脱出

「さてと、伊織さん。これからどうしましょう」


正面に座るサクラ...楓は某アニメで有名な司令官のポーズでそう言った。


 あの後、退院の手続きを無事完了させて、二人は昼食がてら前回の打ち合わせで利用した喫茶店に入っていた。


 どうやら楓は伊織を引き抜く事ばかり考えていたらしく、その後のことはあまり考えていなかったようだ。


「正直なところ、一旦荷物を取りに戻っておきたいですね」


「ですよね...」


 元々私物が少ない伊織と言えど、身一つで移動することはさすがに難しい。

なにより一度も戻らずに楓の元に行けば、誘拐や失踪と騒がれるかもしれない。

 今までの扱いを考えれば可能性は限りなく低いが、余計な芽は潰しておいた方が良いだろう。


 それからしばらく続いた伊織の脱出作戦会議は【カロン】のマネージャーも巻き込みながら会議はティータイムまで続いた。



「それでは私は車で待機していますね」


【カロン】のマネージャーが運転する車で楓と伊織は今日で見納めになるであろう家の前に着いた。


もう長らく手入れがされていない家が夕日に照らされてその汚れが良く目立つ。


――入院する前はそんなこと思ってなかったんだけどなぁ


 ふとそんなことを考える伊織だったが、これから始めることを思えばそれどころではないと気合を入れなおす。


「それでは、いってきます」


車に残る楓とそのマネージャーにそう言って、意を決して家の扉を開けた。



「……」


以前までは何かしら声をかけて帰宅していたが、今日は黙って玄関に入る。


 不思議なくらいに静かなことに内心ビクビクしながら必要な荷物をリュックに詰め始めたところで扉が開かれた。


いつ壊れてもおかしくないような乱暴な開け方。そしてその後に飛んでくる怒号。

もう何度も何度も聞いたその音の正体はもちろんヨルだ。


「....おい、どこほっつき歩いてたんだ?あ!?」


強めた語気と一緒に床に設置してあるデバイスを蹴り飛ばす。


「……」


「なんか言えよ!お前がつまらん理由で2日も開けている間に仕事が詰まってるんだが...どう落とし前つける気なんだ!!」


「…ごめんなさい」


「謝れば済むと思ってるだろお前」


伊織の顔を覗き込むようにして問い詰めるヨルは、どうやら求める反応とは違ったらしく、伊織の胸を裏拳で叩いた。


体格だけは良いヨルの裏拳にはしっかりとパワーが乗っていたようで、伊織は軽く飛んでしまう。


「いいか?お前は、俺がいないと生きていけねぇんだよ」


わざわざ座り込む伊織に合わせてしゃがんで吐き捨てる。


「親戚中をたらい回しにされていた可哀そ~なお前を、引き取ってやったのはこの俺だ」


「……」


「まったく使えないお前に仕事を与えてやってるのはこの俺だ!」


「……違う」


「あ?違わねぇだろ?お前みたいな不要品、いつ捨てられてもおかしくねぇんだよお!」


「僕は...不要品なの?」


不要品という言葉に衝撃を受けた伊織を見て、ヨルはここ一番の笑顔を見せた。


「はっ!今更気づいたのか?そうだよ!お前は不用品だ!何なら今すぐ捨ててやってもいいんだぜ?」


ニヤニヤと気持ちの悪い笑みとセットで屑の権化は満悦そうに言った。


「.....じゃあ、出ていくよ」


「あ?」


予想だにしていなかった言葉だったようでヨルは眉をひそめた。


「ぷっ、ここから出て行ってどうするんだ?ホームレスよろしく路上生活ってか?特別に選ばせてやる。これまで以上に働いて俺に貢献するか、出ていくかだ」


痛む胸を軽く押さえながら出ていこうとする伊織に焦ったのか、ヨルは少し前に言った言葉とは矛盾することを言い始めた。


「僕は、出ていくよ。叔父さん」


ヨルの語気に若干気圧されていた伊織だったが、声を震わせながらも自分の意思をしっかりと口に出した。自分に余裕を持たせたいのか、ヨルの嫌がる言葉をわざわざ添えて。


「俺は!ヨルだ!!!」


怒りに任せて振るった拳は見事に伊織が使っていたPCに命中して鈍くて甲高い金属音を鳴らしながら転がった。


「あーあ。コイツのPC壊しちゃったのかぁ~もう選択は二つに一つスね」


先ほどの会話を聞いていたのか、開け放たれたままの扉からaceと一号が顔を見せる。


「そのようだな。伊織、見ての通りだ。たった今、このチームでいるために必要なPCはたった今リーダーの手によって破壊された。もうここにお前の居場所なんてものはない」


いつも通りの抑揚の少ない声で淡々と一号は話す。


「そそそ!そういうことッス。わかったら即刻出ていけって事っス」


aceもいつものウザい後輩スタイルを崩さずに一号の意見に賛同する。


「おいお前ら、何勝手に言ってやがる」


「だってヨルさんは、コイツに出した2択のうち一つを物理的に壊した。つまりそれは出ていけってことッスよね?さすがはリーダー!!」


「ま、まあそういうことだな」


なぜか気分が良くなったヨルは官軍の将かのように言い放った。


「さっさと出ていけ!もうここはお前が存在してはいけない場所だ!まあ、元からそんな場所はなかったがなあ!」


高笑いを始めるヨルを目の前に捉えながら、伊織は弱弱しくも確かにリュックの肩ひもを握った。



「あ、戻ってきましたね」


車で待つこと20分弱。再び玄関扉が開き、小さなリュックを背負った伊織が姿を現した。


「ただいま戻りました」


車の中に戻ってきた伊織は緊張から解放されたおかげか、少し気の抜けた声で話す。


「おかえりなさい。その様子だと上手く行ったようね」


隣に座る楓も無事に終わったことに安堵の表情を見せた。


「はい!不用品は出ていけって言われました!」


とても残酷な言葉を言われたにもかかわらず、伊織は口角を少し上げながら話した。


あのような連中が不用品と言って手放すのなら喜ぶべきなのだろうか、不用品と言われながらも笑う伊織を哀れめばいいのか。


なんとも複雑な感情が渦巻く楓とマネージャーは次の言葉に詰まってしまった。


「...何はともあれ、作戦成功ですね」


 とりあえず計画が上手く行ったことに喜ぶべきだと考えたマネージャーはそう声を漏らした。


「ええ...ええ、そうね!さあ、伊織さん。これから新しい家に向かいますよ!」


微妙な空気を払拭すべく楓も話題を新たな家へと移した。


 その時の伊織の表情は期待半分、不安半分と言ったところだろうが、伊織が住む新居のこと話していくうちに伊織の表情は年相応のものに変化していったのは言うまでもないだろう。

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