拾
暗い森林の中、ザンカは賊の集団の側面へと回り込む。そして装備の重量を感じさせない軽やかな足取りで樹上へと駆け上がった。
真下に松明を掲げる賊達を捉えて観察する。賊達の装備は良質な当世具足もあれば時代錯誤な武者鎧姿の者もいた。だが皆一様に刀を携えている所を見るにどこぞの敗軍の将や没落した名家の生き残りなどだろう。
賊の隊列はざっくり分けて二つあった。
列の前側は、比較的軽装の鎧を纏った三人とすぐ後ろに当世具足の甲冑を纏った四人。更にその後ろに後方との連絡役を担う伝令が二人の合計九人。
賊達が里に到着するのに一時もない。ザンカは早々に排除の手を回す事にした。
────まずは先頭集団の混乱を誘う。
地面に降りたザンカは松明の明かりを頼りに進
む彼らと違い旅に慣れている事で夜目に長けており、夜闇の中を自由に動ける。数分で彼らの先へと回り込んだ。
「さて、少し数を減らさせてもらおう」
雑嚢から取り出したのは紙の巻物。異国ではスクロールと呼ばれ術が刻まれた特殊な品である。刻まれた呪文は〈
「深さ的にもせいぜい二、三人脱落させられれば十分か」
だが相手は三十もいる。備えはまだ必要だ。続いてザンカが雑嚢から取り出したのは三枚の紙の札であった。札にはそれぞれ「痺」、「暗」、「縛」と読める文字が記されている。森の中を走りながらザンカはそれらを賊達の進行ルート途中の木々に一つずつ張り付けていく。
その時、先刻仕掛けた〈大穴〉の方で声が上がった。
「うおわぁぁァァッッ!?」「あ、穴だッ!?」「ぐあぁぁッ!?」
複数の悲鳴と激しくぶつかり音が離れた位置でザンカの耳に届く。同時にすぐ後ろに控えていた具足を纏った四人の賊が状況を確かめようと前に出ると同時、「痺」の札が起動した。
「な────!?」
突如、視界の端で木に貼り付けられた紙の札が光出したのに具足武者の一人が気付く。が、既に手遅れである。札に宿された術式が木を伝って白い雷電となり地面を蜘蛛の巣状に奔る、そばにいた四人全員が痙攣を起こしその場に昏倒した。
「くそっ!?」
伝令役の一人が吐き捨て後方に罠の存在を伝えようと振り返り、絶句した。
「なんだこれは!? まるで何も見えぬ……誰か、誰かそばにいないのか!?」
視界に広がるのは闇。一寸先すら見通せぬ真暗き空間が伝令の視界を支配していた。
「ひぎゃッ!?」
もう一人の伝令役が闇の中で悲鳴をあげた。そこでようやく気付く、今自分たちが攻撃を受けている事に。
「おのれッ……! 出てこいッ」
伝令役が刀を引き抜いて構える。そして前方でじゃり、という土を擦る音を聞き刀を振り回して走り出した。
「どこだッ! どこにいるッ!?」
闇のせいで方向感覚を失っている伝令役が向かっているのは後方に控えている本隊の方であった。
樹上でそれを見届けたザンカが酷薄な笑みを浮かべていた。
「上々」
されど賊の半数も削れれば残りは十数あるいは二十程。以前数の優勢は覆らないだろうが、闇の中においてザンカは無類の強さを自負している。ザンカには幼少に叩き込まれた〈忍〉の技術があった。
師、
その様子にザンカは違和感を覚えた。
半数近く人員を削られてなお?
「地の利の無い連中がこの闇の中を躊躇うことなく進んでくる────」
いくら腕に覚えがあろうと、見境いが無かろうと連中は勝ち目の無い戦いや割に合わない事はしない。
「後方の隊は賊では無い────?」
ザンカの脳裏にある考えが浮かんだ。
だがそれは前代未聞だ。聞いた事が無い。
いくら人の道を外れた賊と言えどそんな事が出来るなど────。
「そのまさかか」
待ち構える様に立っていたザンカと賊の隊が森の開けた空間で遭遇した。その正体を見て、ザンカが信じ難いものを見たと苦笑する。
十体の具足武者が立ち並んでいた。深紫の当世具足、しかしその内を充すのは不定形の濁った青緑の粘液。紛れも無い
怨霊武者と呼ばれる魔物達が刃を構え、応える様にザンカも臨戦体勢を取る。
そして、腰の刀に手を掛けた。
「魔物ならば遠慮は不要か」
すーっと白銀が現れ、月光を返して煌めく。その刀身は海の彼方で揺らぐ陽炎と水平線が如く。半身程抜いたところでザンカは勢いよく抜刀した。ふぃぃん、と鉄の震える音が夜の森に静かに響く。
ザンカの目つきが変わった。黒炭の三度笠の隙間から覗く瞳は猛禽類の様に鋭い。
「来い」
ザンカが怨霊武者達に投げかけ、戦闘が開始された。
先陣を切った武者二体が大きく刀を振り上げ前進、魔物と言えど何故か剣術の心得があるらしい。振り下ろしの速度、刀の質量、人並み外れた魔物の膂力を生かした斬撃を二体が同時に放つ。同時、稲妻の速度で白光が二体の前を奔り刀を振り上げたまま停止させた。
「Guoo……」
呻き声をあげて頽れる二体の前でザンカが刃を払う。その目は次の敵を見定めている。魔物達が全滅するまでに時間は掛からなかった。
ザンカの周囲に無数の魔物の死骸が散らばる。その中心に立つザンカには傷一つ無い。だが魔物を全滅させながら尚、ザンカはまだ終わっていないと思っていた。
「お前が首領か」
「先刻から小賢しい真似をしてたのはてめぇだな。俺に喧嘩売るとはいい度胸だ」
ぬぅっと闇の中に大きな人影の輪郭だけが現れる。熊の様に大柄な男だ。誰が見てもこの男が盗賊団の首領だと思うに違いない。そうした貫禄がある。
荒々しい獅子の
「賞金首〈シマキ・サコン〉とはな」
「ふん、こんな田舎にまで俺の名が通ってるのは気分がいいな」
「なぜあの里を狙う?」
誇らしげなサコンの戯言に耳を貸さずザンカが問いかけた。
「てめぇに言う必要はねぇなぁ。チビ野郎、散々飛び跳ね回ったんだその代償はきっちり払ってもらうぜ」
不意を突いてザンカの眼前に刀の切先が迫る。咄嗟に片腕の腕甲で切先を逸らしたザンカが飛び退いてサコンを睨んだ。小手調のつもりなのだろう、突きの軌道を逸らされながらもサコンの体幹はまるで揺らいでおらず刀を引き戻して肩に担いで嗤う。
「鋼を仕込んだ小手かよ、おもしれぇ。久々に遊べそうだ」
ザンカの腕甲に仕込んだ瓦ほどの厚みのある鋼の板にはくっきりと抉られた様な斬撃の痕が残っていた。
「人斬りサコンの異名は健在のようだな」
額に汗が伝う。強敵の予感にザンカの胸中では得体の知れぬ欲望が渦巻き始めていた。
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