アトラがしばらくバイクを走らせていると、街が見えてきた。

 アトラはスピードを落として、ゆっくりとその門を通過した。街の中に入るとすぐに広場があり、そこを通り過ぎてから道なりに進む。

 やがて見えてきたのは大通りだった。広い道路を挟むように店が建ち並んでいる。様々な人種が行き交うこの通りは、とても賑わっていた。

「これはいいものだな、少し値段が高いけど」

 そう言って立ち止まったのは装飾類が売っている店の前である。

 硝子越しに見える品物を見て回る。どれも素晴らしい出来栄えで、見るだけでも楽しめるものだった。しかし、今の彼女には買えるだけのお金はない。

「ドワーフが造ったものではないが、人間の職人もかなりの腕前のものがいるみたいだ。わたしも見習わなきゃ」

 感心するように言ったあと、「また今度来よう」と呟いてその場を離れる。

「これからはわたしもドワーフ族らしく生きるんだ……」

 決意じみたつぶやきをしながら、その後も大通りを進み続けていると、年老いた女が苦労して荷物を運んでいるのがアトラの視界に入った。

「手伝おうか?」

 アトラはそう声をかけて、老婆の持っていた大きな袋を持ってあげた。

「あら、ありがとうねぇ。困っていたところなんだ」

 嬉しそうな顔になる老婆。

「どこまで持っていけばいいんだ?」

「助かるわぁ。それならあそこの角の家だからお願いするわね」

「わかった」

 二人は並んで歩き始める。

「小さいのに偉いわねえ」

「こうみえてわたしは二十五なんだ。ドワーフ族だからな」

 アトラは自慢げに胸を張る。

 尖った小さな耳に、人間の十から十二くらいのあどけない外見。それがドワーフ族の特徴だった。年相応にみられないのを嫌がって、男はひげを生やすものも多い。

「まあまあ、それは失礼したわ。ドワーフ族は見た目で年齢がわからないもので……」

「気にするな。よくある。……ところで、さっきから気になっていたんだけど、あの建物は何だ?」

 アトラは通りの真ん中にある建物を指差す。蒼いステンドグラスが美しい建物だった。少なくとも、アトラの記憶には鉱山と、砂漠、先ほどの海、森、そして――薄暗い洞くつしかない。

「あれは教会だよ。神様のお告げを聞く場所さ」

「そうか。人間は教会を建てるんだな。わたしたちは祭壇に鍛冶の神が祀られているんだが……」

「へえ、ドワーフ族の信仰する神ってのはどんなものなのかしら」

 興味深そうな顔で訊ねる老婆。

「わたしたちが信仰するのは鍛冶の神ヘファイストスと、炉の女神ヘスティアーだ」

「ふぅん。聞いたことのない名前だけど、どっちも有名な神様じゃないのかい?」

「うーん。ドワーフ族が信仰している神だから、人間が知らないのは無理はないと思う。どちらも火に関連する神だから、人間の事もきっと見守られているとわたしは信じている。きっと寛大な方々だ」

 誇らしげに、アトラ。

 ドワーフ族は鍛冶で生計をたてるものが多い。だからこそ、火を神聖なものだと認識しているので、神格化し、崇拝しているのだ。

「あんたは良い子だねぇ。お腹空いてないかい?家に寄ってお菓子を食べていきなさい。ご馳走するから」

「本当か!?でも悪いぞ」

 アトラは空腹を覚えていたが、礼を貰うために荷物を持ったわけでもなかったので、躊躇った。

「遠慮しないでいいんだよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……!」

 アトラが嬉しそうにすると、老婆もその表情を見て顔をほころばせた。


 老婆の家は、とてもあたたかみのある家だった。豪華な調度品や、高そうな家具はないが、素朴だからこそ、あたたかさのある家で、アトラは初めて訪れたというのに、居心地の良さを感じていた。

「はい、お待たせ。焼きたてのパンケーキだよ。熱いうちに食べておくれ」

「おお、これは美味しそうだな……! ありがたくいただく」

 アトラの前には湯気を立てているパンケーキが置かれていた。

 一口頬張ると、口の中にふんわりとした生地と、バターと蜂蜜の風味が広がる。

「とても美味しい!」

「それは良かったわぁ。おかわりもあるからね」

「本当にありがとう。おかげで元気が出たぞ」

 アトラが笑顔を見せると、老婆もにこにこと笑って、嬉し気にしていた。

「作った甲斐があったわあ」

 アトラはあっという間にパンケーキを平らげてしまうと、きょろきょろと家の中を見渡した。

「それにしても、一人で暮らすのは大変じゃないか?助けてくれるものはいるか?」

「実はね、娘がいるんだけど、最近になって家を飛び出しちゃったのよぉ。どこに行ったのかわからないけど……」

「それは……心配だな。よし、わたしが探しに行こう」

 アトラはすぐに立ち上がる。

「えっ、いいのよ、そこまでしてくれなくても。……もしかしたら、もうこの家が嫌になって出て行ったのかもしれないし……」

「でも、もしかしたら危ない目に合っているかもしれない。そう思わないか?」

 言われて、老婆は不安げな顔をした。アトラはほほえんで、続ける。

「大丈夫だ。困ったときはお互い様だ。そして目上のものには優しくするというのがドワーフの掟なのだ」

「……じゃあお願いしようかしら……。改めて、私はミレーっていうの。よろしくね」

「わたしの名前はアトラという。こちらこそよろしく頼む」

 アトラは力強く答え、そして立ち上がりながら続ける。

「ミレーさん、娘はどこにいるのか見当はつくか?」

「ええと、多分だけど……街の近くの森の方だと思うわ。何か嫌な事があると、あの子はいつも森の方へ行っていたから……」

「わかった。では行ってくる」

「ありがとう……。アトラちゃん、気をつけてね。お願いね」

 心配そうに見つめる老婆にアトラは手を振りながら外に出ると、バイクに乗って走り出した。


 アトラはバイクを走らせながら、森の中へと入っていく。

 と――突然後ろに誰かが乗ってきて、アトラはバランスを崩しかけた。

「うわっ!?」

 慌ててブレーキを掛けると、ギリギリのところで転倒は免れた。

「おい、危ないだろ!!」

 アトラは急に飛び乗ってきた後ろの人物に向かって言う。

「悪かった。だが、こうでもしないとお前は止まってくれなかっただろう?」

「何!?」

 アトラは素早く振り向く――のを後悔した。

「げ……」

 そこには黒髪に金の瞳をした男が乗っていた。

 年齢は二十代前半くらいだろうか。

 端正な顔立ちをしており、服装は蒼いジャケットを羽織っており、白いシャツを着ているラフなものだ――それだけ見れば、普通の人間だが、彼の頭に生えている狼のような耳と、ふさふさの尾がそうではないことを物語っていた。

 さあっとアトラは顔を青ざめさせた。

「うわあああ!ヒューガ!なぜお前がここに!」

「会いたかったぜ、アトラ。俺から逃げられると思うなよ?」

 狼牙族の特徴である耳をぴこぴこ動かし、ぶんぶんと尻尾を振っている。

「わたしの記憶では、お前とはきちんと別れたはずだが……!」

 アトラは冷や汗を流しながら呟いた。ヒューガは馴れ馴れしくアトラの肩に手を置く。ぞっとして、その手を振り払った。

「触るんじゃない!!それにわたしは今忙しいんだ!消えろ!」

「仕事など捨て置け。俺に構う方が最重要事項だ」

「どうしてそうなる。そもそもなんでお前はわたしを追ってきたんだ」

「言っただろ。俺はお前のことを愛しているからだ」

「ちゃんとお前とは別れると言った! なのに何故ついてくる!?」

 アトラが怒鳴るとヒューガは首を傾げる。

「何度言わせる。お前を愛しているからだ」

 ヒューガの返答を聞いてアトラは大きなため息を吐いた。

「お前は……別れるという概念を理解しているのか?確かにお前とは一度気の迷いで付き合った事もあった。だが、ちゃんと別れを告げたはずだ。此処までは理解できたか?」

「でも再会した。よりを戻そうじゃないか」

 ヒューガの言葉にアトラは再び大きな溜息を吐き出す。

「……わかった。お前と話すのは時間の無駄だ。とりあえず、わたしは仕事があるからそこを退け。邪魔だ」

「なるほど……だが、俺と一緒ならすぐに見つかるぞ」

「はあ!?」

「何やら探し物をしているようだな。それなら俺は狼牙族だぞ、鼻が利く」

 ヒューガは自信ありげに言った。

「確かにそうだな……」

 不本意ながら、アトラは納得してしまう。狼牙族というのは、スコル、ハティやガルムといった狼型魔獣の祖である神獣フェンリルの血を引く獣人だ。

 すぐれた嗅覚をもち、探し物など朝飯前である。だが……。

「ちょっと待て。なぜ手伝う気になった」

 アトラは困惑した表情で立ち止まった。先ほど仕事など捨て置いて自分に構えなどと言い出した男だ。

「仕事をしている間、アトラは俺とイチャつくことはできない。だったらその野暮用をすぐに終わらせるべきだろ」

ヒューガはさらっと答える。不純極まりない理由に、アトラは絶句した。

「お前に助けられたくない……」

「困ったときはお互い様だとドワーフの掟があるんだろう。なら問題ないじゃないか」

 その言葉に、アトラは大きなため息を吐くことしかできなかった。


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