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 場違いに洒落たアルペジオが響いている。

 所々障子に穴があいていて、畳は擦りきれたぼろい部屋だ。それでも、洗濯物や食器、生ゴミの処理はきちんと行き届いている。

 流石、わか先輩。

 大人二人でいると狭苦しい和室で、まるでピッチのあっていない楽器の音色は公害に等しかった。メロディ自体は、悪くないのに。

 ジャズ調で洒落ているのに、心を乱す。

 不穏な気分になってしまう。

「Easygoing」

 卓袱台にのった茶碗から湯気がたっている。私は猫舌だから、まだ飲めない。

「……なんかゆった?」

 わか先輩は弦を押さえたままで、目を開けて(彼はギターを弾くとき、大抵目を閉じている)首を傾ける。

「なんにも。あ、そうだ、ラジオとかあります? 今何時かな」

「4時かな、AM。俺、ラジオ聞かないんだよね。でもどっかにあるはず」

 ちょっと待ってよ、と立ち上がる。音の波が静まる。凪だ。なんだか眠たい。眠りたい。茶碗からはまだ湯気がたっている。

 自分が世界一かわいそうな女の子だと思う瞬間が、誰にでもある。私にもあるが、それはきっと、わか先輩の不吉なアルペジオで脳波を乱されてしまったからだ。つまり、今、この瞬間。

 わか先輩は押し入れをひっくり返してラジオを探してくれている。私のために。それでも私は、この世界の、贔屓目にいってもこの街の、一番独りな女の子だった。

 いま、私を置いていった友人たちは、なにをしているんだろう。誰の腕の中にいるのか、そうでなくたって、きっと暖かくしているに違いない。

「わか先輩」

「……なに? 絶対あるから、ちょっと待ってなよ」

「なんだか寂しくなってきました」

「ええ」

 ほら、やっぱり、面倒臭そうな顔をする。

 そんなにラジオが好きなわけ。と呟いて、また押し入れに向かってしまう。

「ねえ、ねーえ!」

「まだ酔ってるのかあ? お茶飲んで落ち着きなって」

 卓袱台上の茶碗から、湯気は上がっていなかった。私はそっと手を伸ばして、茶碗をとり、口をつける。本当は、ちょうどいいぬるさ。ぬるすぎて、泣いてしまいそうにもなる。けれど、私には、このぬるさしか耐えられない。

 私は目を閉じる。深い呼吸をすると、頭が少しだけ、クリアになる。意識しないと、うまく呼吸ができないのだ。

「変な気を起こして、家に上げたわけじゃない。わかるよね、俺、そんなやつに見える?」

 わか先輩が目の前にいた。私の顔を覗き込んで、不服げに言う。

「……そりゃまあ」

「はあ? 馬鹿でしょ」

「いやだって、男ってだいたいそんなもんじゃん」今の、相当チャンスでしたけど。

「どんな男と付き合ってきたわけ」

 わか先輩は、ため息をついて私の頭をわしゃわしゃとかいた。かわいそうなやつめ。なんて言う。

「須藤に良いことがあるように、このラジオをやろう」

じゃーん。セルフ効果音付きで先輩の両手から出てきたのは、十数年前の型と思われる古いラジオだ。

「……ありがとうございます」

ラジオなんかじゃ幸せになんかなれないよ。

あんたが幸せにしてくれよ。

なんて、思っていない。

絶対、思ったりしない。

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