第4話

 私の見てきた世界が明瞭でなかったことは、大学へ進学してのちにようやく分かってきた。明瞭でなかったことというのは、この世界は、果てが見えぬほどに途方もなく広いということだ。


 僅かな平地を山々がすり鉢状に囲む私の郷里にあったのは、緑の移り変わりや小川のせせらぎ、数えきれぬほどの多様な虫たち、そして今よりもずっと栄えていた頃を生きた先人たちの墓標……そんなものだった。この小さなすり鉢にさえ、語り尽くせぬほどの事柄が、実に大層な密度で詰まっていたのである。

 だから幼少の私は、すり鉢の向こうを見なくとも知の欲求を満たす手段を獲得したし、深緑のカーテンの向こうなど覗けるはずがなかったので、そうする外なかったし、成長とともに少しずつカーテンの向こうが見えるようになっても、すり鉢の中身が少しも減らないことを知っていた。


 今にして思えば、私が目にしてきたそれらのものどもは、平均的なまちの子らが見るものよりもずっと多かったであろう。その代わりに……まちではふつう見られないそれらを私が当たり前のように目にしていた間に、一方でまちの子らは、人気のテレビ番組や、新発売のゲームの攻略方法や、本や、そして何より、同じ年頃、違う境遇……実に多様な同種のひとびとを見て、触れて、対話して、学習していたのだ。彼らは、小川に棲まう小蟹の色や、素手で触った稲の痒さや、土手で摘んだいたどりの味や、いろいろなことを知らない。けれども、やがて大学へ進んでようやく気がついたことには、生まれてからの十八年で私が学んだことは、彼らまちの子──そしてかつてまちの子であったひとたち──で形成される世界では、それらは何の役にも立たないということだった。まちの子は、蟹の色なんか話題にしない上に、何よりも決定的だったのは、彼らはひとという生き物を知っていることだった。自らもその一員であるこの生き物がどのような生態で、それに向かって自らがどのように振る舞うべきか、彼らは十八年にもわたって日々鍛練を繰り返してきたのだ。したがって私は、彼らと同じ振る舞いを後天的に急速に身につけねばならなかった。もし数年のうちにひととなりえなければ、私がひとびとの中に混じって生き延びることは恐らくできないように思われた。目の前に突如として開けた大海にただただ圧倒されるばかりの私にとって、この義務は甚だ重たいものであった。


 ひと──私にとってこの生き物は、現在に至るまでよく分からない存在だ。けれども、数々の鍛錬によって、ちょっと見には一応それらしくは擬態できるようになってきた。


 少数とはいえ、ひとならすぐ身近にいたではないか。知らぬひとからするとそのように見える向きもあるかもしれない。一緒に暮らす家族もまたひとではないか、と。私自身かつてはそう思っていたけれども、大学に入ってから、どうやらそうではないらしいことが分かるようになってきた。つまりは──私にとって彼らは、神たる存在だったのだ。

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