彼の側近を務めるあの男と会わせたくはなかったが、王族相手というこちらの立場を考えれば、リエラを登城させないという選択肢は無かった。


 苦々しい思いを噛み締めていると、クライド殿下はにっこりと笑みを深める。

「──まあ、その後もしリエラ嬢の縁付きが難しくなってしまうようなら、も空いているから」


 そう言って自分の隣をポンポンと叩く姿に一瞬にして表情が抜け落ちた。ひゅっと喉が鳴ったような気がする。


 ……冗談ではない、この腹黒。


 しかし自己犠牲すら笑顔で受け入れ楽しんでしまいそうなこの男に背筋が凍る。……もし、万が一、リエラが目の前の男を選んだら……?


「畏まりました」


 気付けば頭を下げていた。

 それだけは絶対に回避しなければならない。

 それを見たクライド殿下は大変満足そうに頷いていた。

 

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