13ページ,夢の戦い

 辺り一面、胃酸の湖になっている。


 ポコポコと音を鳴らし、胃酸の泡が膨れ上がれ、やがて破裂する。


 こんな場所に、ろくな足場など無いので、僕は『結界帝王級聖法』『物理攻撃無効結界アンチアタックホールド』にて胃酸に付くかのギリギリの距離で足場を作る。


 元来がんらい、『物理攻撃無効結界アンチアタックホールド』は攻撃を守る結界なのだが、あまりにも物理攻撃を受け付けないので宙に浮く足場の結界聖法として活躍できる。上級者なら当たり前の技だ。


 そしてベルゼブブは僕の目の前にある、一人が座れそうな大きさの岩に胡坐あぐらをかいて瞑想をしていた。


 その瞑想はこの結界の維持のためか、もの凄い集中力が伝わってきた。


 俺は、適当な前置きは嫌いなため、率直に聞く。


「単刀直入に言おう。俺のスキルになる気はないか?」


 ベルゼブブは目を閉じたまま静かに慌てもせずに瞑想をして耳を傾けていた。


「それは何故なにゆえで?」


 片方の目と方眉を両方、睨むように開け尋ねてくる。


 その問いに俺は答える。


「こっちにもこっちの目的がある。それに沿った計画だ。それに、お前が俺のスキルになったら、お前のその乾いた食欲も少しは満たされると思うぞ?」


 手を差し伸べ、誘う。


「……」


 その俺の答えに、ベルゼブブは〈加速思考〉を使い精一杯、思考える。


 やがて出たその結論が───


「仮にもワシは大罪の悪魔の端くれ。素直に従うとはおいそれとできぬわけよ」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」


 数刻の沈黙がまた続く。その間も、足元のポコポコと泡が割れる胃酸の音が感覚として響いている。


「戦え。それが主従の契約だ」


 結局はそうなるのか。僕の前には<セレマ>で作られた契約書が生まれる。内容は、私がベルゼブブに勝ったら即、奴隷となる。僕が負けたら、この体の一切の主導権をベルゼブブに明け渡す。


 まあ、向こうも負けることは分かってるから、この契約は建前だがな。


 その契約にサインをすると、契約書は燃え浮き、目の前のベルゼブブは目と鼻の先の近さとなった。


「まあ、落ち着けって。『お座り』」


「ガッ!!!!!」


 ベルゼブブは『物理攻撃無効結界アンチアタックホールド』の地面に打ち付けられる。たったこれしきの<エーテル>が籠った言葉だけでこんなにも効くなんてな。


 睨んだベルゼブブはその瞳を変化させる。これは危険だな。


「『腐食眼フリーゲ』」


 妖しく光るベルゼブブの目が私の体を溶かそうとしてくる。その光が届く前に僕は遠くへ跳ね除け、ベルゼブブの死角へと入る。


 平たく言えば、背中に当たる場面だ。幸い、ベルゼブブは俺の素早さに気づいていない。なんせ、光のはやさで移動したのだから、まだベルゼブブの視界には俺が移ってるだろうな。


 無防備な背中に、俺は『空虚消黒螺旋砲グライズ・ダガーベ』を放つ。青き螺旋が描くその線は、ベルゼブブの心臓を確かに抉った。


「……っ!」


 だが、ベルゼブブは生きている。たかが心臓を破裂させたくらいで死ぬのは精々人間やそこらの亜種だ。


 すぐさま臨戦態勢にはいるベルゼブブは体術だけで立ち向かってくる。


「そんな愚直な攻撃でいいのか?」


「そなたのように傲慢では、うまくいかぬものよ」


 放たれた拳は確かに遅い。では、他になにか仕掛けがあるといわれても、そんなものは見る限り見当たらない。


 ───いや、違う。


「そう、そなたの体内だ」


 読心術でも使ったのか、ベルゼブブは答える。


「『腐食眼フリーゲ』のときか」


 手を見ると、そこは腐食していた。


 あのとき、ベルゼブブは『腐食眼フリーゲ』の他に<セレマ>も使っていた。


腐食眼フリーゲ』を使い、私にそこへ視線誘導を行い、別の場所では隠れて<セレマ>も使っていた。おそらく、その<セレマ>も『腐食眼フリーゲ』とおおよそ同じ効果だろう。


「まだ終わらぬよ」


 気づけば、背中には大きな<セレマ>が今にも発射されようとしていた。これは私が手のほうへ視線をずらし、他の者の注意を引いていたからだ。


「やっぱり油断はだめだな」


 目の前にはもう一ミリというところまで迫ったベルゼブブの拳。後ろには、威力はそこまでないが、速さは光速すら超える魔法。どちらも、もう避ける選択肢はない。


「ほう、防御を取るか」


 私は直前に『限界結界テイラー』を発動し、両方を防いだ。


「不思議だな。ワシの拳は力こそない。それに、今発動した魔素弾だってそうだ。なのに、そなたは必至そうに防御を取る」


 なにかの結論にたどり着いたかのように、ベルゼブブは片眉をひそませ、僕を見つめる。


「───そなたのような実力の持ち主なら、受け止めるぐらい、容易ではないか?」


「……そこまでわかってるなら、それ以上は言わなくていいな」


限界結界テイラー』を解除すると同時に、<エーテル>で相手を吹き飛ばす。


「別に、回避するか防御し続ければ、攻撃は当たらないんだよ」


 トアノレスを召喚し、それをナイフのような形に変形させる。


「ここからは、蠅退治とでもいこうか」


 愚直に真っすぐ相手のもとへ行くのではなく、乱反射をするが如く、移動する。


「ハエの王と素早さで勝負とは……なかなかに生意気な事を」


 ベルゼブブは鋭い爪をシャキンと出し、体を縮ませる。体面積をなるべく小さくさせ、空気抵抗を失くす。


 僕と奴は交互に交わり、その度に火花が散る。だが、僕には一個の傷が付いておらず、ただベルゼブブの切傷が増えていく。


 その内にベルゼブブは私に打ち負け、宙に浮かんだままとなり、僕にされるがままとなる。


「ハエの王が……なんだって?」


 必死に抵抗してこようとしてくるベルゼブブに追い打ちをかけるように地面に叩きつける。


「カハッ!」


 肺に詰まっていた空気が一気に抜けるような声がでていた。さらに追撃をかけるようにトアノレスを複製召喚。<エーテル>を使ってトアノレスを操り、ベルゼブブに向かわせる。


 突進するトアノレスが、ベルゼブブに触れるその刹那。間一髪といった具合に転がり、避ける。


 惜しいな。


 また僕のもとへきたベルゼブブが速攻。反撃という面ではいいタイミングだ。だがそれは相手が油断していればの話。


「『白昼夢爪ラルドクロー』」


 ベルゼブブのような鋭い爪が僕の手に顕現され、それがベルゼブブの腹へと入る。


「ぐはっ……!」


 もろにその<セレマ>喰らったベルゼブブは吐血する。悪魔のくせに血液とかあるんだな。


「───そう、そなたの弱点はその攻撃直後のことだ」


 突然、ニヤリと笑うベルゼブブは拳に赤い光を宿す。それは、魔力によるものだ。


「現在、そなたは<エーテル>によって縛られている」


 そう、私はベルゼブブの言う通りここから一歩たりとも動けない。


「最初は勝てるとは思わなんだが、こうも簡単にできるとはな」


 ニヤニヤと優越感に浸るベルゼブブの顔は、実にこちらとしても気分がいい。


「ああ。そうだな……まあ───ここが現実だったらの話だけどね」


 ビ、ビビ……と空間が歪む音がし、気づけば僕らは最初の間合いを保ち、その立ち位置に付いていた。


「ど……どいうことだ……?」


 ベルゼブブがこういう顔をするのは、今日で二回目だな。


「平たく言うと……まあ、今の対戦、全部"夢"だったんだよ」


 頬杖をつく私は、胡坐をかいてベルゼブブに笑みを返した。

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