風吹く地にて舞う

ガリアンデル

第一章 百日行脚



 古い樹木が瑞々しい葉で空を覆い木々の隙間からは優しい陽が射しこむ穏やかな森。歌っているかの様な鳥の鳴き声と足元の花々の色鮮やかさ、この森を訪れた人間は誰でさえこの世で最も平和な場所はここだと思うだろう。──ただ一人を除いて。

 年季の入った黒炭色の三度笠、黒漆の具足、華奢な体に似合わぬ腰に提げた大刀、それらに身を包んだ若い人物がよろよろと歩いていた。

 いったい何日この同じ景色を見続ける羽目になるのだろうか。近くに川が無い為に朝露を舐めて凌いでは来たが、食糧も底を尽き食べ物と言えばその辺の草を口にしている。森の中の木は高すぎて登れず、木々の隙間からでは太陽の位置が伺えずに方角が分からない。まさに迷いの森だ。

 無頼人である残火ザンカがこの森に入ってから既に一週間が経過していた。それというのもひと月程前に訪れた町でここから西に進んだ大森林を越えた所に〈龍脈の里〉と呼ばれる集落があり、そこには〈龍眠ル断崖〉なる伝説の場所が存在するという噂を聞いたからだ。だが、行けども行けども森を抜ける事が出来ず、終いには雑草を食べて凌いでいる体たらくである。

「こんなところで己れの旅はおしまいなのか……」

 呟いてぐらりと草っぱらの上へと倒れ込む。同時に鼻腔へと流れ込んできた土の匂いですら今のザンカの空腹を刺激し腹が鳴ってしまう。そんな自分に驚きを覚えながら嘲笑を浮かべて瞼を落としかけたその時であった。

「きゃあぁぁ!」

 そう遠くない場所から悲鳴が聞こえ、終わる寸前だったザンカは飛び起きて耳を澄ます。木々のざわめきに混じって別の音がする方角を探す──すぐにザンカは一つの方向を定めて走り出した。

 木々の間を軽やかに駆ける姿は漆黒の風、只人が見れば悪鬼羅刹と見紛う程に凄まじい速度で森の中を駆け抜けていく。

 ザンカはすぐに声の主を見つけた。

 汚れ一つ無い白衣びゃくえ緋袴ひばかま。それを纏っているのは年端もいかない少女であり、周囲には濃緑の甲冑を纏った武者が三体。少女を逃さぬ様に取り囲んでいた。

「なんで……!?」

 武者達に向かってかそれともこの事態に対してか絶望の表情を浮かべる少女の前にごうと黒い風が吹き荒んだ。

「人じゃない。魔物もんすたあか」

 呟いてザンカは腰の大刀の鍔に指を掛けた。濃緑の武者達は形こそ人だが鎧の中身は異様な青緑の液体でそれっぽく見せかけているだけの怪物だ。

 突然の事に驚いていた武者の魔物達も眼前の黒い人間が敵だと認識し刀を抜く。

 三体一。刀で切り結ぶ侍の戦いにおいて明らかに不利な状況である。だが無頼人にとって戦いとは場を切り抜ける為の手段の一つでしか無い。ザンカの様な無頼人が考えているのは常に“最善の一手”である。

「丁度いいのがあった」

 腰帯に繋いでいる雑嚢へと腕を回し乱雑に手を突っ込む。そこから出てきたのは雑嚢のサイズよりもずっと大きな先端に薄緑色の宝玉のついた木の枝の様な“杖”だった。ザンカが宝玉つきの杖を取り出したと同時に三体の武者が一斉に襲い掛かる。一体は上段に構え正面に、残りの二体はザンカを左右から挟み込む様に刀を振るう。しかしそれよりも一拍速くザンカは動き出していた。腰を低くして彪の様に前方へと跳ねて三体の間をすり抜ける。ザンカを追いかけて三体が一斉に振り向いた瞬間ザンカの握る杖の先からひゅうと鋭い風が吹き、次の場面では三体の武者達は腰から上を寸断されその場に崩れ落ちていた。

「この杖ももう限界か」

 手元にある杖の先端の宝玉は翡翠色から鈍色に変色したあと砕け散った。だめになってしまった杖を雑嚢に納めつつザンカは助け出した少女が皿の様な目で見つめてきている事に気付いた。

「ああ、すまない。れは旅の無頼で名は残り火と書いてザンカと言う。悲鳴が聞こえてきたものだから急いで駆け付けてきたんだが驚かせてしまったみたいだな」

 名乗ったザンカに対し我に返った少女は慌てながら礼を述べた。

「いえ! 本当に助かりました! わたしは近くの里に住む巫女で名は〈サザメ〉と言います。もしよろしければわたしの住む里でお礼をしたいのですが────」

「本当か!?」

 少女が最後まで言う間もなくザンカは目を輝かせて食い付き、言うまでもなくザンカが要求したのは食事と寝床であった。

 巫女装束の少女は先刻の戦いぶりからザンカを厳しい武人気質な人間だと思い込んでいたがそうでは無いと分かり頬を綻ばせる。

「ふふ、里のご飯とってもおいしいので楽しみにしていて下さいね!」

 里へと向かう道中、ザンカは助けられたのは自分かもしれないなど考えながら歩いた。

「無頼人なのに方向音痴なんて珍しい人ですね!」

 不意に投げかけられた言葉にザンカが呻くと少女は笑った。咄嗟にザンカも取り繕うと言葉を並べたがどれも言い訳にしか聞こえず結局、方向音痴な旅人認定されてしまった。

「いつもならこんな事はないんだが……」

 肩を落とすザンカを横に少女が「あっ」と声を漏らした。

「もうすぐ里が見えてきますよ! あの丘を越えた先がそうです!」

「本当か……!? もう、腹が減って死にそうだ……!」

 よろよろと遅い足取りで丘へと登ると、視界には青と緑が広がった。

 雲一つ無い青空、その下に広がる大森林、そして森林の中央に赤色を主とした華やかな集落が築かれている。まさに自然と共にあるといった在り方だと空腹で纏まらない思考でザンカはそう思った。

「さ、あともう一息です! ……帰るの百日ぶりだなぁ」

 サザメと名乗った少女の案内で里へと着くやいなや里の入り口には人集りが出来ており、戻ってきた少女の周囲を取り囲んで歓喜の声を上げていた。

「おかえりサザメちゃん、よく頑張ったねぇ!」

「みんな心配してたんだ! 百日行脚お疲れ様!」

「なにも危ない事はなかったかい!?」

 里の人々が口々にサザメを案じたり労ったりしながらわいわいと騒ぐ。そんな中サザメは「こちらの方に危ない所を助けて貰ったので大丈夫でした!」と隣に立つザンカを示す。

「そういやアンタの事も気になってたんだ。なんだか物々しい格好してるけど、アンタお侍かい?」

 里の男の一人がザンカに問いかけるが返事はなく、無言のまま立ち尽くすザンカに男は首を傾げた。サザメも同様に違和感を覚え三度笠の下に隠れたザンカの顔を覗き込んだ瞬間、慌てて里の人々に向かって叫んだ。


「はやく! はやく食べ物を!!」

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