第09話
「良く分かりましたね……」
そう言って再び眼鏡を外し、シェイドは何故か嬉しそうな顔で微笑んだ。
それを見てリエラは思わず怯んでしまう。
(……えっと、あれ? 余計な一言を鬱陶しがられるかと思ったのに……)
他でもない自分に声を掛けられて、不愉快では無いのだろうか……? そんな疑問が頭を掠める。
眼鏡疑惑については、実は学生時代から疑問視していた。なんと言うか……彼は眼鏡をしている癖に見づらそうにしていたのだ。
あまり視界に入らないように気を遣っていたせいで、むしろリエラはシェイドをよく見ていた。だからわざわざ眼鏡を外して文字を読む姿を見かけては、首を傾げていたのだった。
今だってそうだ。胸ポケットに眼鏡を収めたのはここに駆けつける為で、走るのに邪魔だったから。
多分視力が悪ければ、走る際は眼鏡がないと見えないだろうから。
しかしそれもまたリエラの罪悪感を掻き立てた。
視力が良いのに邪魔でしかない眼鏡を掛けさせていた。そしてその理由を作ったのは恐らく自分だと思い至れば、胸が塞いだ。
「いえ……あの、それよりすみません。急に執務室から出てきてしまって……」
勝手な振る舞いを詫び、もしかして追いかけさせてしまったのかと顔を上げれば、何故か今度は不機嫌そうにしているシェイドに竦み上がる。
(え……今度は何?)
「そんな事よりリエラ嬢の急用というのは、セドリー令息と会う為だったのですか?」
「──はい?」
そんな事よりそんな事ですか?
いや、それより何より。んなわけない。
リエラはぷるぷると首を横に振った。
「ち、違います!」
つい拳を握り意気込んだ姿がどう映ったのか。一瞬驚いた顔をした後で、シェイドはぱーっと笑みを広げた。
(う、眩しい)
思わず手を目の前に翳しそうになるのを何とか堪えて、リエラはそわそわと周囲を見回した。
先程のひと騒動もあって、ここにはチラホラと人がいる。その人たちの視線は急に現れた美青年に集中しだしているようだ。
(こんな場面に居合わせてしまうなんて……ああどうしよう。居た堪れないし、もし醜聞が増えてしまったら……)
リエラは、ささっとシェイドから一歩下がった。
「あの、追ってきて頂いて申し訳ありませんでした。それではその……私はこれで失礼致します」
「いえ、待って下さい」
そそくさと方向転換したリエラの前をシェイドが塞ぐ。その素早い動きに目を丸くする。
「宮廷医の元に行きましょう。腕を診てもらわなければなりません」
「はい? いえそんな、それ程では……」
思わずアッシュに掴まれた腕を見る。
キツく握られた場所は未だ跡が残っているものの、別に傷にはなっていない。時間と共に回復するだろう。
けれど大丈夫だと返事をする前にシェイドはリエラの手をぐいと引いた。
「いいえ、少なくとも至急消毒しなくてはなりません。直ぐに医者の手配をしますので、暫しご容赦ください」
「きゃっ」
え、なんで?
ぐんと高くなる視界に驚き、不安定な体勢を支えるべくシェイドの首に手を回す。
「ま、待って……あのその……」
すたすたと進む彼にそこまでしなくていいと、せめて下ろして下さいと、羞恥が滲む中で何度も申し出たものの、全く聞いて貰えなかった。
王城内の人々から奇異の目を向けられて、恥ずかしさに顔が茹で上がる。だからきっと余りの顔の赤さにリエラだと気付く人などいないに違いない、と思うようにした。
長い回廊を抜け、ようやく宮廷医の元に辿り着いた時にはリエラはぐったりしていた。そのせいで医師たちに急患と間違えられてしまい……泣きたくなった。
主な治療内容は腕の消毒。それを念入りに行うようにと真顔で指示を出すシェイドに、医師たちは呆れながらも応じてくれたのだが、リエラの心は瀕死だった。
恐らくシェイドは城内でリエラが怪我を負ったのを自分の責任と感じているのだろう。治療中、痛々しそうな顔で消毒箇所を凝視していたから。
そしてその姿にやはり申し訳なくなってしまう。
(これ以上私の事で煩わせたくないのに……)
しゅんと顔を俯けていると、何やら扉の方が騒がしくなった。
何だろう。
兄かしらと様子を覗っていると、困惑する医師たちを押し切り、一人の令嬢が入って来た。そしてその後に続く複数の令嬢たち……
(あ、あれはっ)
「ごきげんよう、シェイド様。騒ぎの後、医務室に向かうと聞いて慌てて駆けつけましたのよ?」
「──レーゼント侯爵令嬢」
ポツリと呟くシェイドにリエラはハッと息を飲んだ。
◇
ベリンダ・レーゼント侯爵令嬢──第三王子、クライド殿下の筆頭婚約者候補だ。
が、
リエラはじと目でベリンダを見つめた。
ベリンダはポゥッと頬を染め、シェイドの顔に魅入っている。どっからどう見ても恋する乙女の眼差しである。
(ベリンダ様……クライド殿下の近くにいるうちに、シェイド様の素顔を見る機会があったの、かも……)
もしかして──クライド殿下の保険に。とか考えているのかもしれない……
シェイドは子爵家だ。
ベリンダがクライドの婚約者になれないのなら、彼の側近を婿に迎える未来もなきにしもあらずで……
(仮にそうなら子爵家のシェイド様には断りにくくて──いや、一人娘のベリンダ様の入婿になればシェイド様は次期侯爵。良縁と言えなくもない……でも……)
何故かもやもやする胸を抑え、リエラは首を俯けた。
「大丈夫ですのシェイド様? まさかお怪我を? 一体どちらを?」
ベッドに腰掛け腕に包帯を巻くリエラには目もくれず、ベリンダはシェイドの身体を確かめるようにペタペタと触る。
一応、子爵家のシェイドに侯爵家のベリンダから声を掛けるのは間違っていないけれど、婚約者でも無い相手に気安く触れるのはマナー違反だ。
シェイドはくっと眉根を寄せ、身体を後ろに引きベリンダの手から逃れた。
「怪我をしたのは私ではありません。こちらのアロット伯爵令嬢です」
そう言いながらシェイドはリエラの背にそっと手を添えられた。胸がどきりと跳ねる。
けれどその様子に目を眇めたベリンダは、口元に手を添え声を張った。
「まあ! アロット伯爵令嬢と言ったら平民に婚約者を奪われた醜聞令嬢ではありませんか! いけませんわシェイド様! そんな方に近寄っては!」
リエラに向かって大袈裟に驚いた振りをして、今後はシェイドにしがみつく。
(……人をバイキン扱いしないで欲しい)
それにあなたに言われるのは心外だ。
何て思いが頭を掠めた。
ベリンダは確かに婚約者筆頭だけれど、ずっとそうなのだ。
初めは第一王子殿下、次いで第二王子殿下、今は第三王子殿下……
なので彼女の年齢は二十二歳とクライドより三つ程年上である。貴族令嬢として若干行き遅れ気味ではあるが、王族の婚約者候補という大義名分を掲げている為、誰も何も言わない。ベリンダもその実家でさえも、三人全員に断られる事など考えてもいないのだ。
レーゼント侯爵は王子たちの婚約者候補を務めた実績を盾に、絶対に第三王子に責任を取ってもらう気でいるのだとは、専らの噂だ。
だから最近のベリンダはクライドに絶対選ばれる自信に満ち、特に傲慢が際立っていた。それに……
(もし殿下が駄目でも、それならシェイド様を貰うから良いとお考えなのかもしれない……)
妻を臣下に下げ渡すという文化は、古くはあるが、確かに存在した因習だ。
リエラは眉根を寄せた。
ベリンダの存在も、彼女のの影でくすくす笑う取り巻きの令嬢たちも、ただ不快でしかない。
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