「あ。起きました?」

 ザンカが目を覚ますとそこは見知らぬ場所であった。赤の漆で塗られた柱と淡い肌色の壁。寝かされているのは南蛮由来の生地であろう手触りの良い布に覆われた柔らかい布団の上であり、なんとなく良い待遇を受けているのだと察せられる。ザンカの前に立つ少女、サザメの手には木製の御盆とその上に湯気の昇る腕が乗っている。それを起き上がったザンカの手に渡すとサザメも室内の椅子に腰を下ろした。

「空腹でたったまま気を失っちゃったんですよ! ほんとにびっくりしたんですから」

「空腹で……?」

 信じられないと言った表情のままザンカは手元の腕に視線を落とし椀の中の梅干しが一つ乗っているだけの白粥を見て唾を呑み込む。まだ湯気が立ち上っている粥、あれだけの空腹の後だからかこんなに味気ない見た目の白粥が最上のご馳走にも感じられ、ザンカは添えられていた匙で一口食べた。途端、ほのかな塩味と梅の風味が口内を満たす。その後はほとんど掻き込む様に完食し漸く人心地がついたと満足げに椀を盆の上に戻した。

「そうだった……五日ぶりにまともな食事を口にしたんだ……」

 ここに来るまでの道中を思い返し、ザンカは「ご馳走様でした」と感慨深く手を合わせた。

「空腹の時は胃に優しい物を食べた方がいいですから。あ。でもこれとお礼はまた別物ですからね!」笑って食器を片付けるサザメ。そこへ別の人物が現れた。

「おやおや、無頼さんが目ぇ覚ましたのかい。あんた本当に運が良かったね。今年が百日行脚の年じゃなかったら行き倒れて死んでたよ!」

 頭に手ぬぐいを巻いた恰幅のいい女性が大笑いしながらザンカに白湯を渡した。ザンカには聞き慣れぬ百日行脚という言葉は文字通り百日間行脚するという事なのだろうが、それと運が良いというのはどう繋がるのかとザンカが考えているとサザメが今しがた現れた女性に向かって礼を述べていた。

「ありがとうございます、シーリンさん」

 ぺこりと頭を下げるサザメに「いいのよぉ、それよりいい男拾ったわねぇ!」とニヤニヤした表情でザンカにも聞こえる距離でサザメに耳打ちした。

「そ、そういうのじゃありませんよ!?」

 顔を真っ赤にして否定するサザメだが、シーリンは聞く耳を持たずザンカにも「この子まだ十四になったばかりだから手出しちゃダメよ?」と言った。

「もうっ! シーリンさん!」

 ついに怒り出すサザメだがそこへ居心地の悪そうにザンカがもじもじと片手を挙げた。

「あのー……」

「どうしましたザンカさん?」

 不思議そうにするサザメの前でザンカはおもむろに胴鎧を外す。

「えっなんで脱ぐんですか!?」

 突然脱ぎ始めたザンカに戸惑いつつも年頃の男の身体に興味を隠せないでいるサザメが頬を紅潮させておろおろと慌てふためく。一方シーリンはそんなサザメを見ながら再びニヤニヤと笑っていた。

 だが、ザンカが胴鎧を外し上半身の天鵞絨が露わになった瞬間、サザメとシーリンの二人はぎょっと目を丸くしてザンカを見つめた。二人の視線の先、ザンカの胴鎧の内に着込んだ灰色の天鵞絨の下には二つの大きな丸い膨らみ────そこで漸くサザメ達は大きな勘違いに気付く。

「あらー女の子だったのかい。そりゃ失礼な事言っちまったねぇ」

 シーリンは申し訳なさげな表情で頭を掻いて横目でサザメを見やる。サザメの方はすっかりザンカの事を男だと思い込んでおり、尚且つ男性として意識していたのだろう。そのショックは大きかったのか驚いた表情のまましばらく硬直していた。

「……まぁそう言うワケなんだ。あのー、ごめんね?」

 軽く謝罪を述べたザンカはベッドから立ち上がると再び胴鎧を装着してシーリンに話しかけた。

「女将、色々と迷惑をかけたみたいだ。少ないが取っておいてくれ」

 腰の雑嚢から小さな布の包みをシーリンへと差し出しザンカは三度笠を被り旅支度を始める。包みを受け取ったシーリンは中を見ると見た事の無い美しさを持った石がごろごろと入っていた。

「なんだいこれは? 随分綺麗な石だけど」

「前に寄った港町で助けた西洋人から貰った石だ。己れにもよく分からないが随分と価値のある物らしい。迷惑じゃなければ女将が貰ってくれ」

「何言ってんだい。たかだか一日寝床貸したくらいでお代なんていらないよ!」

 言ってシーリンはザンカへと包みを突き返し「ところで……」と話題を切り替えた。

「あんたそんなに急いでどこに向かってるんだい? 見たところ急ぐ旅でもなさそうだけど」

「龍脈の里という場所を目指しているんだ」

 ひと月前程にザンカの滞在していた港町ではとある噂が広まっていた。遠く西の地に〈龍眠ル断崖〉と呼ばれる場所があり、そこには龍の残した秘宝〈龍の涕涙〉とかつて龍と友となり今も尚龍と共にある〈龍脈の里〉なる場所があるのだと。馴染みの行商人からその話を聞いたザンカはすぐに旅立ったのだが────

「あっはっは! なんだ。そんな事も知らずにこの辺りを歩いてたのかい? ほんとに運がいいんだねぇあんた」

「どういうことだ?」

「あんたが今いるここがその〈龍脈の里〉さ」

 

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