第07話
本能がやばいと告げ、じりっと後退した背後から、バタバタと憲兵が現れた。
それを見てリエラはぎょっと身体を強張らせる。
「ウォーカー様! 騒ぎがあると通報を受けて来たのですが、これはどういった状況なのでしょうか?」
そう言って憲兵たちは涙を流しシェイドに縋るクララを見てから、訝しげな眼差しをリエラに向けた。
(……あ、終わった)
うるうるした生き物には敵わない。
世間は皆、小動物の味方。しかもリエラはつい先日王族を醜聞に巻き込んだ。その悪名は既に城内にも届いている事だろう。
チラッと未だ伸びたままのアッシュに目を向けて、ここは令嬢らしく自分も気を失う場面だろうかと画策する。
(よし)
ちょっと頭を打ち付けてしまうかもしれないが、もうここは覚悟を決めるべきだろう。ぐっと拳を握り、固く目を瞑った瞬間に、シェイドが憲兵に向け声を張った。
「ああ、この平民女とそこで伸びてるセドリー令息を不法侵入で逮捕しろ!」
リエラがハッと目を開けるのと、憲兵がシェイドに敬礼を返すのがほぼ同時で、リエラは思わず周りをキョロキョロと見回した。
(え、無罪? 私、無罪ですか?)
呆然と喜ぶリエラとは対照的にクララが涙を称えつつ怒気を放った。
「ちょっと! どういう事ですか? 私は被害者だって言っているのに!」
そんなクララにシェイド様訝しげな眼差しを向ける。
「……平民が許可なく貴族の身体に触れるなど許されない。市井にいる者なら常識だろう。知らぬとは言わせない」
今尚添えられた手を怪訝な顔で見下ろして、シェイドは嫌そうに身を引いた。
……そう、確かにリエラも戸惑った。
(それくらい貴族と平民の間には高い身分差があるというのに……)
確かにクララはアッシュから良い服を与えられているようだが、それでも、少なくとも城内で彼女と貴族と思う者はいないだろう。それ程に貴族女性とは洗練されているものなのだ。言葉遣いや所作一つとっても、彼女を貴族と見まごう者はいない。
シェイドはもしかしたら寛大な心で対処してくれるかと思ったけれど、やはり常識的に許されなかったようだ。……少しだけ意外だけど。
「でも! 私はアッシュの──!!」
そんなシェイドの沙汰に不満を爆破させ、クララは尚も言い募る。……ああ不敬が重なるのに。なんだか意識が遠のいていくような気がする。
「……恋人だとして何だ? お前が平民である事に変わらないだろう」
そこでクララの表情が変わった。
うるうるした小動物の顔が様変わりし、牙を剥き出した獣のように顔を歪ませる。
「何よ! アッシュは王族なのよ!」
は?
という顔をしているのは憲兵だ。
だってアッシュは王族ではない。
その血も引いておらず、勿論王族の誰かと婚約関係にある訳でもない。
憲兵には平民も含まれているけれど、正直それくらい常識の範囲内だ。だから彼らのような反応は、城に関わる者だとより顕著に表れる反応なのだろう。
何だコイツという彼らの反応に、何故かリエラの方が居た堪れない気分になってしまう。
(顔見知りってだけなのに……)
そんなクララにシェイドが呆れたように溜息を吐いた。
「勘違いして貰っては困るが、彼は王族ではない。まして現状王家から正式に謹慎が言い渡された身でありながら、王城でのこの騒ぎ。……伯爵次第ではあるが、決して軽く無い沙汰が言い渡されるだろう」
淡々と話すシェイドに流石にクララは青褪めた。
リエラも思わず固唾を呑む。
綺麗な顔から表情を無くすと、逆に迫力が出て怖くなるものだ。指先が冷えるような感覚に、ぎゅっと両手を組んだ。
「っ、だからそれは誤解で……」
クララは縋るようにシェイドに手を伸ばしたが、届く間も無く両脇から憲兵に拘束され身動きが取れなくなった。
「放しなさいよ! 私は未来の王子妃なのに! 気安く触らないで!」
「王家への侮辱罪も追加しておこう」
シェイドの冷え切った眼差しに力強く頷く憲兵に、クララは益々顔を青褪めさせた。
「何で? 嫌よ! 私は何も悪い事なんてしていないわ! むしろ被害者で……そうよ、そこの女よ、その女が悪いの! アッシュを殴ったの、私見たもの! 私にも言いがかりをつけてきて……」
「……セドリー令息の手を払ったのは私であって彼女ではない。仮にリエラ嬢の手が当たったのだとしても正当防衛の範囲内だと私が保障する。──連れて行け」
きっぱりと告げるシェイドに憲兵が礼を返し、リエラにも目礼をしてくれた。
ホッとした瞬間、クララの泣き声に身体が縮こまる。
「いやあ! 嘘でしょう?! 私の話を聞いてよ!」
叫ぶクララとアッシュを容赦なく引き摺って、憲兵たちは立ち去った。
……まるで嵐が去ったような脱力感が訪れる。
彼女に勝手な事を吹き込んで誤解を生んだのはアッシュ。だからクララは確かに被害者とも言えなくはない、けれど……
それでも彼女が自分の立場を都合よく解釈して、貴族と王族に無礼を働いた事には変わらない。
通常平民は、貴族に関わり、あらぬ誤解をされないようにと距離を取るものだ。彼女の場合、アッシュの近くにいすぎてその感覚が麻痺してしまったのだろうけれど……
(多分、百叩きくらいの刑だと思うのよ)
温情で半分に減らされるとか、手加減して貰えるとかはあると思うので堪えてほしい。流石にリエラも少なからず迷惑を被った身として、無罪放免は看過できないと閉口した。
──なんて一息入れていると、直ぐ傍から落ち着いた声が降ってきた。
「……アロット伯爵令嬢」
びくりと身体が跳ね上がる。
一難去ってまた一難。
ああ、今度は何を言われるのだろうか……
リエラはびくびくと振り返った。
「……えっと」
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……」
ちらっと視線を上げると気遣わしそうなシェイドの眼差しとかち合った。
(久しぶりにこの顔を見るわ)
子供の頃は同じくらいの高さにあった顔が今は上から見下ろしてきているのが、何だか感慨深い。
……昔は頬はもっと柔らかな曲線を描いていて、桃色に色付いていた。
今はシャープになった面差し、広くなった肩幅に男らしくなった骨格……
襟ぐりから見える喉仏が何だか不思議で、あれから本当に八年も経ったんだなあと、改めて年月の長さを思った。
「大丈夫です……」
「……良かったです」
そう目元を和らげるシェイドも、少し変わったように思う。八年で随分大人っぽくなった。
そんな思いで眺めていると、シェイドが徐に胸ポケットから眼鏡を取り出して装着した。
それを見てリエラは何となく気になっていた事を口にしてしまった。
「あの……それ。もしかして……度が合っていないのではありませんか?」
ぴくりと反応するシェイドの表情は読めないけれど、そのまま固まった彼の反応から、やっぱりそうだったんだと思い至る。
けれど、
(……ま、またやっちゃった!)
さぁっと自分の顔が青褪める音が聞こえた。
シェイドの反応を見るに、触れてはいけない事だったのだ。
リエラの頭は真っ白になった。
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