下
アトラは森を歩いて回るが、娘の姿を見つけることはできなかった。
「……見つからないな」
アトラはため息を吐く。
「探してるやつの持ち物とか預かってないのか。その親族でもいい。血縁者なら同じような匂いがするはずだ」
ヒューガに尋ねられて、アトラはツールポーチの中を漁った。
「ああ……報酬としてもらったペンダントなら」
アトラは出発する直前ミレーに持たされたペンダントをヒューガに渡す。
すん、とペンダントの匂いを嗅ぐと、ヒューガはぱっと顔を上げて、西の方角を指さす。
「…………似た匂いがここから西の方に感じる。行ってみるか」
「本当か。……ありがとう」
「なぁに。俺とアトラは恋人同士なんだ。当然のことだ。礼を言われるまでもない」
わけのわからないことをまた言い出すヒューガに、アトラは嘆息した。
「誰がそんなこと決めた。勝手に決めるんじゃない。まあありがたいのは確かだが、それとこれとは別だ」
「細かいことは気にするなって。行くぞ」
ヒューガは強引にアトラの腕を掴み、走り出した。
しばらく走ったところで、ヒューガが立ち止まる。そこは崖の近くであった。
「ここに……? 誰かいるか!」
そうアトラが叫ぶと、崖の下からか細い声が聞こえてきた。
アトラは慌てて下に降りていく。するとそこには小さな洞窟があった。中に入ると、そこには二十歳ほどの金髪の女性がいた。彼女は縄で縛られていて、服はボロボロになっている。顔には殴られたような傷があり、足には傷を負っていた。
「大丈夫か⁉ 今手当てをするからな」
アトラは女性に近づき、持っていた薬を取り出して治療を始めた。
「ありがとう……ございます」
女性は震えながらお礼を言った。
「どうしてこんなところに?」
「私、奴隷商人に捕まって……。逃げようとしたら、見つかって、殴られたり蹴られたりして……」
「なんてひどい話だ……! あの、ミレーさんと言う人を知ってるか?」
「母と同じ名前です……」
「!よかった、お母さんが心配していたぞ」
アトラの言葉を聞いた女性の顔が明るくなった。
「ありがとうございます……もう、母に会えないかと……!助けに来てくれて本当に感謝しています」
「いいって。困った時はお互い様さ。わたしはアトラ。傭兵をしている。お母さんのところに送っていくぞ」
アトラは軽々と女性を背負った。背も体格も女性の方が大きかったが。
「よ、よろしくお願いします。小柄な方なのに凄い力ですね……!」
女性は驚いた様子で呟いた。何故かそれを聞いて、ヒューガが誇らしげな顔をする。
「そりゃあ、アトラはドワーフ族だし、それに俺の恋人だからな」
「後者は関係ないし事実じゃないが、わたしがドワーフ族で人間の女よりも力があるのはホントだぞ」
「そうなんですね、私、ドワーフ族の方に初めて会いました。そちらの男性も、なんというか……犬みたいな耳がありますよね」
「犬だと……?」
きっとヒューガが睨むと、女性はびくっと肩を震わせた。
「コイツは獣人で、狼牙族なんだ。わたしとは違うが、人間じゃないいわゆる亜人の一種だな」
「そうなんですね……あまり私が暮らしてる街では他種族の方がいないので、びっくりしました」
「そういえばミレーさんもドワーフ族の事を知らなかったな、そういう人間も少なくないからな」
「フン、人間と言うのは、数だけはやけに多いからな。厚顔無恥とはこの事だな」
ヒューガは鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った。
「そんな言い方はないんじゃないか」
「俺は狼牙族であることを誇りに思うし、ドワーフ族も素晴らしい種族だとは思うが、人間は嫌いだ。エルフ族よりはマシだがな」
「ヒューガ。人間にだって沢山いい人はいるぞ」
「……お前は人間に奴隷として売られたことがあるのに、何故そこまで人間の肩を持つんだ?」
ヒューガの問いに、アトラは目を泳がせた。
「……それは……」
「……同じ人間として恥ずかしいです、謝らせてください、アトラさん」
女性が頭を下げて謝罪した。それを見て、アトラははっとして、口を開く。
「あなたは悪くないよ。……こういうことだ、ヒューガ。わたしを売り飛ばそうとした奴隷商のような悪人もいるが、こうしてわたしの痛みによりそえる娘さんだっている。わたしは全ての人間が悪人だとは思っていない。だから助けたいと思ったら助ける。種族関係なく」
「……俺には理解できない」
ヒューガは不機嫌そうに言って、その場を離れた。どこか行くわけではなく、少し離れた場所で機嫌悪そうにむくれているだけのようだが。
「すみません、失礼な態度を取ってしまいまして」
女性は申し訳なさそうに言った。
「いえ、こちらこそ。アイツは狼牙族だからな……自分たちの種族が至高と思っているから、割と他の種族を見下しているが……まあ、悪いヤツではないよ」
「そうですか……なんというか、お二人はとてもお互いを理解し合ってると言うか……そういう関係なんですか?」
「それは違う!!!」
アトラは女性の言葉を慌てて否定した。
「でも、アトラさんがヒューガさんに向けている視線が……」
「気のせいだ! 確かに昔気の迷いで恋人になった時期もあったがそれはやっぱり気の迷いであって、ああそう気の迷い以外の何物でもなく、気の迷いでしかないし気の迷いのなかの気の迷いで、とにかく気の迷いなんだ!!」
アトラは女性の言葉を否定するかのように早口でまくしたてた。
「でも、ヒューガさんがアトラさんのことが好きなのは間違いないようですよ」
「わたしは好きじゃない!!」
「ヒューガさんに好かれて迷惑とか思ってますか?」
「迷惑だ!」
アトラはきっぱりと言った。そして続ける。
「アイツはしつこいんだよ。こっちがいくら拒否しても追いかけてくる。ストーカーだよ、あれじゃあ」
「ストーカー!?」
「そうだ。わたしは何度も断った。それでもアイツは諦めずにわたしを追いかけてきたんだ」
「なんて執念深いんですか……。でも、それくらいアトラさんのことが好きということなんですよね」
愛情深い方なんですね、と女性はつぶやく。アトラは眉をひそめ、口を開いた。
「あんなのは愛情なんかじゃない。執着してるだけだ」
アトラは視線を落として、吐き捨てるように言った。
「少し揺れるが、サイドカーに乗ってくれ。徒歩や馬車より遥かに早いからな」
女性にそう言うと、アトラに示されたサイドカーにおずおずと彼女は乗り込んだ。
「分かりました。よろしくお願いします」
「じゃあ俺はアトラの後ろに乗ろう」
「お前は歩け。わたしのバイクは二人乗せるのが限界だ」
「ケチくさいことを言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」
「重量で無理だって言ってるんだ!」
「大丈夫だ。俺は鍛えてる」
「鍛えているのとバイクの総重量は関係がない!……じゃあお前がバイクに乗れ。わたしは歩いていくから」
「それじゃあ俺も歩く」
「それじゃあ彼女は誰が運ぶんだ馬鹿!」
「自分で運転すればいいだろう。それで俺はアトラと手を繋いで街まで歩いていく」
「……もうお前と話していると頭が痛くない瞬間がない……」
アトラは頭を手で押さえながらため息をつく。
結局、三人で無理矢理アトラのバイクに乗る事で丸く収まった。
女性はサイドカーに乗り込む。アトラは後ろの荷台に座ったヒューガを睨みつけ、口を開く。
「これでわたしのバイクが故障したらお前、ぜったいに許さないからな!」
「心配するなって。絶対に壊れたりはしない」
「なんなんだその自信は……」
アトラがエンジンをかけ、アクセルを開けて発進させた。アトラはバイクを走らせつつ、女性に声をかける。
「そう言えば君の名前はなんと言う?」
「私ですか? 私はカナンといいます」
「カナンか。かわいい名前だな」
アトラが褒めるとカナンは頬を赤らめた。
「ありがとうございます。ところでアトラさん、一つお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「ん?なんだ?」
「アトラさんはどうして傭兵をしているんですか?失礼かもしれませんけど、傭兵の仕事は危険な仕事も多いと思うんです。命の危険があるのに、なぜ傭兵をしているのかが気になって」
カナンは遠慮がちに聞いた。彼女はそういう、命のやり取りから遠い所にいるのだろうとアトラは思った。
「そうだな。確かに危険は多いかもしれないが、わたしには他に生きる道がなかったんだ」
「他に生きる道がなかった、というのはどういうことですか?」
「わたしはドワーフの故郷から奴隷商に攫われた身でな。その時に両親も兄弟も殺されてしまった。そしてわたしだけが生き残った。だからそのまま奴隷商に連れていかれたんだが……ヒューガ……こいつはもともと盗賊の首領をやっていてな」
「えっ!?盗賊の首領だったんですか!」
カナンの声にヒューガは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「アトラ」
「事実だろう。ヒューガ、お前が盗賊団の頭をやっていたのは。それでその奴隷商を殺してこいつはわたしを強奪して行ったんだ、まあそれでわたしはこいつから逃げ出して、いざどの仕事をしようかとなった時、傭兵くらいしかなかったというわけだ」
「ぐ……まるで俺が悪者みたいな言い方だな……」
ヒューガは眉間にしわを寄せた。
「実際に悪いやつじゃないか。奴隷商の砂漠船を襲って、金目の物と気に入った奴隷の女を強奪して行った。で、お前のお眼鏡に適ったのがわたしというわけだ。徹頭徹尾悪人だろ」
「あの頃は若かったんだ!十五だぞ!」
ヒューガは声を張り上げた。咳払いをしてから、続ける。
「俺はただ砂漠船が通る場所に関所を設けただけだ。金を払えばアトラや他の団員が気に入った奴隷を頂戴するだけで済ませるつもりだった。それなのにあいつらは俺に突っかかってきた。だから殺し、船を奪った。それだけのことだ」
悪行をなんともないことのようにヒューガは語った。
カナンは引いていた。無理もないだろうとアトラは思う。
「まあ一応こいつはもう盗賊団は解体したし、完全とは言わないが、一応改心はしている……はずだ。多分。おそらく。だがまあ、わたしが奴隷商の元から逃げることができたきっかけになったのはヒューガのお陰でもある。悪行には変わりないがな」
「うぐ……」
恨めしそうに見てくるヒューガを無視して、アトラはバイクを走らせ続けた。
「――さあ、街が見えて来たぞ!」
アトラはミレーが待つ街が見えてきて、バイクの速度を上げた。
「お母さん!」
カナンはミレーに抱き着いて泣いた。
「ありがとうね、わたしの娘をみつけてくれて……本当にありがとうねえ」
ミレーは涙を流しながら、アトラに何度も礼を言った。
「気にするな、パンケーキの礼だ」
にこっと笑って、アトラはミレーに言う。
「じゃあな、カナン。もうお母さんを心配させるなよ」
「ありがとうございます、アトラさん……!元気で」
「ああ。おまえたちも、達者で暮らせよ」
アトラはバイクに乗り込んだ。エンジンを吹かし、そのまま走り去って行く。
その姿が小さくなるまで、カナンとミレーは見送った。
「また会えるかな」
カナンが目をこすりながらつぶやくと、母は優しく手を引いてくれた。
「きっとまたどこかで会うことになるだろうさ、さあカナン、家にお入り」
「わかった。あの、お母さん、ごめんなさい……」
「ふふ、あんたも大きくなったんだねえ。家出なんて。昔はあんなに泣き虫だったのに」
「そんなことないもん! ……でも、ごめん、ほんとうに……」
またボロボロと泣き出しながら、カナンはミレーにしがみついて謝った。
「謝ることなんて何もないよ。カナンが生きていた。それ以上に大切なことがあるかい?」
母と娘の喜びの涙の様に、星空は美しく瞬いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます