#008_逃亡

「とうとう知ってしまったのね」


 アップルパイを持ち帰り忘れた俺を咎めることもなく、ティーはそう声をかけた。


「……知ってたんですか?」

「このあたりで起きていることなら、すべて見えるし聞こえるわ」


 少女は紅茶をすすりながら、


「さて、じゃあ、これからどうするか考えましょう」

「これから……?」

「まさか、このまま素直に殺されてあげるわけではないでしょう?」

「それは、そうだけど……」


 俺に取れる選択肢なんて、せいぜいが逃げることくらいだ。


 けれど、この城の警備というのはかなり厳しい。

 見習い衛兵の演習が常に行われているからだ。門は当然のこと、城内を見渡せる高台や客室の前、廊下の一角にさえ衛兵を見かけることがある。見習いを指導するための教官もセットでだ。それも時間交代制のようで、夜でも兵士を見なかった時間がない。


 どうやって彼らの眼をかいくぐればいいのだろう。

 …………!


「不可視化術式で、逃げられる……!」

「いえ、逃げるのには私が手を貸してあげる」

「えっ」

「なにか不服?」

「あ、いや、そうじゃなくて……」


 術式を構築するときは最低限しか手を貸してくれなかったから、ちょっと意外に思っただけだ。


「その代わり、行き先は私が決めてもいいかしら?」

「どこか行きたい場所があるの?」

「ええ。このあいだ、このあたり一帯を散策していたとき、ちょっと気になる場所を見つけたの」


 散策というと、初めて会った日の夜……俺が風呂に入っていたときに帰ってきた、あのときだろうか。


「まぁ、場所はどこでも……」


 そもそも俺はこの城と召喚された草原以外の場所を知らないのだし、行きたい場所と言われてもピンとこない。


「とにかく、逃げる方法と場所は決まったわね。あとは時間だけ」

「方法は俺まだ聞いてないだけど……」

「ミキヒトがよければいまからでも行けるけど、どうかしら?」

「別にいまからでもいいけど……」

「じゃあ、行くわよ」

「いや、だからどうやっーー」


 一瞬の暗転のうちに、


「ーーって?」


 草原だった。

 一瞬のうちに、俺は草原に立っていた。

 瞬間移動……?


「ここ、どこ? 俺が召喚された草原ではないっぽいけど……」

「違うわ。もっと都から離れた田舎町といったところかしら」

「田舎……」


 まぁ、都会よりはいいか。旧王城や旧王都から離れられたのなら文句はない。


 これでもう、殺される心配はしなくていい……のだろうか。

 暗殺対象がいきなり姿を消したのだ。大問題になるだろう。

 異世界の知識を持った人物が忽然と姿を消したら。他国なんかに流れたら……。


 ここまで来て、どっと不安が押し寄せてくる。

 城にいるべきではなかっただろうか。もっと円満な形で城を出ることはできなかっただろうか……。


「どうしたの?」


 ティーが俺の顔を覗き込んでくる。

 表情に出ていただろうか。俺はおずおずと口にする。


「いや……大丈夫かなと思って」

「なにがかしら?」

「その……勝手に逃げてきたから、追手とか……」

「それに関しては、私が保証してあげるわ」

「保証? 追手は来ないってこと?」

「いいえ、追手が来ても、私が守ってあげる、ということよ。そんなことでミキヒトが死んでも、面白くないもの」

「面白くないって……」


 人智を超えた精霊が守ってくれるというなら、安心はできるが……、


 いや、いろいろ考えるのはよそう。

 こう言ってくれるティーを信じるほかに、俺が取れる選択肢はないのだ。


「さぁ、村はあっちよ。もっと近くに移動してもよかったのだけれど、なにもないところからいきなり現れては怪しまれるでしょう?」


 怪しまれるどころの騒ぎじゃない気がするが、たしかにそうだ。


 ていうか、ティーがそういう配慮をできることにすこし驚きだ。俺に対してはいつも唐突で説明もないし、訊いたところで答えてくれないときすらあるし、そもそもここに来た方法も理由もまだ説明してもらってない……。

 釈然としない気持ちになりながらも、俺はティーに質問してみる。


「いまからいく村ってどういうところなんだ?」

「そうね……。……なにか特殊なところがあるわけではない、なんの変哲もない村、かしら」

「もうすこしなにかないですかね……? たとえば外壁に囲まれてるとか、村の入口に衛兵がいるとか」

「村を囲んでいるのは木製の柵。村の入口には槍を持った男が一人」

「んん……」

「どうしたの? なにか不安でもあるのかしら?」

「あの……俺たち身分証なんて持ってないし、そのうえ手ぶらだし……。どこから来ただれだって、怪しまれるんじゃないかと思って」

「……たしかに、そうなるかもしれないわね。じゃあ、森に人がいるようだから、彼らに案内してもらいましょう」


 ふいと少女が視線を向けた先には、木々生い茂る森があった。

 眼を凝らしてみると、森から出てくる人影も見える。


「村が見えた! もう一息だ!」


 切羽詰まった声だった。

 防具を着た男が三人、肩を組んで走っている。


 いや、肩を組んでるんじゃなくて、両脇の二人が真ん中の大男を支えてるのか。

 そして大男の腹からは血が滲んでいて、


「ちょっ……と……」

「大丈夫、すぐには死なないわ」


 いや千切れかけてるのに大丈夫なわけない……!


「アーセルお前、先に行って応援呼んでこい!」

「バカ言うな! お前ひとりでダグラスを運べるわけねえだろ!」


 両脇二人の焦燥は、大男が死にかけていることに対してではない。


「なにかに追われてる?」

「森の中に大きな生き物がいるわ」


 二人して彼らを見ていると、男の一人が俺たちに気がついた。


「あんたたち、手を貸してくれ! 村に行って、魔物が出たことを……!」

「魔物?」


 その言葉を聞いて、俺が思い浮かべたのはゴブリンやオークのような定番の種族だった。

 だが、


「グルルルル……」


 木々をかき分けて出てきたのは、三メートルを超える巨体だった。

 血のような赤黒い毛皮に、四本の腕と、そこに燃える真っ赤な炎。


 熊だ。

 炎を纏った四本腕の巨大な熊が、俺たちを見下げている。


「クソッ! あんたたち早く行け! 村はこの先にある!」


 その言葉を聞いて、ティーは歩き出した。

 だが、その足先は村の方角ではなく、男たちのいる方向へと向いている。


「なっ、助けはいらねえ! 逃げろ!」


 男が叫ぶ。

 熊の視線が、男たちから少女のほうへと移った。


 四本の腕が振り上げられる。

 荒れ狂うように炎が増していく。

 そして、その圧倒的な巨体が、


「グルァ……?」


 どさっ、と地に伏した。


「えっ……」


 倒れた熊は、四本もある腕を一本も動かさない。

 燃え盛っていた炎も消えている。

 俺も男たちも動きを止めていた。


 唯一歩みを止めなかったのは、ティーだけだ。

 彼女がなにかしたのだと、思う。

 少女はにこりと天使のような笑みを浮かべて、男たちに悠然と歩み寄る。


「こんにちは」


 あまりに日常的な挨拶をする彼女を、二人の男は呆然と見ていた。


「……死んだのか、あの魔物は」

「ええ」

「あんたが、やったのか?」

「ええ」

「あれは、魔法か? ……いや、なんでもいい。助かった。ありがとう」

「どういたしまして」

「すまねえ、先にこっちの世話をしてもいいか」


 そう断ってから、男は支えていた大男を地面に寝転がした。

 左手は折れた手首の骨が剥き出している。腹部の傷に至ってはてらてら光る内臓が防具によって堰き止められている状態だ。それ以外にも軽傷とは言えない傷が身体の至るところにあるようだった。


「うう……」

「寝てろダグラス。……あんたたち、鎮痛剤とか持ってねえよな? あるんなら貸してくれねえか」

「持ってないです……けど」


 痛覚って結局、神経がどうこうってアレだよな。

 自分の肉体を作ったと言っていた彼女なら、神経をいじって痛みを消すことくらいできるかもしれない。


「ティー、神経いじったりして痛覚を遮断することってできるか?」

「できるけれど、それよりしたほうがいいんじゃないかしら?」


 ティーがそう言い終わったときには、大男の千切れかけていた左手が、治っていた。

 腹部の傷も跡形もなく消え去っている。


「なっ……んだ、これ」

「……治癒魔法ってやつか?」


 驚いている男たちに、ティーが説明をする。


「治癒というより復元ね。細胞を複製して肉体の形を整えただけ。なんなら衣服も直しましょうか?」


 言い終わらないうちに、切り裂かれていた腹部の防具が修繕されていた。


「…………」


 少女の見せる不可思議な現象に、男たちは言葉を失うばかりだった。

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