#030_魔術鎧装の本領
小さくも村で一番高価な青銅の釣鐘。
それを奴は片手で持ち上げ、大きく振りかぶり、俺に向かってまっすぐ投擲した。
空気が震えるほどの勢いで迫るそれを俺は避けきれず、身をかがめて右腕で頭部を庇う姿勢で待ち受ける。
そして直撃の瞬間、腕を振り上げ、釣鐘を弾いた。
直後、俺の視界に入ったのは、両足をこっちに向けているゴブリンの姿だった。
「ごッッ……!?」
渾身のドロップキックが、俺の無防備な胸元に炸裂する。
投げた鐘は囮! 俺の視界を遮りつつ、その陰に潜んで近づいてやがったのか……!
だが、気づいたときにはもう遅い。
蹴り飛ばされた俺は地肌を抉りながら転倒する。
手足をついてなんとか停止するも、俺の視界が捉えたのは、腕を大きく振りかぶって空から降ってくる怪物の姿だ。
「くっ……!」
俺は大きく仰け反って、念動力で空に舞い上がる。
ドゴッッ!! と砲弾のような威力で着弾、一瞬前まで俺がいた場所はクレーターになっていた。
俺はとにかく高く、上空へと飛び上がる。追いつかれたら終わりだ。
振り返ると、追ってくる怪物が見える。一歩一歩、宙を踏み締め、着実に距離を詰めてきている。
クソッ、防戦一方だ。
身体から痛みが消えない。
レイモンドさんたちはまだか?
痛い。
どうしてこうなった?
なんで俺は戦ってる?
「《
苦し紛れの目眩し。
苦し紛れの
効かない。
追いつかれた。
怪物が俺の足を掴み、俺はそれを振り払う。
逆に掴みかかるも、空中踏歩による鋭い機動で背後に回られる。
背中に三発。
振り返りざまに拳を振るうも、たいしたダメージを与えられない。
弱々しい拳打を笑った怪物は、俺の頭を掴んで、顔面に膝打ちを決める。
額、そして首に激しい痛みが走り、俺は呻く。
怪物は止まらない。
俺の腕を掴み、下へと投げ飛ばす。さらに追い打ち、蹴りを見舞う。
俺に、それから逃れる
呆気なく蹴り飛ばされ、俺は背中で木々を薙ぎ倒しながら跳ね回る。
サバッ!! と水飛沫があがり、俺は湖の岸に叩きつけられて、止まった。
ディスプレイの表示温度が下がっていく。水に浸かっているからだ。
リリン村付近の水辺といえば、街側にある湖だけ……ってことは、俺は村の真ん中から森にまで吹っ飛ばされたってことか?
金属製の
ゴッッ!! と追ってきた緑の怪物が、目の前に降り立つ。
水面が弾け、雨のように降り注いだ。
緑色の鬼面が、俺を見下ろしている。
口角を上げ、伏せる俺を嘲笑っている。
すぐに殴りかかってこないのは、俺の反撃を待っているのか。
反撃を受けたうえで、俺をねじ伏せるつもりなのか。
俺は脚に、腕に力を込め、上体を起こし……、
……しかし、立ち上がれない。
身体は、動く。だが、動いたところで、どうだ?
コイツに勝てるか?
俺がコイツに勝っている要素が、一つでもあったか?
なに一つ、俺がコイツより優れているところはなかった。
……もう、終わりだ。
動かなくなった俺を見て、奴の顔から笑みが消えた。
遊び飽きた子供のような表情で、怪物は、その緑色の拳を握る。
腕を大きく振りかぶる。
そしてーーーー、
「『ミキヒト?』」
と、声が。
彼女の声が、重なって聞こえた。
一つは通信術式。そしてもう一つは、肉声。
「……リース?」
振り返ると、そこには彼女の姿があった。
その背後には、冒険者の子供たちと、村人たち。
みんなが、怯えた様子でこちらを見ている。
俺を、そして奴を見ている。
ぴたり、と。
怪物が動きを止めた。
その拳を握ったまま、一直線に、リースへと向かってーー、
ーー寸前、
奴の拳がリースに届く寸前で、俺の右手が、奴の腕を掴んだ。
「ーーふッッ!!」
俺は空いた左手で怪物の腹を殴り飛ばした。
奴は木にぶつかって動きを止め……俺を見る。
打撃を受けた腹をさすり、にたり、と笑みを浮かべる。
まだ戦えるだろう、とでも言いたげな表情で。
……コイツはいま、あきらかに、リースを狙った。
俺の嫌がることを理解したうえでの、行動。
「すぐ逃げて」
「『ミキヒト……』」
「早く!」
そう叫び、彼女たちを無理やり避難させる。
……ああクソ、なにを弱気になってんだ、俺は。
俺の死は、もはや俺だけの死じゃない。
俺が死ねばみんな死ぬ。リースも、村のみんなも、この怪物を止められる存在が現れるまで、際限なく人が死ぬ。
ここで。
ここで俺が、コイツを止めなければ。
時間稼ぎじゃもうだめだ。
……いや、そもそもわかってただろ。時間を稼ぎ、レイモンドさんたちの帰還を待つ……その作戦が使えないことは。
だって、コイツは強い。
普通ランクの冒険者に、魔物の相手は務まらない。レイモンドさん自身が言ったことだ。
だから、時間稼ぎなんて悠長なことは言ってられなかったんだ、最初から。
それなのに、俺は。
「あああッ!!」
情けない自分を怒鳴りつけ、突貫する。
戦術なんてない。
カウンターを喰らうが、関係ない。
俺も拳を、脚を振るう。
およそ戦闘と呼べない子供の喧嘩のような殴り合いを、ヒトを超えたスペックで再現する。
空振った腕が木々を破砕し、踏ん張る足が大地に亀裂を走らせる。
怪物の殴打が、俺を大きく仰け反らせた。
一撃一撃が重い。
身体が、バランスが揺らぐ。
念動力で身体を支えて、
「ああ、クソッ!!」
それでも、互角とは言えない。
いまの俺の実力じゃ、これが限界ーーーー、
「ーーーーリース!! なんかない!? 一発逆転狙える機能でも、
殴り合いじゃいずれ押し負ける。
搦手も通じなかった。
いままでと同じやり方じゃ、同じ負け方をするに決まってる。
でも、俺の戦闘術のバリエーションはそれで全部だ。
頼れるのは、彼女の術式しかない。
『……、……一つ、ある』
言い淀んだ彼女が、苦しげな声で答える。
『でも、これは装着者に危険が及ぶ機能で……』
「それでいい! どっちみち、ここままじゃ俺は死ぬ」
『……わかった。こう唱えて』
リースが告げたその言葉を、俺はそのまま口にする。
「《
視界に文字が走る。
《
《
《
《ご注意ください。》
《処理中……》
《完了しました。》
その単語が表示された、直後。
俺が放った一撃が、怪物の胸を捉える。
奴はそれを避けもせず、受け止めもせず、真正面から喰らった。
不十分な体勢からの、威力不足な反撃。避けるに値しない。そういう判断だったのだろう。
その判断は正しい……いままでの攻撃から鑑みるなら。
ーーだが、この一撃は、いままでとは違う。
クリーンヒットしたわけではない。
急所をついたわけでもない。
にもかかわらず、怪物の体勢が大きく乱れた。
そのチャンスを逃さない。
俺は前蹴りを放つ。
それが腹に直撃した奴は、大砲でも直撃したかのように吹っ飛び、木々を突き破りながら跳ね転がっていく。
追撃をーーそう思うより早く、奴を殴った拳に、前蹴りを見舞った足に、びきり、と痛みが走った。
「いッッ!?」
予想だにしなかった感覚に、俺は動きを止めてしまう。
追撃が来ると考えていたのだろう、怪物は飛び起き、俺を見る。
30m、間を空けて、対峙する。
奴の表情は、笑みではなかった。
苦痛と、疑念。
痛みを堪えるような表情と、なぜそうなったのかを思考する表情。
それらが入り混じった顔で俺を見る怪物に、俺は。
「ーーーーおおおッッ!!」
右足を軸に、跳躍するような突撃。
その
「ーーッッ!?」
油断はしていない。
だが、予測を超えた突進、その加速に、怪物の動きが遅れる。
右腕を広げ、怪物の胸をめがけて
「グギッ……!」
確かな手応えを感じながら、俺は勢いそのままに奴を跳ね飛ばした。
「ぐッ……!」
苦痛の吐息が、俺の口から漏れる。
この速度、奴が対応し切れてないように、俺もまた制御できていなかった。
体感したことのない速度。
そして、その副作用。
いままでは感じなかった
奴による痛撃ではなく、
超加速による
物質と接触した部位にかかる力の反作用。
膨大な力を得た代償が、すべて俺に
その痛みをもって、俺はようやく理解した。
ーーこれが
***
魔術具には、二つの自壊防止機構を組み込むべきである、とされている。
一つ目は、魔術式を守るための機構。
たとえば、炎を纏う魔術剣。自らが発する炎熱で剣に刻まれた魔術式が傷ついてしまえば、魔術具としての機能が維持できなくなる。
だから、魔術具の効果によって魔術式が破壊されないように、術式保護機構を組み込む必要がある。これが一つ目の自壊防止機構。
そしてもう一つは、
敵を焼き斬るための火炎が、魔術剣を持つ剣士を傷つけては元も子もない。
魔術とは、それを起動する術者があってのものだ。術式効果を維持するため、
だからこそ、削るとすれば後者、術者保護機構だった。
となれば必然、その反動、
ある程度の負荷は無効にするように設計している。だが、ミキヒトの魔術能力によって動作する
それを抑制するために組み込んだのが、出力制限の術式だ。高出力による反動を抑制するのではなく、そもそも高出力を出させないようにするための安全機構。
《
万が一、念のため、本当にわずかな最悪の可能性を考えて、組み込んでおいたコマンド。
ミキヒトはいま、それを使って戦っている。
殴り合い掴み合い、
ーーあの怪物と、互角以上に渡り合っていた。
解放されたエネルギー付加上限。それにより得られた圧倒的な
その反面、彼を蝕むのは怪物の攻撃だけではなくなった。
自身の攻撃の反作用、一挙手一投足にかかる
その代償、その負荷を一身に負いながら。
それでもなお、ミキヒトは攻勢をかけている。
防御を捨てた攻撃一辺倒。
一発殴られたら二発殴り返すような愚直な戦い方。
「リース……」
冒険者の少年に声をかけられ、私ははっとする。
そうだ。彼の戦いを見ている場合ではない。
なんのために彼が身を切って戦っているのか。
それを忘れるな。
「ミキヒトが時間を稼いでくれてる。私たちは、できるだけ早く逃げよう」
彼に背を向け、子供たち、老人たちを連れて駆け出した。
ーー死なないで、と。
私は祈ることしか、できない。
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