第2話『捜索』

 時が戻る前のことが夢でなければ、近い未来に婚約者のリチャードは、まるで人が変わったようになり「運命の相手を見つけたので、婚約解消をして欲しい」と、迫って来るはずだ。


 あの時に、大人しく頷いて引き下っていれば、私は殺されることはなかっただろう。


 一度王族から婚約解消された貴族令嬢として、傷物扱いされたとしても、父は公爵で政治的にも力を持っていた。


 政略結婚で、再び良い縁談が舞い込んでもおかしくはなかった。


 最初からそうしていれば、良かったのかもしれない。今思えば、私はリチャードに、恋をしていないことを知っているのだから。


 あれは決して恋などでは、なかった。


 いきなり現れた自分より下位にあった令嬢に、幼い頃から仲の良い婚約者を横取りされ、いわれもない嫌がらせなどの冤罪を認めたくはなかった。


 公爵令嬢としての高い矜持が、安易な安全策に阿ってしまう楽な道を辿ることを邪魔をした。


 ……黒衣を纏う冷酷な、美しい処刑人。あの人は、今どこで何をしているんだろう。


 暦を確認すれば私は、二年ほどの時を巻き戻ってしまったようだった。


 現在は貴族学園の二年生で、リチャードが恋に落ちる男爵令嬢が入学するのは来年の春だった。


 入学式で運命的に出会い、彼らは恋に落ちるはずだ。


 未来、何が起こるかを知る私が、このまま何もしなければ。きっと、そうなることだろう。


 けど、私の関心はそこにはなかった。


 王家の影と呼ばれている存在が居る事は、近い将来に王太子妃になる予定だった私は、教師から教えられていた。


 特定の王家の人間のためだけに存在し、死にゆく者。王家に近い血筋から、影として身代わりにもなれるように。容姿が良く似た者が、選ばれるらしい。


 そういえば、彼は髪の色を除けば王太子リチャードに似ていた。陽の光のような金髪と、闇を思わせる黒髪。まるで、彼ら二人の対照的な立ち位置を表すような。


 あの時に、怒りに我を忘れたリチャードが彼を呼んだ名前。ユーウェインという名前で、私は密かに調査を開始した。


 王家の影の正体を知るなど、通常であるなら政治的な力も持たない公爵令嬢に出来るはずもない。でも、私には彼が存在している事も知り、名前などのいくつかのヒントを得ていた。


 この頃の私は、いずれ王家となる身分だった。


 限られた者にしか立ち入れない家系図のある資料室にも、入室は可能だ。


 リチャードの影であるためには、彼は近い年齢の縁戚である必要があった。けど、その産まれた系譜なんかは、今は公式には抹消されて秘されているはずで……。


「……前王弟の、庶子……今ではもう、死んでいるはずのユーウェイン。あの人は、リチャードの従兄弟だったのね……」


「仕方の無い人だ。せっかく、人生をやり直すために時を戻したのに。なぜ、こんなところで俺のなんかのことを、調べているんですか?」


 暗く狭い資料室には、私一人しかいないはずだった。


 ここは、王家の者とそして極少数の限られた学者以外は入ることの出来ない場所のはずで……。


 声の方向を見れば、あの時の処刑人。私を殺した人だった。薄暗い影の中に居て、溶け込んでしまいそうな黒髪と黒衣。


 美しい、紺碧の瞳。


「貴方……ユーウェイン?」


 震える声で問い掛けた私に、彼は小さく溜め息をついた。


「あれが、最後の……逃げるチャンスでした。前世の記憶を持っていた、俺にも気が付いた時には手遅れだった。牢に入れられれば処刑台で断罪されてしまうはずの貴女を、どうにかして救うためには……ああする以外の方法が見つからなくて」


 彼が淡々と語る内容は、良く理解が出来ない。前世の記憶を、持っていた?


「待って……何を、言っているの?」


「貴女は本当に……美しい。すべてを身に付けている、悪役令嬢。けど、俺は幼い頃からリチャードの影として、常にあいつを警護するために共に動き、傍で笑う婚約者の貴女を見ていて、いつの間にか好きになっていました」


「悪役令嬢……?」


 確かに私は令嬢ではあるけど、悪役なんて酷い言いざまだと思った。


 けれど、前の生でもルイーズ嬢を虐めたことなど一回もなかったけれど、世間的にはいつの間にか、そういう事になっていたと思う。


「……貴女には、何の事だか。この状況も、何もかも。理解など出来ないでしょうね。俺は貴女を殺した世界線で、世界の中でも最難易度に入手できないアイテム。時を戻すという時戻りの剣を、どんな事をしてでも手に入れたんです」


「もしかして……殺されたはずの、私の時が戻ったのって」


「そう。俺の仕業です」


 あの時の私を殺したはずの人は、私を救うために殺したと言った。


「でも……私は、貴方に殺されたわ……」


 理解し難い経緯に、私は頭が酷く混乱していた。


「時戻りの剣には、発動条件があったんです。処刑台に立つ前の貴女の時を戻すためには、一度は殺すしかなかった。そして、一度使用すれば、もう……あれは、もうないんです。そういう、アイテムなんです。一度しか、使えない」


「私を……また、殺すの?」


 今もなお震えている私の声は、恐怖からだと勘違いしているかもしれない。彼は整っている顔を、歪めたから。


「いいえ。ヒロインが入学すれば、強制的に乙女ゲームのイベントが進んでいく。貴女は冤罪だと言っていましたが、あのヒロイン……ルイーゼ・ローランスは、婚約者のリチャードと懇意になっているのにも関わらず、なかなか自分を虐めて来ない貴女に痺れを切らして、既に惚れている攻略対象者にやらせたんです」


「待って。私がしたとされている彼女への嫌がらせは、冤罪だって……貴方は知ってたの? だったら!」


 なぜあの時、殺す前に無実を証明してくれたら良かったのにと続けようとした私に、彼は首を横に振った。


「一度始まってしまったゲームの強制力は、凄くて……俺が、安易に想像していた以上のものでした。そして、俺がどうにか貴女を救おうとした時には、ヒロインのルイーゼは順調にイベントを進めていた。貴女を助けるために。俺にはもうああするしか、なかったんです。生きている間に、時を戻す剣を使って貴女を殺せば時は巻き戻る。そうすれば、ゲームが開始する前であれば、なんとかなるかもしれないと……」


 暗い表情でユーウェインが言っている意味がわからなくて、困惑はした。けれど、私を救うためにあれをするしかないという事実は、理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る