第9話 モーニングコール、再び
りかがいなくなってから俺は、その事を少しでも考えなくていいように、仕事に没頭した。
疲れ果てて、外で夕飯を済ませ帰れば、すぐに眠ってしまえる。朝も、早く家を出て、コンビニで買った朝食を会社で取る。その繰り返し。
家で起きて過ごす時間を、少しでも減らしたかったからだ。
そして、もう2週間近く、そんな生活を送っていた。
その日俺は、新しい多忙だと噂される大規模プロジェクトに自ら志願し、想像以上の仕事量に襲われ、とてつもない疲労感を背負いながら家に帰った。
なんとか風呂に入り、すぐにベッドに潜り込む。
今日はもう、あれから3回目の金曜日だ……俺はそんな事を思いながら、眠りに引きずり込まれた。
***
「……ねえ、ねえってば!朝だよ!起きて!もー、何時だと思ってんの!?」
……誰かの声が聞こえる。
「もう……起きてってば!」
体がゆさゆさと揺さぶられている。
だが、俺の眠りは前日の疲れのせいか、その程度でさめるほどの浅さではなかった。
「昨日……遅かったんだよ……もう少し……寝かせて……」
ほぼ意識のない状態の俺は、相手が誰かを考える余裕もなく、そう言うのが精一杯だった。
瞼も重くて開けるのさえ億劫だった。
が、その瞬間、俺の頭が急に覚醒した。
(この声……まさか!)
俺は気合いで体をガバッと起こすと、横を向く。
そこには、俺の腕をつかんだまま、驚いた顔の女の子がいた。
「……玲斗くん!?び、びっくりした」
俺は、まばたきするのも忘れるくらい、その女の子を見つめた。
まさか……まさか。
「……もしかして、りか……なの?」
恐る恐るたずねた俺に、目の前の女の子は笑顔で頷く。
「おはよう、玲斗くん。起こしにきたよ」
俺はその瞬間、泣きたいような、笑いたいような、変な顔になっていたと思う。きっと、誰が見ても笑うくらいの。
「なんで……どうなってんの……りか……君のこと見える……俺に触ってる……りか、君は……成仏したんじゃ……ないの?」
混乱と、起きたばかりでうまく話せない。
そんな俺に、りかはクスクスと、可愛らしい声で笑った。
「ちょっと長い話になるけど……聞いてくれる?」
俺は、ぽかんとしたままだったが、慌ててうんうんと何度も頷いた。
「あの後、気づいたら、見たことのない場所で目が覚めたの。しばらくぼーっとしてたら、看護師の格好した人が来てね、それで、ああここは病院なのか……って気付いたの」
「じゃあ……りかは死んでなかったってこと?」
「私も、まさか死んでないだなんてびっくりだった。……だって、この部屋を泣きながら引き払うお母さんを見たし、私の声も届かないし、死んで幽霊になったとしか思えなかった」
生霊、というやつだったのだろうか。
それは、死んでしまったと勘違いしてもおかしくない状況だと思う。
「その後は、玲斗くんも知ってる通り。君が引っ越してきて、どうせ聞こえないと思って、朝に声をかけてみたら……って、そんな感じ」
「そっか……」
りかの声を聞けた自分を、よくやったと褒めたい気分になった。
「目が覚めてから、ずっと寝たきりで体がうまく動かなくて、しばらく入院したままリハビリすることになったの。だから、玲斗くんに、生きてたってこと、すぐに伝えに来れなくて……心配、かけちゃった、かな?」
俺の顔を覗きこむりか。俺はドキッとしながら、なんとか平静を装う。
「し、心配っていうより、成仏できたんだろうな……よかったなって……思ってた」
嘘だ。ものすごく寂しかった。でも、そんなこと恥ずかしくて言えない。
りかは、嬉しいような、悲しいような表情を見せた。
「そっか……何も言えないまま消えちゃったから、少しは気にしてくれてたかなって、ずっと思ってたから」
えへへ、と笑うりか。
「昨日ね、やっと退院したの。本当はすぐに会いに来ようと思ったんだけど、お父さんお母さんがご馳走用意して待ってるって……それで、朝になったら行こうって、すごく早起きして来たの」
「……そうだったんだ。で、でも、どうやって中に入ったの?もう幽霊じゃないし、すり抜けられないよね?」
俺が聞くと、りかはふふっと笑いながら、俺の前で右手のひらを開く。
そこには家の鍵があった。
「玲斗くん、電話で話してたでしょ。鍵はガスメーターの裏にあるって。それを借りたの」
「あ……そういうこと!」
あんな会話、よくおぼえていたな、とりかに驚いてしまう。
「ごめんね……驚かせちゃうのいけないって思ったけど、びっくりさせたい気持ちが勝っちゃって」
「ほんとだよ……。びっくりして、俺が死んだらどうするつもりだったんだよ?今度はまたりかがここに住んで、俺が毎日起こすことになるだろ?」
冗談ぽく笑って返すと、りかも笑い出した。
「それもいいな……なんてね。そしたら、ずっと一緒にいられるもん……」
「えっ……」
俺は、その言葉の意味を理解し、一気に顔が熱くなった。
「……ふふっ、冗談だよ?もー、顔真っ赤!可愛いなあ、玲斗くんは!」
「お……おまえ……俺をもてあそんだな!」
「あーもう、耳まで真っ赤!」
「や、やめろ!純真無垢な青年をからかうなっ!」
そうやって俺たちは、馬鹿みたいにふざけ合って、笑い続けたのだった。
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