忘却のクレマチス
@fororo
前編
「綺麗だね。景色」
「あっ、えっ? う、うん。そうだなぁ」
なんの前触れもなく飛んで来た言葉に、上手く対応できなかった。ここで「君の方が綺麗だよ」なんて言えるヤツができる男って物なのかもしれないが、生憎僕にはそんなことを言えるような機転も胆力もない。
……正直今、緊張している。なんせ、恋人と久しぶりのデートなのだ。付き合い自体は3年程度あるが、僕も彼女もあまり活動的なタイプではない。その上、彼女は「勝負服」と称してあまり着ないワンピース(普段はパンツスタイルでいることが多い)を着てきている。それに対して、僕はゆるゆるのラフスタイルだ。なんと言うか、ちょっと気恥ずかしい。
「……
「いやっ、全然そんなことないよ! 一緒にいられるだけで嬉しい!」
我ながら、微妙にズレたことを言ってしまった気がする。弁解しようとするとさらにややこしくなるからここは抑えて、彼女があまり気にしないことを祈ろう。
僕達が今来ているのは、市内にある展望台。ここに来たのは彼女の希望だ。土曜日の午前中だが、人は僕達以外見当たらない。彼女と2人で貸し切り状態と考えると、嬉しいようなドキドキのような。
ふと時計を見ると、来てから30分を過ぎようとしていた。そろそろ帰る時間だ。
「えーっと……僕インドア派だけど、
「もう〜。本当にさいごまで他人行儀が抜けないんだから……」
そう話す帆波さんは、展望デッキの柵にもたれたまま動こうとしない。何メートルもあるタイプの柵ではなく、飛び越えようとすればできてしまいそうな高さの柵だ。
「ねえ、涼斗くん。私のこと好き?」
「……す、好きだよ!?」
今度の言葉にはしっかり反応することができた。しかし、何だか帆波さんの様子が変だ。上手く言語化はできないが、言葉にするならば……
「あのね、私怖いんだ。涼斗くんがいつか私のことを好きじゃなくなって、私のとこから離れていったり浮気したりするのが。それって当たり前にある可能性なんだろうけど、私はそれにきっと耐えられない。
ここで誓える? 絶対、一生、一緒にいるって」
──危うさ、だろう。
「それは……」
「ごめんね、意地悪な質問だったね。それに、ここで『はい』って言われても言葉が軽すぎて信じられなかったもん。この質問には、ほとんど意味はないよ」
普段の、穏やかで優しい雰囲気は決して崩れていない。
それなのに、湧き上がる狂気と愛憎も隠れていない。
僕の恋人は、こんな人間だったのか。失望や怒りの前に、まず溢れてきたのは恐怖だった。理性がけたたましく警鐘を鳴らしているのが分かるが、僕の体、そして意識は帆波さんに釘付けだった。
「だから、そう……考えたんだよ。私。この気持ちをどうすればいいかって。未来がどうなるか分かるわけない。なら、見なきゃいいんだ。
『涼斗くんに愛された私』のまま、終わればいい」
「は……いや、待てっ、待って帆波さん!」
帆波さんの体が傾いていく。ここで、やっと僕は帆波さんが何をしようとしているのか理解した。理解してしまった。ここに来たのも、最初からそうするつもりだったんだ。つんのめりそうになりながら、全力で帆波さんの方へ走る。
今の状況、もうなりふり構っていられない。
「涼斗くん、見ててね。私がどうなるか。絶対だよ。
私を忘れないで。
私を思い出して。
……私で苦しんで」
「帆波さ────!!」
柵の外へ沈んでいく帆波さんへ思いっきり手を伸ばす。足でも手でもなんでもいい、何か掴まなければ。
そんな僕の手は虚しく空を切り、彼女の体は重力に従って下へと落ちていく。どんどん小さくなっていく帆波さんから、目が離せない。
地面に叩きつけられる寸前、彼女が笑った気がした。
忘却のクレマチス @fororo
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