#006_朝食と複製術式

「む……」


 カーテンの隙間から差し込む陽光が、俺の意識を呼び起こした。

 陽の傾き具合がいつもより高い気がする。すこしだけ寝過ごしたようだ。

 上体を起こして背伸びをし、ベッドから出ようとすると、


「ん……」


 すぐ隣で、なにかが蠢いた。

 そっと視線を向けてみると、そこには白い髪の少女が眠っている。


「…………!」


 もしやこれが朝チュンってやつか……?

 いや待って、なんで……?


 俺の意識が寝起きとは思えないほど覚醒し、さらに脳裏には昨晩のことが鮮明に思い出される。

 昨晩、俺は彼女に魔術講義の報酬を支払った……というか徴収された。

 言ってしまえば、俺に主導権などなかったのだ……。


 いや、それでも充分に甘美な時間であったのは間違いない。

 初めてではあったが失敗することもなく(というか少女主導のもと動いていただけというか)、むしろ互いに満足して尽き果て、そのまま寝落ちした……んだと思う。最後のほうの記憶がない。


 けど……改めて少女を見ていると、昨晩のことが本当は夢だったのではないかと疑いたくなってしまう。

 だって、それくらい美しいのだ、この少女は。

 きめ細やかな柔肌に、華奢でか細い身体、小さな唇に白く長いまつげの一本に至るまで、すべてが繊細で美しい。精緻な氷像のようで、ふとしたことをきっかけに、溶けてなくなってしまいそうだ。触れることすら躊躇われる。


 でも、昨日は触れる以上のことをしたんだよな……。

 なにより乱れたシーツと汗やらなにやらまみれのねっとりした身体が証明してくれる。


 ていうかシーツがかなりアレなことになってる……。少女に言ったら痕跡を消してくれたりするだろうか。魔術でやってみなさいとか言われたりしないだろうか……。


 すやすやと寝息を立てている少女は一向に起きる気配を見せない。

 起こしては悪いので、俺は静かにベッドを出て、少女の裸体に布団をかけ直す。


 さて、風呂にでも入ってさっぱりしようか。

 昨日は大浴場に行ったが、どうやらこの部屋にも浴室があるようだ。

 以前に使っていたスイートルームよりは小規模で質素で、設備は浴槽と洗面台のみ。それでも戸建て一軒家の風呂以上の大きさはある。


 俺は魔法で出した温水を頭から被り、石鹸で身体を洗っていく。

 洗ってるあいだに風呂を溜めよう。念動力魔法で金属栓を排水溝に押し込み、水魔法で浴槽にお湯を張る。

 この部屋の浴槽には、排水口が備えられているだけで蛇口はない。洗面台も同様で、洗面ボウルに排水口、そして金属の栓のみ。もちろん設計ミスというわけではなく、ただ水魔法を使うことを前提とした設計となっているだけだ。


 シャワー代わりの温水とか、小さな浴槽を満たすだけの水量とかは俺の魔法でも簡単に賄える。ドライヤー代わりの風魔法も、寝癖を抑える念動力も、朝の支度のほとんどが初等魔法以下で事足りる。生活魔法と呼ばれる所以はこれなのだろう。


 風呂から上がると、よくやく少女がベッドから這い出しているところだった。


「んん……おはよ」

「おはよう……ございます。ティー」


 やば、どういう顔で接すればいいんだ。

 恥ずかしいというかなんというか……。そして当然のごとく裸だし……。

 そんな俺の気も知らず、少女が見せたのはきょとんとした表情だった。


「……そうね、私はティー。つけてもらっておいて、忘れていたわ」

「ええ……」

「いままで自分を文字列で表現するなんて、なかったから」


 文字列て……そうなんだけど、なんか急に名前のありがたみがなくなる表現だな。

 少女は欠伸を一つ、背伸びを一つして、


「お腹が空いたわ」

「さいですか……」


 廊下へと通じる扉を出て、すぐ目の前。そこに設置されていた机の上に。銀色のドーム……食事に被せるアレが置いてある。使用人が用意してくれた朝食だ。爆睡してたり呼びかけに答えられないとき、こういうふうに置いていってくれるのだ。


 その食事を部屋の机に配膳するころには、少女はもう白いワンピースを身に着けて座っていた。


 ドームを開けると、中には白パンと燻製肉入りの野菜スープ、そして半分に切られたレモンが丁寧に盛りつけられていた。朝食はいつもこんな感じだ。

 ファンタジー中世のパンと言えば固い黒パンのイメージがあるけど、ここの食事で出てくるパンは柔らかい白パンが多い。

 ほかの食材も、さまざまな種類の野菜が入ったスープだとか、肉だって鳥も豚も普通に出てくる。

 みずみずしい果実だって、食べるのではなく、ただの味つけにしか使わない場合だってある。このレモンでいえば、コップに魔法で水を注いだあと、搾って味つけをする用だ。


 そして肝心の味はというと……まぁ、なんだ、コンビニ食に数歩劣るくらい。おいしいが薄味。やっぱりコショウとかスパイスとかって珍しいのだろうか。

 また、量的にはそんなに多くない。朝食にはちょうどいい一人分の分量だ。


 ……そう、一人分である。使用人が用意してくれた食事は一人分しかない。

 この精霊の少女ティーの存在は、まだ使用人たちには明かしていない。まだ、っていうか明かすかどうかもわからない。

 だから、ティーの分の食事がなくて当然である。

 じゃあどうするか……という話なんだが、


「いただくわね」


 ティーはトレイの端をつまみ、自分のほうへ引き寄せるようにして、

 複製のもととなった食事の量が減るとか、劣化するとかいうことはいっさいない。まったく同じものを、まったくの無から生成しているようだ。


 昨夜の夕食も同じように複製していた。あのときは驚きすぎて声も出なかったが、ある程度は予想ができたいまは、落ち着いて尋ねることができる。


「それ、どうやってやってるんですか?」

「? なにが?」

「その……複製魔法?」

「複製というか、ただの物質生成だけれどね」


 なんでもないことのようにティーは言う。


「物質生成なら貴方もできるじゃない」

「魔術を使えばってこと?」

「いえ、魔法で」

「えっ、そうなんですか?」

「……そうもなにも、それは物質でしょう」


 ティーが指差したのは、俺がいましがた水を注いでレモンを搾ったコップ……あっ、


「水って物質か」

「いったいなんだと思っていたのかしら……」


 少女は呆れたような顔を見せる。


「生成自体はたいしたことのない魔法よ。難しいのは、より複雑な物質を生成すること」

「複雑な物質?」

「物質については、どこまで知っているのかしら? 原子はわかる? 原子の構成は?」

「えっと……陽子、中性子、電子」

「正解。じゃあ、水素原子と酸素原子の組成は?」

「水素原子は陽子1つに電子1つ。酸素原子は陽子と電子が8つずつと、中性子も8つ?」

「正解。原子の組成はむこうとこちら、同じようね。では、水分子を生成するのに必要な原子は?」

「H2Oだから、水素原子2つに酸素原子1つ」

「次、金原子の組成は?」

「覚えてません……」

「陽子・電子が79、中性子が118」


 そんなに多いのか。


「じゃあ、問題。水と金なら、どちらの生成が難しいでしょう?」


 さっきティーは、物質生成はより複雑な物質のほうが難しいと言った。

 ここで言うというのはどういう意味だろう。


 構造? 体心立方格子とか面心立方格子とか?

 いや、問答の内容からして質量数とかか。


「……たくさんの電子とかを作らないといけない、金のほうが難しい?」

「正解。陽子や電子などの構成要素を、時間的な遅延ラグをほとんどゼロにして作り続けなければならないから難しいの。各要素を生成するタイミングがあまりにずれると、要素同士の結合が難しくなる。金原子を作ろうとして、水素なんかの細かな原子がたくさん生成されてしまったり、電子や陽子がそのまま放出されてしまったりね」


 原子核を作るとき、陽子と中性子を作るタイミングがずれると、うまく結合できずに散らばったりしてしまうってわけか。


「じゃあ水って比較的簡単な物質なのか……? いやでも酸素原子はそこそこ多くない?」

「術式さえあれば、魔術初心者でもできる程度よ。さすがに金は難しいけれど」


 術式さえあれば、か。

 それが魔術のいいところだと思う。


「物質生成に興味があるの?」


 食事の手を止めて、少女が尋ねてきた。


「まぁ、それは」

「光学魔術より、そちらを先にする?」

「……いや、まずは不可視化の術からかな。昨日ちょっとしかやってないけど、それでも中途半端で放り出すのは気持ち悪いし」

「そうね。まずはなにかひとつ、術式を完成させてみたほうがいいわ。意識づけのためにもね」

「意識づけ?」

「そう。自分は魔術師である、という意識づけ」

「魔術師? 俺が?」

「一般的には、ね。魔術の研究をしていたり、高度な術式を構築できる人物のことを魔術師と呼ぶ。不可視化の術式を完成させられるなら、魔術師くらい名乗ってもいいんじゃないかしら」


 俺が魔術師、か。

 こちらの世界に来てからはずっと『勇者様』とか『召喚者様』とは呼ばれていた。


 俺にはそれが重荷だった。

 俺はなにひとつ勇者らしいことができていない。使用人以下の魔法しか使えず、上達の見込みもない。勇者なんて呼ばれる資格はない。


 けれど、魔術師なら。

 この少女に教えを請えるのなら。

 俺は魔術師と呼ばれる資格を、得られるのかもしれない。


 それに、呼び方なんて関係なく、覚えたい魔術はたくさんある。

 ほかの召喚者みたいな大火力の現象を起こしてみたいし、物質生成もしてみたい。


 不可視化の術式だってそうだ。

 こんなにやる気がみなぎるのは、前の世界ではなかったことだ。


「それじゃあ、行きましょうか」


 食事を終え、俺と少女は図書室へと向かった。

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