一歩、裏でも一歩

 あれからさらに時間が過ぎて夕方、三人は再び同じパソコンの前に集まっていた。


「概要欄の誤字は大丈夫ですよね?」


「ん。誤字チェックと一緒に商品リンクも確認済み」


基本的に動画の概要欄はテンプレートが幾つか用意されている。作業を効率化するためにも、チャンネル全体の統一感を出すためにも大体は何パターンか用意しているものだ。


「それじゃあリアイブで上げちゃいましょう!」


 意気揚々と投稿形態を指示する楓を見て伊織は驚きと戸惑いの表情を小さく浮かべた。

リアイブというのは、指定した日時に動画が投稿される予約投稿に近いもので、ライブ配信と同じようにリアルタイムでコメントが出来るという機能だ。


 投稿者が視聴者と同じ目線で動画を楽しむことができるというスタンスで始まった本機能は、想定以上のメリットを生み出したがライブならではのデメリットも存在した。


それはコメントが荒れやすいということだ。

ライブでのコメントは配信者に対してリアルタイムで反応できるように作られている。つまり、感情のままにコメントが投下されていくのだ。


 勿論、好意的なコメントが大半を占めるのだが、中々に辛辣なコメントも混ざってくる。

 それも時と場合によってはその比率は覆ってしまう。今回に至っては、女性だけだと思われていた【カロン】に突然伊織おとこが入ってくるのだ。批判的なコメントが着くことは目に見えている。


「せっかくの伊織さんがデビューする動画なんですもん!....もしかして、お嫌でした?」


「い、いえ!そんなことは無いです。けど....」


【祝い酒】にいた頃、メンバーのライブ配信のコメント欄にあった辛辣な言葉の数々が脳裏をよぎる。

 一つ一つは大したこと無いのだが、塵も積もれば山となるとはこのことで、数が集まってしまうとそれらは絶大な威力を発揮してしまうのだ。

 他人に向けられたコメントだったのに心が痛んだのだ。自分に向けられた時のことを思うと腰が引けてしまうのも頷ける。


「こう言っては難ですが、必ず一定数はアンチが出るでしょう」


「ん。百人が百人大賛成なんて聞いたことが無い」


「ですが、それは極少数派です。大抵の人は気に入らなかったらブラウザバックしてしまいますし」


「ん。突っかかってくるアンチは一周回ってファン」


「だから一度でいいのでやってみませんか?もし、これでダメでしたら【カロン】を辞めてもらって構いません」


手を握りまっすぐな眼差しで伊織を見つめる楓。その後ろからみのりが表情で援護する。


「辞めた後は楓のお金で私が養うから大丈夫」


「何でそういう事言うんですか!私が養います!」


先ほどの真面目ムードはどこかに消え去ったようで、また二人の張り合いが始まった。

かと言ってただの張り合いではなく、その空気感は常に穏やかに優しい物で、よく動画で見ることができる光景が今目の前で繰り広げられている。

この光景が伊織にどう映ったかは分からないが、その口からは自然と笑いが漏れていた。


「楓さん。大丈夫です、僕やります!」


その言葉を待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべた二人は短くそれに応えた後、動画のセッティングを始めたのだった。





 時刻は過ぎて夜の八時頃。大抵の家庭が夕食を食べ終えているこの時間に【カロン】は動画を投稿している。

今回の動画は足が速いので、公開予定だったストックを押しのけてセッティングされている。


既に動画のコメント欄は解放されており、集まった視聴者がサムネについて触れたりして動画の公開を今か今かと待ち望んでいる。


 :え、サムネ見たけどこの時期に新メンバーってどゆこと?

 :男だったりしてw

 :さすがにそれはないやろw

 :でもカロンだぜ?

 :やりそー

 :男だったら推すのやめるわ

 :私はどんな人でも大歓迎よ!


各々予想を立てていると画面が切り替わり、リアイブ特有の長いカウントダウンが始まった。


「伊織、大丈夫?」


またパソコンの前に集まっている三人も同じく動画が公開されるのを待っていた。楓やみのりはやはり慣れているのか、カウントダウンまで思い思いの行動をしていたが、伊織は席に着いてからと言うもの微動だにしていなかった。


「だ、大丈夫です....ただ緊張しちゃって....」


「大丈夫ですよ!最初はみんなそんなものです!」


「ん。初めて楓が動画公開した時よりまし」


「そ、そうなんですか?心なしかお腹も痛くなってきたんですけど....」


「楓の時は酷かった。だって遠目で見て分かるレベルで震えてた」


オーバーサイズのパーカーの袖を振るって腕を組み、少し大きく頷いて見せる。


「今それを言わなくて良いじゃないですかぁ!私にもイメージと言うのがありましてね!?」


「大丈夫。最初からそんなものは無い」


「ひどい!まだちょっとは残って」


「無い」


二人のおかげなのか伊織の肩に入っていた力はいつの間にか抜けていて、その二人を見てまた笑みを溢す。


「あ、そろそろ始まりますよ!」



伊織がそう言うと二人は即座に画面に向き直り、肩を並べる。そんなタイミングでカウントはゼロになった。





「角田はん、そろそろ仕事戻りましょ?」


「まちぃて、休憩まだ10分残ってる!」


「その動画、後何分なんです?」


「15分や!」


年末に向けて忙しい期間を迎えている【丸しき】は各々遅めの夕食を食べて本日最後の追い込みをかける頃だった。


「全然大丈夫やないじゃないですか!」


「うっさいわ!こちとらむさ苦しいおっさんとこれから会議しないといかんのじゃ!目の保養くらいしてもええやろが!」


そんな角田の叫びにオフィスに残っているメンバーは笑い声をあげる。あまり喜ばれない残業をやりつつこの表情を浮かべられるのは彼女の人望の高さがなせる業なのだろう。


されど、仕事があるのは事実なので仕方なく動画をラジオ替わりに角田は書類をまとめ始める。


『早速ですが、本日の動画は、“新人マネージャーとルームツアー”!』


(ほ~ん、この時期に新人なんて珍しな)


対して気にも留めず書類に目を通していた角田だったが、次の瞬間その動きが止まった。


『えっと、新人の伊織です。よろしくお願いします!』


「す、角田はん?どないしたんですか?」


その声を聴いた途端、角田は手に持っていた書類をそのまま床に落としたのだ。


他の社員が心配する声を他所において、角田は何かを一心不乱に調べ始めた。


「えっと角田はん?」


仕事でも中々見ないパソコン捌きを見せる角田だったが、しばらくしてその動きは止まり、オフィスの皆に向かって立ち上がった。


「悪いけど、みんな。新しい仕事や!」




ーーーーーー

新作についてですが、まだ上手く纏まっておらず、公開は延期になりそうです....5月までには公開する予定ではいます。

楽しみにしてくださった方、本当に申し訳ございません。

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