#007_不可視化術式

「術式を構築するにあたって、まず先に決めておかなければならないことは?」

「えっと、まずは、実現したい現象の確認」


 俺の実現したい現象は、不可視化。

 自分が反射する光を隠しつつ、自分が遮る光を反対側に通さなければならない。


「それを実現するためには?」

 その現象をどうやったら実現させられるのかを、魔術的観点……術式素や術式単位から見ていく。


『パターン1:屈折』

 自分へ向かってくる光を屈折させ、自分を避けさせたのち、真反対にまっすぐ進ませる。そうすれば俺が光を遮ることなく、俺が光を反射することもない。

 これはフィクションでよく見る方法だ。負の屈折率を持つメタマテリアルを使った光学迷彩、みたいなガジェットが出てくるSFを読んだ覚えがある。


『パターン2:遮光と発光』

 自分へ向かってくる光を複製し、自分から遠ざかるように発光させる。背中へ当たる光を複製して腹から発光、腹へ当たる光を複製して背中から発光、という具合に。これを自分へ当たる光すべて、360度全方位に行う。

 そして複製元となる背中に当たった光、自分に当たった光を遮光。周りに光を漏らさないようにする。

 これで自分の姿を隠すことができる。


 楽というか、簡単なのはパターン1屈折だろうか。すでにある光の進路を変えるだけでいい。


「じゃあ、屈折をメインにするとして、次に考えなければならないことは?」


 術式素を探し、術式単位を構築すること。


 いくら発想がすごくても、それが術式で実現不可能なら意味がない。

 だから起こす現象の詳細から決めるのではなく、現象と術式、両サイドから決めていくのが効率がいい。


 この作業にはおよそ一日かかった。初日の午後を含めれば一日半。

 光学系の魔術書を片手に、術式を組んでは起動。修正。その繰り返し。

 辞書片手に英文読解をしている気分にもなったが、書いた術式を動かす実験過程があるため、楽しくないと感じることはなかった。


 術式の形状は陣。使用する術式素は記号と文字。

 現象の詳細としては『指定領域を避けて通るようにして光を屈折させる』だ。


 術式内で指定する領域は可変にもできるが、まずは固定で円柱とした。円柱の内側が不可視化の対象となる。この形状の理由は単純、人間一人が入れて、なるべく余計な空間を不可視にしないため。だれかとすれ違ったとき、その人がうっかり領域内に入ってしまう危険を最小限にするためだ。

 本当は身体の表面とかにしようと思ったが、これはあまりに難しすぎた。最終的に、俺は自分を不可視化して城内を歩き回るつもりなので、身体にぴったりサイズの領域を指定する場合、領域を絶えず変化させる必要がある。対象領域の動的指定というのは、術式的には可能だろうが、いまの俺には難易度が高い。まずは定形領域としよう。


 この方針決めには苦心して丸一日かけてしまった。

 さらに方針が決まった術式を構築するのに一日半。

 それだけかけて、俺はようやく不可視化の術式を組み上げた。


「じゃあ、試してみましょう」


 そう言って、少女はチェスの駒みたいな人形を生成し、机に置いた。

 ルーズリーフに完成した術式を書き込み、領域定数で直径20センチ・高さ20センチの円柱を指定する。

 人形を術式の上に乗せ、術式を起動する。意識を集中させ……、

 次の瞬間、人形は見事、その姿を消した。


 だが、


「あれ……?」


 指定した円柱領域のが、見えない。直径20センチの穴が空いているように黒いのだ。


「さて、この術式の反省点を述べなさい」


 まるでテストの問題文のように問う少女。失敗するのがわかってたな……。


「ええと……」


 この不可視化術式は、領域表面に当たった光を屈折させ、逆側の領域表面から発することで自分の姿を消している。

 つまり逆を言えば、領域表面に光が当たらなければ、その逆側は暗いままというわけだ。


「……底面が暗かったのは、底面に光が当たらなかったからか。そして光が当たらなかったのは、領域と机が接していたから」

「正解。それが、底面がブラックアウトした原因」


 人間の瞳が光を捉えている以上、光の当たらない領域を見ることは不可能。

 だから領域の表面がなにか物体に触れていたら、もれなくブラックアウトしてしまう。


「まず、解決策を挙げてみましょう。実現の可否にかかわらず、思いつくものを簡単に」

「……えっと、ブラックアウトの原因は底面に光が当たらなかったからで、底面に光が当たらなかった理由は領域と机が接していたから。つまり接してなければいいってことだから……領域を浮かせる?」

「そうね、それで解決できそう。じゃあ、それを実現させるためには?」

「……領域指定の見直し。あとは……不可視化対象の配置?」


 領域を浮かせるということは、その領域内に配置する不可視化対象も浮かせなければならないということ。もし対象を地面に直置きしていたら、領域からはみ出して、そこだけ晒すことになってしまう。


「その通り、この人形を浮かせて、領域内に配置する必要がある。それを実現させるためには?」

「念動力の働く領域を設定して、擬似的な地面を作る」


 人が地面に立っていられるのは、自分にかかる重力と地面からの垂直抗力が釣り合っているからだ。これを同じことを魔術で実行すればいい。


 具体的には、領域と地面の隙間に念動力の領域を設定する。力の方向は重力の反対方向。力の大きさは、乗せた物体にかかる重力と同じだけの力。

 それだけじゃなく、摩擦力も必要になるか。重力と反対の力をかけただけでは、ただの無重力状態だ。無重力となるのは不可視化領域と念動力領域の接面だけだが、横方向には無重力が続くので、横滑りしてしまう。

 だから摩擦力も必要。摩擦をどうやって実現するかも考える必要がある。


「ひとまずの方針は決まったかしら?」

「不可視化領域を浮かせて、地面とのあいだに念動力の領域を作る。念動力領域には摩擦力をかけなきゃいけないから……物質の性質の再現とか、そういう魔術書ってある?」

「ええ、あるわ」


 なにもない虚空から、机に魔術書が積み上げられた。

 ここからまた数日ほど、机に向かいきりとなりそうだ。



 ***



「これでどうだ……?」


 光の線で記述した術式を起動し、この効果領域に人形を置いてみる。

 領域に突っ込んだ手がみえなくなり、さらに手から数センチ……設定した領域の直径ほどの長さがブラックアウトした。


 光を領域表面に沿わせて屈折させている性質上、領域表面に接触物があると屈折光が遮られてしまう。でもまぁそもそも接触しないことが前提だし、これの対処はあとでもかまわない。


 手を下げていくと、人形がまだ机に到達していないにもかかわらず、なにかに接触した手応えを感じる。

 そのままそっと手を離すと、人形は落ちることなく、その姿を消したままだった。

 領域の底面が暗くなるということもない。

 あれから四日。底面のブラックアウト現象は、解決だ。


 これで完成! と言おうとしたとき、


「あとは人体実験だけね」

「人体実験て言い方……」

「必要でしょう? 実際のスケールで使用してみて、ようやく術式は完成と言える」


 それはそうだ。拡大しただけなのに使い物にならない、なんて失敗作だろう。

 俺は光で描いていた術式をそのまま拡大し、領域を指定している定数を縦2メートル直径1メートルの円柱に書き換えた。


 改めて不可視化術式を起動し、まずは足を踏み入れる。

 地面から50センチほど高い位置に、地面のような感触があった。足を滑らせてみようとするが、適度に働いている摩擦力のおかげで滑らない。

 念動力領域は問題なさそうだ。これもう大丈夫じゃないか?


 そう考えながら、俺は不可視化領域に入り込み、


「……あれっ?」


 暗い。

 円柱の領域内が暗い。

 真っ暗だ。なにも見えない。外の様子もわからない。

 円柱から出てみると、机に座ったティーが紅茶を飲みながら、


「この術式のどこが悪かったのか、わかるかしら?」


 ……初めからこうなることがわかってたのか。

 わかっていたうえでなにも言わず、術式の完成まで待った、と。


「いじわるいな……」

「教育的と言ってほしいわね」


 ともかく、領域の内側が暗くなっている理由を考える。

 暗く見えるのは、単純に光がないからだ。人間の眼は光を捉えてものを見ている。

 つまり、円柱の内部には光が入っていない。


「……あ、光を屈折させてるからか」


 自分が遮るはずの景色を見せるために、領域表面に接触した光を真反対の表面まで屈折させる、というのが構築した不可視化術式だ。

「光は指定領域を避けて通ってるから、領域内には人間の眼が捉えられる光が存在しない」

「正解。じゃあ、これを解決する方法は?」

「屈折させずにそのまま通して……いや、光のコピーを取って、屈折させる光とそのまま通す光に分けて……? いやいや、これもう屈折させる必要なくない?」


 パターン1屈折の利点は、発光も遮光もせずに、外界の光をそのまま利用できることだった。

 けれど、領域外部と内部、その両方に光が必要なら、その利点も消えてしまう。

 領域表面に触れる光を屈折光にするにしても、そのまま領域内部に侵入させる光にしても、どちらにせよコピーした光を発光術式で作る必要があるからだ。それに領域内部の光が外部に漏れないよう遮光の術式も必要となる。


 それならパターン2遮光と発光で術式をすべて構築し直したほうがいいだろう。

 領域表面に入ってくる光のコピーを取って、真反対の表面で発光。領域内に入ってくる光はそのままにして、領域外に出ようとする光を遮光する。

 簡単な方針はこんな感じか?


「パターン2でイチから組み直し……いや、再利用できるところもかなりあるか。屈折関連の術式をまるっと削除して、発光・遮光術式と置き換えて……」


 領域指定とか念動力領域とか、そのあたりは手を加える必要はなさそうだ。

 ここまで決まればあとは早い。

 トライ・アンド・エラーで組み上げていこう。



 ***



 領域内に踏み込むと、今度はきちんと外が見えていた。

 ティーが手鏡をこちらに向けているが、そこに写っているのは俺の背後の扉だけだ。


 方針をパターン2遮光と発光に変えてから二日。

 ようやく術式が完成した……はず。


「ここからさらに問題点がありますなんて言わないよな……?」

「問題点はないわ、改善点ならあるけれど。言ってほしいのかしら、魔術師さん?」

「い、いまはいいです……」


 完成の余韻に浸らせていただきたい。


「じゃあ改善点の代わりに、ひとつ任務を与えます」

「えっ、なんですか」

「ちょうどアップルパイが焼きあがったみたいだから、厨房へ行って取ってきてくれないかしら。もちろん、だれにも見つからずにね」

「任務っていうかパシリ……」


 でも面白そうだ。


「じゃあ、行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい」


 術式を起動したまま部屋を出て、厨房までのルートを辿っていく。


「っと」


 何度か廊下を曲がったところで、俺は足を止めてしまう。

 その先にいたのは、見習いメイドが三人。窓際の花瓶に花を挿したり、水魔法で絨毯を洗っていたりする。


 使用人の人たちは、俺に会ったら必ず挨拶をしてくれる。

 自分たち以下の魔法しか使えなくても、俺が異世界から召喚された勇者だからだ。内心ではどう思ってるのかわからないが、表面上はきちんとした対応を取ってくれている。


 そんな使用人たちに、俺は一歩、一歩と近づいた。

 使用人たちの視線が、何度か俺のほうを向く。

 そのたびに俺はびくりとしてしまうが、使用人たちはなんの反応もしない。


 ほんの二メートルの距離に近づいても、反応しない。

 ……見えていないようだ。不可視化術式の実証実験、成功である。

 使用人たちから離れて、なおかつ壁に近づきすぎないように気をつけてその場を通り抜ける。


 それからも俺は抜き足差し足で使用人たちの眼をくぐり抜け、ようやく厨房へと辿り着いた。

 ここの厨房はかなり広く、学校の家庭科室のような設備テーブルがいくつも並んでいる。使用人育成のための改築でもしたのだろう。


 ただ、そこにいる人間は少なかった。休憩中だろうか。

 漂う香りに釣られて視線を動かすと、ある一角のテーブルに焼きたてアップルパイを見つけた。パイ焼きの研修でもやってたのか、その数は20ほどもある。


 現在、室内にいるのは俺を除いて五人、コック服の少女たちだけだ。彼女たちはパイが置いてある机とは離れた流し台で洗い物をしているため、音さえ立てなければ大丈夫だろう。

 気づかれてもすぐに対応できるよう、少女たちの会話に聞き耳を立てながら、ゆっくりと目的のテーブルへ近づいていく。


「焼いたパイってどうするの? どこかの研修に使うとか?」

「執事の研修に使うから、教官が取りに来たら渡してって料理長が言ってたわ。あ、一個は残しといてね、勇者様に献上するらしいから」

「勇者様って、あの生活魔法の勇者様? まだ生きてたんだ」


 その言葉にどきりとする。生活魔法の勇者って俺のことだよな? まだ生きてたってなんだ?


「なんか暗殺計画あるって聞いたんだけど」

「あー、らしいねえ。でも当然といえば当然じゃん? 機密漏洩とかあるし」

「機密って……勇者様に国家機密教えてるってこと? 軍事情報とか? 自分たちで喚び寄せたとはいえ、さすがにそれは危険なんじゃ……」

「いやいや、そういう国家機密とかじゃなくて、勇者様は異世界人だから」

「……異世界人だから?」

「ほら、異世界技術とかが外国に漏れたらまずいでしょ。なんかかなり技術の進んでる世界から来たらしいよ」

「ああ~、なるほど、そういうことか。たしかに、異世界の軍事技術とか危なそう」

「国としてはそういうのを独占したいだろうから、勇者様が『自分たちはこの国の所属だ』って認識ができるまでは、国外に……というか戦争に出すようなこともしないと思うな。でも、戦力として期待できない生活魔法の勇者様は……」

「……異世界知識が漏洩しないように、処分しちゃったほうが安全安心ってことね。そう考えると、殺しちゃうのは妥当だって思えるかも」

「でも、異世界の知識ってどんなのがあるんだろう。軍事利用できる魔法とか?」

「魔法はわかんないけど、うちのパパは最近『異世界の調理法を研究する』って言って連絡も取れなくなっちゃった」

「なにそれ、異世界の調理法とかすごい興味あるんだけど」

「まだ王宮専属シェフにしか伝えられてないらしいよ。私たち見習いは教えてもらえないって」


 少女たちの話はそのまま異世界料理の想像へとシフトしていった。

 けれど、俺の頭にはさっきまでの話がこびりついて、離れない。


 異世界知識の漏洩。たしかに一理ある。

 もし俺が国外に出たら、たとえば金を得る手段として、その知識を披露することになるだろう。


 だが、だからと言って……俺は、殺されるのか?

 その危険があるというだけで。

 この城から自由に出ることもできないのに。

 殺される?

 それは、いったいいつ?

 どうやって? 


 唐突に突きつけられた事実に、俺はしばらく動けなくなった。

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