第2話 ベネトの冬

 ベネトの冬は、冷える。

 雪が深く積もり、春になるまで溶けることがない。

 薪となる森も近くにはなく、広い湖は凍り付く。家屋は石で作られ、冬ともなれば底冷えがひどい。

 今年も多く民が命を落とす事となるだろう。仕方のない事、どうしようもない。

 ヨーゼフは、それでも何とかしたいのだ。

 小さく息を吐き部屋を出て、食堂へと向かう。

 道の途中にで、カダマサキと出会った。

「その、失礼します」

「おお、よく似合っているではないか」

 貴族が着る青い服。ひょろりとした体に労働もしたことがないだろう傷一つない体はまさしく甘やかされて育った貴族の子と言った姿だ。

 彼の服や持ち物は、研究のためにすべて高額で買い取った。感謝の気持ちとして彼には服を無料で差し出したのだ。

「どうだ、少しはこの地に慣れたか?」

「なんとうか、すごく寒い」

「お前の服にはかなわないさ。だが、あの格好は目立ちすぎる」

「はい」

 ヨーゼフはマサキを連れ食堂へと向かった。

 食堂は屋敷の中で最も豪華に作られている。高い天井、巨大な木のテーブル。周囲を囲む柱には魔除けの文様が彫られ、赤や黄色に塗られていた。

 ヨーゼフが食堂に入ってくると、大臣たちが立ち上がり全員一礼した。

「おお、黒バイアの夫婦焼きか!」

「今日から耐冬祭よ」

 席に着くと、妻が伝えてくれた。

 冬となれば食料が無くなってしまう。人間でさえ餓死するというのに、家畜に与える食料などない。そうなれば家畜は痩せ細り、病気にかかり死んでしまう。そうなる前に、健康で丸々太った今のうちに食べてしまう。体力をつけ、冬に備えようという祭りだ。

 黒バイアは黒い毛の巨大な生き物だ。その動物が2体焼かれて横たわっている。

「きょ、恐竜?」

 マサキの言葉が聞こえてきたが、ヨーゼフはナイフを引き抜く。

「今日の良き日を! ベネトの地に祝福を!」

 集まった大臣たちは手にしたケッタの実の酒を掲げ祝福を! と持ち上げ、皿を持ち集まってきた。

 ヨーゼフが肉を切り、まず妻、次に娘に置いた。

 客人である魔術師アーボネ。次にマサキに肉を切り分けた。

「緊張しているな、マサキ」

「その、変なところありましたか?」

「いや、こちらに合わせようという意志が伝わる。大事なのはそこなのだよ」

 それからヨーゼフは大臣たちに肉を切り分け、1人1人話しかけた。

 席に着くと、濡れた布が渡された。

「はて、これは何ですかな?」

「濡れた布だ。“おしぼり”というらしい。手を拭くためのものだ」

 少し戸惑っていたが、暖かな清潔な布を素直に受け取った。ナイフと素手で肉を削ぎ落しながら食べるのでどうやっても手が汚れる。汚れた手は服で拭く事が多いが、今日は祭りだ、大臣たちはいい服を着ている。誰もが汚したくないと思ったのだろう、喜びながら“おしぼり”を使っていた。

 豪華な食事、次々と酒が注がれ談笑が続く。

 そんな中、カチャカチャと食器が擦れ合う音がして注目が集まった。

「はて、王よ。何やら変な物を使っておられますな」

 代表して魔術師アーボネが尋ねた。

「フォークに、ハシ、というらしいぞ」

 フォークで肉を刺し口に持って行く。

「それも、そちらの客人の入れ知恵という訳ですかな?」

 アーボネはぎろりとマサキを睨みつけた。マサキは小さくなっている。

 王を前に随分と世間知らずな行動を取った青年とは思えない姿だ。

「慣れるとこの方が楽でな」

 肉を切り分け、ハシで食べる。正直ちまちま食べるのは男らしくないように思えるが、なんといっても優雅に見える。

 妻と娘はその姿を見て、同じようにフォークとハシを使っている。その姿は、やはり凛として見えた。

 アーボネはため息をついて侍女に声をかける。

「ワシもフォークとハシという物を用意してくれ」

 大臣たちもアーボネに倣い、道具を用意してもらった。


 背の高い建物が並び、舗装された道に囲まれているそうだ。「すかいつりー」なる塔から地面を見下ろすと、人間たちの町がまるで虫の巣のように見え恐ろしかったとマサキは言っていた。確かに人の欲の底知れなさに、夢想するだけだが恐ろしく思った。

「ふむ、地面は平らではなく球体かね」

 アーボネは真剣なまなざしを向けていた。

「太陽の周りを地球が回っており、引力により無数の惑星が回っているか。ふむ、知識は浅いが、それは星見の魔術師しか知りえぬ事。農民の夢想話とは違うようじゃ」

 散々疑っていた魔術師も、とうとう音を上げた。

 夢想話、確かに彼の言葉はあまりに荒唐無稽だ。だが真実ならば・・・統治者として黄金よりも価値がある!

 統治者は時に、占いに傾倒する。

 わからないのだ。

 自分の選択が正しいのか、間違っているのか。ヨーゼフは幼いころから剣と学問を徹底的に教えられた。王としてならば我が国で最も優れていると自負がある。だが、それでもわからないのだ。

 一つ間違えれば、数百、数千もの民の命が失われる。

 だが、一つ正しければ数百、数千もの民が豊かになる。

 何が正しいのか常に悩み、苦しむ。明日、いや今この瞬間ですら間違えるかもしれない。誰にも相談などできず、百を知る魔術師アーボネですら正しい答えを持たぬ。

 故に頼ってしまうのだ、神を、運命を、幸運を。

 故にマサキの知識は、金よりも神よりも何よりも価値のだ!

 だからこそ客人として向かい入れているのだが・・・彼は何か不満があるようだ。

「何か不満があるようだな。言ってみよ」

 マサキは申し訳なさそうに肩を萎める。

「異世界転生したら、その、冒険をしないといけない、そんな気がして・・・」

「ふむ、異世界転生とうものはそういうものなのか?」

「いや、そんなに詳しく知らないけど・・・」

 ヨーゼフは唸ってしまう。

 旅に出たいとは、なんとも命知らずな。

 町の外は危険しかない。盗賊、モンスター。食料を得るのも一苦労だろう。村に入れば、よそ者として殺される可能性すらある。

 だが・・・

「ふむ、できる限りお前の望み通りにしよう。最速でも5日は待て。旅の準備もしておいた方がいいだろう」

「5日も?」

 ほう、この雪の中旅ができる自信があるという事か?

 それとも世間知らずなだけなのか?

「冬ともなれば雪が降る。何も持たせず放り出すほど冷血漢ではないのでね。それとも何か考えがあるのか?」

「え? そんなに危険なんですか?」

「この時期となると商人ですら二の足を踏む。命がけになるのは覚悟しなければいかんぞ」

「そ、そうなんっすか」

 アーボネはヨーゼフを見ると頷いた。

「よき判断かと。彼は銀の剣を携えし者、閉じ込めていては世が乱れましょう」

「そんなものか」

 ハシで肉を口に運びながら、頷く。

 現在“闇の者”と呼ばれる勢力が幅を利かせている。

 すでに3つの国を滅ぼし、更にその勢いはそのままだ。

 冬の間休戦状態のウーヴァ族との和平交渉をしておいた方がいいだろう。コリオン族とベマ一族とも和解の使者を送っているが、帰ってこない可能性もある。

 冬の間、何もできずこの屋敷の中で過ごさねばならぬ。敵軍に攻められた時舗装された道は利用されるためにわざとしてこなかったが、冬でも籠らずにいられるように道を作った方がいいのかもしれない。

 いやしかし進行されてから後悔しては遅い。いやしかしマサキの世界では道があるわけだし・・・何が正しい選択なのか、ヨーゼフはアーボネとマサキに頼りたくなる気持ちを押し殺した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

辺境王の苦難 新藤広釈 @hirotoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ