第23話 沢登集落の家




 

 沢登さわと集落は、平沢集落から更に30分ほど獅子ヶ見山ししがみやまから流れ出る沢沿いの山道を登って行ったところにある。

 集落とは言え、現在も沢登さわと集落に住んでいる世帯は3世帯。

 そのうち1世帯が都会からの移住者の若い夫婦で、陶芸家だったそうだ。

 乳児はその世帯の子供。

 沢登さわと集落までの道は普通自動車1台がようやく通れるくらいの道幅で、所々にすれ違うための待避所が開けている。

 山道とはいえ舗装ほそうは一応されている。ただ、長年放置された舗装ほそうはひび割れたり土に浸食されたりしていて、お世辞にも良い道とは言えない。

 この先に集落があるって知らなかったら、ちょっと進むのをためらうような道だ。

 

 そんな悪路をオグちゃんの運転するRV車でガタガタと進む。

 周囲の空気は涼しく、RV車のエアコンは切って、窓を少し開けて外気で涼みながらの道中だ。

 右手には沢が流れており、勢いのある水音が聞こえ涼しさをさらに感じさせる。


 「この沢、何か魚が釣れそうだなあ」


 オグちゃんが運転をしながら呑気にそう感想を言う。

 僕も、こんな時でなかったら、沢で釣りをしてみたいと思った。

 

 「でも沢釣りは難しいらしいよ。オグちゃん、こらえ性がないから多分向いてないって」


 「確かにそうだわ。俺はジッとアタリ待つだけなんて無理だな」

 

 そんな話をしながらオグちゃんは前を向いてハンドルを握っている。

 所々に大きな枯れ枝が落ちていたりするから、気を抜けないのだ。


 道路標識は、止まれや一時停止なんてない。

 崖崩れ注意や、熊注意の標識が所々に立っている。


 やがて、道が沢沿いから少し離れると、両脇に崩れかけた納屋と、棚田だったと思しき草むらが見えて来た。


 「そろそろ沢登さわと集落みたいだね」


 昔は20戸くらい住んでいたみたいだけれど、住民のほとんどが移り住んだり亡くなったりしていて、目に付く家屋は手入れもされず古びた廃屋ばかりが目に付く。

 その中で1軒、古びてはいるものの、何となく人が住んでいた気配のする家があった。

 オグちゃんはその家の前に車を停めた。

 

 「翔太、何て家だっけ?」


 「えーっと、岩沼さんだったかな」


 僕は亜美さんに貰った地図と、そこにメモされた名前を見る。陶芸をやってる岩沼さん夫妻の子供で、有希ちゃん、生後3カ月。


 「うん、岩沼さんってお宅だよ。でも表札ないからわかんないね」


 オグちゃんに地図を渡して確認してもらう。


 「集落の中に目印らしいものも特にないから、どの家かわかりづらいんだよな……」


 「泣き声も聞こえないね……」

 

 どうしよう? 違う家かも知れない。


 「仕方ない、中に入って確認しようぜ」


 オグちゃんがそう言って、玄関の古ぼけた建付けの引き戸を開けて中に入った。

 鍵はかかっていない。


 「おじゃましまーす」


 そう言って靴を脱いで家に上がる。

 何となく知らない人の家でも傍若無人ぼうじゃくぶじんには振る舞えない。


 つくりは広いけど、意外に使っている部屋はそれほどなかったようで、こたつのある居間は物が多く置かれていて生活感がある。

 夏なのにこたつを出しっぱなしにしているのは、朝夕が寒いからか、片付けるのが面倒だったのか。

 僕は居間に入り、オグちゃんは居間の前のふすまを空けて前の部屋の中を見る。


 「広いな、昔はここに一族集まってつなげて宴会とかしてたんだろうな」


 そう言ってオグちゃんはその部屋の中に入り、更に奥のふすまへ近寄る。

 

 僕は雑多な居間の中を見渡すと、固定電話の上に大きく紙に書いたメモが貼り付けられていて、そこには飯田医院の電話番号と、訪問看護ステーションの緊急携帯電話番号が書かれていた。

 

 「ここの家の人、訪問看護をお願いしてたみたいだね」


 「だったら岩沼さんの家じゃないな、若い夫婦と乳児の一人娘らしいから……ッツ!」


 ふすまを空けたオグちゃんが、息を呑んだ。


 「どうしたの?」


 オグちゃんがふすまに手をかけて開けたままの姿勢で固まってしまったため、僕もオグちゃんのところに行って、オグちゃんの脇から部屋の中をのぞき込んだ。


 正面に立派なお仏壇。仏間だ。


 その前に、仏壇に頭を向ける方向に介護用ベッドが置かれていて、その上には顔に白い布を掛けられた人が仰向けに横たわっている。

 介護用ベッドの横の床には布団が敷かれていて、介護用ベッドに寝かされている人を介護していた夫婦のどちらかが寝ていた様子がうかがえる。

 そして、介護用ベッドに寝かされている人に掛けられている布団の上と、床に敷かれた布団の上に沢山の砂が積もっていた。


 僕も、その光景を見たら固まってしまった。

 けど、必死でがんばってこわばった舌を動かす。


 「……お、お、お、オグちゃん……ど、どどどどうしよう……」

 

 「お、落ち着け翔太、こ、こんな時は、警察に電話だ……」


 「だ、だって……警察も砂になったんじゃ……」


 「……ねーさん! ねーさんとこに電話してみるわ!」


 固まっていたオグちゃんはそう叫ぶと、自分のポケットからスマホを取り出して、出発前に入れてもらった亜美さんの番号に掛けようとして通話表示を押した。


 「ダメだ! ここ、電波が入らねえ!」


 オグちゃんはスマホを握りしめて天を仰いだ。


 僕は居間の固定電話まで行き、亜美さんの番号をプッシュした。


 Pu・Pu・Pu・Pu・Pu…… Prurururu……Prurururu……Prurururu……Prurururu……Prurururu……


 亜美さんの電話番号をプッシュしたのに、なかなか出てくれない。

 ちょっと、ちょっと……

 僕は朝、消防署に電話したのにずっと誰も出なかった、あの不安と焦燥しょうそうを思い出してしまった。

 

 ま、まさか……亜美さんたちも砂になってしまったんじゃ……

 

 僕はその最悪な考えが脳裏のうりをよぎった瞬間「あああああああっ!」と自分でも驚くほどの大声を出して叫んでいた。

 

 『もしもし』


 その時、ようやく亜美さんが電話に出てくれた。


 『ちびっ子? どうしたのよ大声出して、もしもし?』


 『あっ、亜美さん!? ……すぐ出てよ、もう!』


 僕は亜美さんが無事でホッとしたけど、すぐに電話に出てくれなかった不安と心配が苛立いらだちになってしまい、大声で亜美さんに怒鳴ってしまった。涙もちょっとにじんでしまう。


 『だって知らない番号からいきなりかかってくるんだもん! 警戒するのは当たり前! すぐ出る訳ないじゃない!』


 『こんな時なんだからさ、知ってる人くらいしかかけないでしょ! オグちゃんに代わるから!』


 僕はそう言うと、オグちゃんに受話器を渡した。


 『あ、ねーさん…』


 オグちゃんが亜美さんと話し出した。

 僕らが驚いた状況を亜美さんに伝える。


 『ベッドの上で誰か死んでるみたいなんだよ……どうしたらいい? 俺、人が死んでるのなんか見たの初めてだからさ、でもこのままにしといていいとは思えないしさ、ホントどうしよう……』


 電話の向こうの亜美さんの声は僕には聞こえない。


 『うん、なんか年寄りの二人暮らしみたいで、飯田医院と訪問看護ステーションの電話番号はでかでか貼ってある……

 ええっ? やだよ触って確かめるなんて……いや、ホント勘弁してよねーさん……ええ? 顔に掛けてある布、めくるの? いや、確かにそうだけどさ……』


 亜美さんは、本当にベッドの上の人が亡くなっているのか確認して欲しいってオグちゃんに言ってるみたいだ。

 確かに、朝の異変で大人たちは砂になって消えてしまったけど、消えてないってことは生きてる可能性があるかも知れない。


 僕は、ずっとごねているオグちゃんのそばから離れて、仏間に向かった。

 僕が仏間に行くのを見て、オグちゃんが「おい、翔太!」と声をかけるけど、その声は無視した。

 何だか、亜美さんに対しての苛立ちがそうさせた。

 

 介護用ベッドの、横たわっている人の顔のそばに立って、顔に掛かった布を見る。

 生きているならば、わずかでも呼吸をしているならば、顔の上の布は呼吸に合わせて動くだろうけど、布は全く動いていない。

 僕はそっと、介護用ベッドに横たわった人の顔に掛かった布をめくってみた。

 おばあさんだ。

 顔色は真っ白で、目は閉じている。口は入れ歯を入れていないせいか、しわの寄った唇が口の中に落ち込んでいる。

 やはり呼吸はしていない。亡くなっている。

 僕はそっとまた顔に布をかけた。


 枕元にベッド用のサイドテーブルが置いてあり、その上に何かの器械と、薄緑色のファイルがある。

 「訪問看護記録 大庭けさ様」とテプラで打って貼ってあるそのファイルの中を確認すると、このおばあさんは末期のガンで、自宅での看取りを選んでいたことがわかった。

 きっとここで砂になっているのがおじいさんだったのだろう。

 おばあさんの最後を看取って、砂になってしまったのか。

 

 僕は、せめて最後まで一緒にいたいだろうと思い、床の上の布団に積もった分の砂を、ベッドの上のおばあさんの上にかけてあげた。


 「やっぱり、ガンで亡くなったみたいだよ、おばあさんの訪問看護記録を見たら、そう書いてあったよ」


 僕は居間でまだ亜美さんと電話していたオグちゃんにそう伝えて、先に外に出ようとした。


 「待て、翔太! ねーさんがもう一度替われって」


 オグちゃんがそう言って僕にもう一度受話器を渡す。


 『……もしもし』


 『ごめん、ちびっ子。アンタが朝消防署に電話して、ずっと誰も出なかったって知らなかったから、つい怒鳴っちゃったんだ。アタシたちのこと、心配してくれたんだもんね、本当にごめん』


 『……いいんですよ、亜美さんが言ったとおり知らない電話番号からなんて警戒して当然ですから』


 『……ちびっ子、アンタって明るく振る舞ってるから、芯が強いのかなって思ってた。ゴメン、本当に。人間、そんな単純じゃないし簡単に割り切れるものじゃないよね。心配してくれてありがとう』


 亜美さんの言葉は、言葉だけじゃなくて本当に僕に申し訳ないって思ってるのが伝わって来た。


 『僕の方こそ、いきなり怒鳴ってすみませんでした』


 『それはお互い様。でも、こんな状況だから、アタシも気をつけるようにする。何かお詫び考えとくから、無事に子供連れて戻って来るのよ、頑張って』


 『はい……』


 僕は、亜美さんの素直な言葉に気恥ずかしくなって、それしか言えなかった。


 


 

 

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