第9話 悲しい手品のトリック

ジョーがいなくなって2週間ぐらいが過ぎた。


僕がまたぼーっと工事現場の事を思い出していた時、

僕は1つ手掛かりに気付いた。


【(株)山田土木】


大学初日、転んだ僕に最初に声をかけてくれたのが親方の山田さんで、

工事中の看板の下にはその会社名があったのを思い出したのだ。


僕は市の工事予定表やなんやらかんやらから、

あのぽっちゃりした山田さんの写真が載る、会社のホームページを見つけていた。


そこに連絡先が書いてあったので、僕は早速電話してみた。


「もしもし、山田土木でぃす。」


電話に出たのは山田さんの、ちょっとどこかの田舎のなまりがある声だった。


「あの僕、塚本一郎つかもといちろう…イッチです!ジョーの友達の!」


「ああ、イッチか!ジョーのヤツはどうしてる?体調悪いんか?」


「え?僕も彼の事が聞きたくて電話したんですが?」


「いや~、あいつ、前キミんちにいるって言ってたから、てっきり今もと…。

それがなぁ、2日前からアイツの仕事用携帯も繋がんねーのよ。

なんかあったかと思ってたんだけど、キミんちの連絡先知らねーしで、

こっちも困ってたんだわぁ。」


山田さんもだっただろうが、僕も驚いた。


二日酔いでも熱出てても仕事に行っちゃうあのジョーが無断欠勤?


有り得ない!


「あの、ジョーって元々はどこに住んでました?」


「ああ、そうか。

キミんちじゃなきゃそっちかもな。

様子見に行ってくれるなら住所教えるよ?」


「行きます!お願いします!」


僕はタクシーを拾い、山田の親方から聞いた住所に急いだ。


住所の先は、僕が昔両親と住んでいた地区にある、

ちく何年よ?って言う超絶ボロいアパートだった。


ガスや水道やトイレは共同で、風呂無しのそのアパートは、

むしろ存在が珍しい位に赤サビて、

共同の玄関には、何かワケありげな人たちの影があった。


「あの…金城かなしろさんの部屋は…?」


まるで昭和の映画かドラマのように頭にカーラーを巻いた、

シワシワなのに髪を真っ黒く染めたお婆さんに恐々こわごわ声をかけると、

お婆さんは右の一番隅の部屋を指差した。


「ここは鍵がないからドアは開いてるよ。」


「ありがとう御座いました。」


僕は軽く会釈えしゃくをして、部屋に向かった。


想像では、相当なゴミ屋敷なはずなので、僕は覚悟してドアを開けた。


「ジョー?」


中を覗くと、意外な事に、日焼けて毛羽立った古い畳の四畳半の部屋は、

ほぼ何もなくガランとしていて、色あせたカーテン越しの光の中、

壁際かべぎわに折り重ねられた2組の布団にもたれてうずくまるように座るジョーと、

チャックも開いていない彼のリュックだけが転がっていた。


「ジョー?ジョー?」


異様な雰囲気に、僕は急いで靴を脱いで彼のそばに駆け寄って、

肩を揺すってみた。


「俺、幽霊だ。」


ジョーは泣き晴らして放心した時の顔をして、僕の顔も見ずにつぶやいた。


「ジョー?何があったんだ?病気?」


僕はジョーの額や首に手を当てて熱を測ったけれど、

彼はむしろ冷たかった。


「俺、本当に幽霊になっちまったぁ。」


ジョーの正体無い目から涙がこぼれ始めた。


「母さんが死んだ。

脳溢血のういっけつで…

植物状態で…

ずっと病院で寝たきりだった。」


ジョーは笑うような表情をした後、僕に抱きついて泣き叫んだ。


「俺、

小さい頃からずっとここで母さんと住んでたんだよ!

俺、出来ることは全部やったんだ!

なのに母さんは俺を置いてった!

俺もう本当に幽霊になっちまったんだ!」


「キミ、だから働きまくってたんだね。

あんなに頑張れるヤツが幽霊なもんか。」


僕はジョーをなだめる様に、彼の肩を抱いて二の腕をさすった。


ジョーは涙をこらえる様に震える唇を噛みしめ、

急に僕の両頬を両手で包むと、涙のまった目で僕の目を見つめた。





「知ってるか?

…俺、

国籍も戸籍もないんだぜ?」





それは、現代の日本社会では嘘のような衝撃の告白だった。


彼が自分を幽霊と呼んでいた理由。


それは僕に、スポットライトを浴びたマジシャンが、

ハトの入ったシルクハットを、満面の笑みでパンと潰すと、

別の場所からハトが出てくるトリックを思い起こさせた。


ハトは2羽用意され、1羽がシルクハットとともにつぶされる。


単純で、悲しい、悲しい、残酷ざんこくなトリック。


僕はいつのまにか一緒に泣きながら、

強く強くジョーの肩をを抱き寄せるしかできなかった。


「母さん、ここで

自力で俺を生んで育てたんだ。

何でそうしたのか、

母さん、何も話してくれなくて、

俺は父さんの事もなんも知らなくて、

俺、ずっとここで一人で、

ロクに小学校も行ってねぇんだ。」


ジョーは僕の首と肩の間で嗚咽おえつしながら、

僕の肩をきつく、すがるように掴み、

うめくように言った。


「ここも、

何もかも母さん名義だったから、

俺、今までそれなりに生きてこれた。

人伝ひとづてやスカウトなら、

住所あれば書類無しで働けたし。

でも母さんが死んじまって、

俺はもう何もない!

俺、生きた幽霊だよ!」


ジョーはまた僕に抱きつくと、

僕のシャツがビショビショに濡れるほど泣いた。


クズ野郎と思っていた彼は、誰にも言わず、

彼の世界の全てを守るために、泥のようになるほど、

1人孤独に戦っていたのだと、今は解る。


僕は、彼と彼の母親の生活の貧しさが解るこの古いアパートで、

泣きながら彼の世界の崩壊を聞いていた。

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