第3話 小さな幸せ

「おはようございます!」

 と社長の前でみんなが挨拶をした。


「はい、おはようさん!」

 と社長は言って、「花頼君、今日はこの資料を人数分コピーしといてくれるかな」

 と、数ページの資料を花頼さんに手渡している。


 土曜日はだいたい、午前中は営業会議をするので、きっとその資料だろう。


「はい、社長。4部ずつでいいですか?」

 と花頼さんは、社内の営業マンの数を数えて言った。


「ああ、それで頼む」

 と社長が返事をして、花頼さんがコピー機を操作している。


 僕はそんな花頼さんの姿を横目で追いながら、今朝淹れてもらったコーヒーを啜っていた。


 営業会議と言っても、今週の成果を発表するだけの事が多くて、成績が悪いと会議の席で色々とみんなに言われるけど、そうじゃなければだいたい11時半には終わる。


 社員は全部で12人しか居ない。営業マンは僕を入れて3人だ。

 ビルの一つ下の階を倉庫にしていて、商品の出荷はそこで行っている。


 事務員の女子社員が3人居て、あとの6人は出荷担当だ。


「おし、会議始めるぞー」

 と社長の声が聞こえた。


 僕は立ち上がって、会議室の方に向かう。


 その時に、コピー機の前を通り過ぎようとしたら、丁度コピーを取り終えた花頼さんが振り向いて、

「あ、穂地槍ほちやりさん。これ、お願いしてもいいですか?」

 と、今コピーを取ったばかりで、まだ暖かい資料を僕に手渡してくれた。


「え? あ、うん。預かるね」

 と僕は花頼さんから資料を受け取った。


 ああ、すごい。まだ暖かい資料の何割かは、きっと花頼さんの体温の名残なごりなんだよね。


 と僕は資料を胸に抱いて、まるで花頼さんの温もりを抱いている気分に浸りながら会議室に入って行った。


 会議室は6人掛けのテーブルがあるだけの部屋で、社長が短い辺の所に一人で座ると、反対側に営業3人がコの字型になって座る。

 僕は社長から見て右端に座っている。


 僕の向かいに座っているのは営業部長の山本さん。

 僕より5つも年下なのに、営業成績がすごくて3年前に部長になった人だ。


 僕の右手に座っているのは後輩の吉田君。

 今年で35歳になる、若手の営業マン。

 爽やかでオシャレだから、女子の人気は高いみたい。


「という訳で、今週も順調だったな。よし、じゃあ今日の会議はこれで終わろう」

 と、僕はあまり会議の内容が頭に入って来なかったけど、いつも通りの成果発表がメインで終わったみたいだ。


 みんなで「お疲れ様です」と言って会議は終了し、僕はオフィスに戻って自分の席に着いた。


 僕の向かいの席に座った吉田君が、隣に座ってる経理担当の女子社員、牧田さんと会話をしている。


「今月末って牧田さんの誕生日じゃなかったでしたっけ?」

 と吉田君は情報通だ。確か牧田さんは吉田君と同じ35歳くらいだったはずだ。


「ええ、そうね。吉田君がお祝いしてくれるの?」

 と牧田さんは嬉しそうに言った。


「お祝いしたいけど、牧田さんって結婚してるじゃないですか? 僕が何かしたら旦那さんが嫌がるかも知れないから、やめときます」

 と、笑いながら、なんで話しかけたのかよく分からない事を言っている。


「何言ってんだか。結婚して10年も経てば、旦那なんてただの空気みたいなものよ?」

 と牧田さんは何だかもの欲しそうな顔で吉田君を見ている。


「じゃあ、せっかくのゴールデンウィークですし、みんなでどこかに行きませんか?」

 と吉田君は牧田さんだけじゃなくて、みんなに声を掛けている。


「俺は行かないぞ。子供が大学に入ったばかりで、色々金がかかって大変なんだよ」

 と山本部長は行かないらしい。


「私は行きたいかな~」

 と隣で話を聞いてた事務長の入江さんが行きたそうにしている。

 確か入江さんも結婚してて、今年で40歳になるんじゃなかったかな。


「花ちゃんはどう?」

 と牧田さんが花頼さんに声を掛けている。


 花頼さんは、にっこり微笑みながら、

「すみません、ゴールデンウィークは予定が入ってて・・・」

 と言って断っている。


「じゃ、僕ら3人で行きませんか?」

 と吉田君は女子社員2人と一緒にどこかに行く計画をするみたいだ。


 僕はどうやら蚊帳かやの外みたいだから、あまりみんなの邪魔をしないようにしなくちゃね。


 そうして僕は、いくつかの商品パンフレットを鞄に入れて、

「じ、じゃあ、僕は営業に行って、そのまま直帰しますね」

 と言って、席を立つ事にした。


 みんなが「行ってらっしゃい」と声を掛けてくれる。


 どうやら僕の存在を忘れている訳では無いらしい。


 まあ、僕みたいな小太りの中年男が居たんじゃ、遊びに行っても楽しくないだろうし、別にいいんだけどね。


 花頼さんも何かの用事があるみたいだし、吉田君に取られる訳でもないし。


 僕は花頼さんの為に仕事を頑張ろう。


「行ってきます」

 と僕が言うと、花頼さんが笑顔で「いってらっしゃい」と小さな声で言ってくれる。


 ああ、これだけで僕は幸せだな。


 僕も笑顔になって「行ってきます」と小さな声で返した。


 さあ、今日も頑張ろうかな。


 そして僕は、心持ち軽い足取りでオフィスを出たのだった。

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